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響(駆逐艦)

ひびき

本稿では日本海軍の駆逐艦、神風型および特型III型駆逐艦の「響」について記述する。pixivで駆逐艦「響」と言う場合多くの場合2代目を指すと思われるため親記事は「特型駆逐艦」としている。
目次[非表示]

初代・響

初代神風型駆逐艦の1隻。
1906年9月6日、横須賀海軍工廠で竣工。
1924年12月1日、掃海艇に編入。
1928年4月1日、除籍。同年7月6日、廃駆逐艦第11号と仮称。同年10月12日、廃船認許。
1930年2月13日、売却。

2代目・響

響(ひびき)は、日本海軍駆逐艦吹雪型(特型)の22番艦(III型=暁型の2番艦)である。
雷(駆逐艦)電(駆逐艦)第六駆逐隊の姉妹を失った響は、第六駆逐隊解隊後連合艦隊附属となり、末期時には第七駆逐隊に所属していた。
当時の第七駆逐隊ものみ生き残っており(ほかに曙(駆逐艦)も終戦時に生き残っていたが、こちらはマニラ湾で大破着底状態にあった)、死に損ないの寄せ集め同然な部隊だった。
その上、潮は終戦時に修復中であり、武装を響に受け渡している事から響・潮が実際に行動を共にした事はないとの事。
僅かな間だが、も第七駆逐隊に所属していた(霞はその後天一号作戦に参加、戦没)。
また、[[[朝霜]]とも、天一号作戦の直前に蝕雷してしまった際、曳航してもらい呉に戻ることが出来たという縁がある(朝霜は天一号作戦に参加、戦没している)。
1945年8月15日(終戦日)の午前7時ごろに米軍爆撃機に対し日本海軍最後の発砲を行っている(この時潮から預かった主砲を用いたというのは誤りで機関砲による対空射撃のみ。ただし、7月20日B-29撃墜時には主砲発砲の記録がある)。


戦後は武装解除された上で復員船として人員輸送に従事し、その後賠償艦としてソ連に引き渡された。
なおソ連における艦名はヴェールヌイ(Верный)と言い、これは「真実の、信頼できる」と言うロシア語形容詞である。
さらに第一線を退いた後はデカブリスト(Декабрист)(1825年に貴族の将校らが起こした反乱の中核となった「十二月党員」の意味)に名を再度改め、練習艦として1953年頃まで使われていたらしい。
最終的には1970年頃に標的艦として沈められたが、役目を終えた艦が標的艦として沈められるのは世界の軍隊ではごく普通であり悲観することではない。旧日本海軍の後継組織である海上自衛隊のDDG(長距離防空護衛艦)第1号だった「あまつかぜ」も退役後は標的艦となって沈み、米軍も大戦中に数々の武勲を挙げた空母サラトガをはじめとした自軍の艦艇を原爆実験の標的艦として沈めている。
現在でもウラジオストク沖カラムジナ島の海底に沈んだ姿が残っており、ダイバーのスポットとなっている。

※神風、潮、曙、初春、初霜、沖波は1956年までに解体。また早霜)にも残骸が水上に現存しているとする説があるがそちらは未確定。


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日本海軍 駆逐艦 響(艦隊これくしょん)
工藤俊作(海軍軍人)

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