概要
防衛省の実働部門(自衛隊)の一つで、他国の海軍に相当する組織。略称は海自。
海上幕僚長をトップとする海上幕僚監部の指揮の下、護衛艦隊・潜水艦隊・航空集団(海軍航空隊に相当)・陸上部隊等を擁する。他の自衛隊同様専守防衛が基本であり、主な任務は日本の生命線である資源輸入ルートすなわちシーレーン(海上交通路)防衛である。このため第二次世界大戦でのシーレーン防衛で苦杯を喫した対潜水艦作戦や機雷除去などで特に充実した装備と能力を備えている。アメリカ海軍の世界戦略のなかで中国人民解放軍海軍とロシア海軍の主に潜水艦の封じ込めを担当している。
なお、戦力放棄を謳った日本国憲法第9条によりいかなる戦力も保有できないことになっているため、法的には軍隊ではないとされる。しかし日本国外では日本の海軍であるという認識が一般的である。
また、海上自衛隊自身も、海外活動の中で自分たちのことを「海上自衛隊(Japanese Maritime Self-Defense Force)」ではなく、「日本海軍(Japanese Navy)」と呼称することがある。海外では自衛隊という日本特有の政治的事情に由来する組織の概念が知られていないため。
組織
指揮系統としては、平時は海上幕僚長の指揮のもとで護衛艦隊司令官率いる護衛艦隊、潜水艦隊司令官率いる潜水艦隊、航空集団司令官率いる航空集団などのフォースプロバイダー(練度管理責任者)と隷下の部隊に分かれて、訓練や整備などを行っている。有事にはフォースプロバイダーから部隊がフォースユーザー(事態対処責任者)である自衛艦隊司令官や各地方総監などに提供され、直接に防衛大臣と統合幕僚長から命令が下って作戦が実施される。自衛艦隊とは、帝国海軍の連合艦隊にあたり、実戦部隊の統括組織である。地方総監は帝国海軍の鎮守府にあたる地方隊の長であり、横須賀・呉・佐世保・舞鶴・大湊の5つの地方隊に分かれて担当する警備区域での警備と防衛を実施する。
太平洋戦争では連合軍の潜水艦を中心とした攻撃で、日本側の輸送船団は数多くが撃沈されてシーレーンが寸断された。さらに一万個を越える機雷で本土の港が封鎖され、主要港は使用不可能に陥った。こうして日本側は資源不足に苦しめられ、開戦前からの国力差に加えて日本側の補給能力低下は勝敗を決定づけた。このような戦訓から、海自は対潜能力・対機雷能力に重きを置く。各国の海軍と比較しても屈指の数の対潜哨戒機群を運用する航空集団による対潜哨戒で海上をカバーし、ヘリ空母も主に多数の対潜ヘリを運用している。また、機雷を排除する掃海部隊については「唯一の実戦部隊」であり、海自としては「対潜水艦戦の技量は世界有数、機雷戦の技量は世界一」と自負している。
そういえば海兵隊は?
近代海軍は一般に、近世によく行われた船を横付けしての白兵戦に備えるための海兵隊を発達させている。しかし帝国海軍は白兵戦が行われなくなった19世紀に発足しているので、当初設立された海兵隊も明治9年(1876年)に廃止されている。その後上陸作戦での必要性から海兵隊にあたる海軍陸戦隊が臨時編成されるようになり、昭和7年(1932年)には常設となったが、間もなく敗戦により消滅した。
このような流れで誕生した海上自衛隊も、ずっと諸外国のような海兵隊を備えずに発展してきた。しかし離島が多い日本の防衛においてはやはり上陸作戦を想定しないことには無理が生じ、結局平成30年(2018年)に陸上自衛隊にて離島防衛・奪還を主任務とする水陸機動団が発足している。
なお海自でも、海上で直接不審船に移乗して無力化する任務などに対応可能な特殊部隊として平成13年(2001年)に特別警備隊を編成した。特別警備隊では89式小銃、MP5、P226などの装備が確認されている。一般の海自隊員も89式小銃、64式小銃、9mm拳銃、MINIMI、74式車載機関銃、ブローニングM2重機関銃など陸上自衛隊と同様の武器を備え、白兵戦に対処できるだけの十分な戦闘訓練は行っており、臨時で立入検査隊(立検隊)を編成する場合がある。
また、基地警備専門の陸上部隊として陸警隊が編成されている。
文化
旧大日本帝国海軍の間接的な後身組織であり、海軍の伝統を受け継ぐ後継組織を自認している。礼式・礼装だけでなく「伝統墨守 唯我独尊」とその気質にも顕著である。元々帝国海軍はイギリスを模範とし、頑迷な陸軍(注:海軍側の感想です)に対する自由で合理的な気風を誇りとしており、海上自衛隊もまた進んでその伝統を尊重してきた。
毎週全ての部署で、金曜日にはカレーを食べる組織である。世間的には大日本帝国海軍から受け継いだ伝統であると言われ、週休二日になる前まではカレーは土曜日で、日時の感覚が失われがちな軍艦(特に潜水艦)内でも食事にカレーが出てくれば、週の変わり目がわかるということから...などと世間に喧伝されている。ただしこれは伝説に過ぎず、事実とは著しく異なる。海自では、週休二日制になる前からカレーは金曜日だったという証言もあり、上記は根拠のない俗説に過ぎない(昭和世代の海上自衛官たちは、海軍出身の誰かが面白がって言い始めたことが世間に広まってしまい、社会での立場の確立を目指す観点と、大日本帝国海軍の継承者である事を示し、社会で自己アイデンティティを得るために、海軍軍人から転じた者が高官層を占めていた時代の高官たちが海軍との文化的連続性を否定することをしなかっただけとしている。要するに、海軍への反発である)。いずれにせよ、海自のカレーは旧海軍と同様、艦ごとに独自のレシピが研究されている程に熱心な文化であることは疑いない。
海上自衛隊と海上保安庁
戦前の帝国海軍は、沿岸警備や海洋情報の調査・測量、海上交通の管理、密輸や密出入国の取り締まりなど沿岸警備隊に相当する職務を担当していたが、戦後新たに運輸省(現・国土交通省)の外局として海上保安庁が発足し、これらの任務は海保が担うことになった。
1952年に、海自の前身である保安庁が発足した際、従来の海保を解体し、水路部と燈台部は運輸省本省に吸収、警備救難部を「海上公安局」として海自に組み込むという案が旧海軍関係者らを中心に作成され、実行に移されることになった。しかし、根拠法令である「保安庁法」と「海上公安局法」の審議過程で「海上交通と海上警備救難を別の国家機関が扱うことになり、デメリットが大きい」と懸念する懐疑論・反対論が噴出、海保の海上警備隊と航路啓開(掃海)任務のみを受け継いだ保安庁を先に発足させ、海上公安局法の施行については無期限延期となった。その後、海上保安庁を解体せずそのまま保安庁傘下に移すことも検討されたが、戦時中の海軍への遺恨による海保・海運・漁業関係者らの反発(詳細は海上保安庁の記事を参照)が根強かったことに加え、受け入れ側である保安庁側も、発足後の改組で防衛組織としての性格が強くなったこともあり「本来保安庁が担うべき防衛任務と異質な警備救難任務を抱え込む」ことを嫌って反対。海上公安局法は施行されないまま防衛庁設置法の施行に合わせて1954年に廃止され、結果的に海上公安局は「幻の国家機関」となった。
尖閣諸島や北方海域など、平時の領海警備においては海保が最前線に立つことが多いが、これは海自の護衛艦ではなく海保の巡視船が出動するのが政治的に穏当であるという判断から。近年は、海保の外国漁船や調査船への対応に不満を持ち、日本周辺で違法・不審な活動を行う外国船には海自が対応しろなどの主張をする人がいるが、近海に出没する不審船や外国艦船に海自が対応したからといって強硬な対応ができるわけではない。その理由は後述の通り。
海上自衛官は海賊などの民間人に対し(原則として)司法警察行動をとることはできない。海賊取り締まりのため護衛艦が海外派遣される際は、海自の船に海上保安官が同乗することとなる。ただし、領海に外国艦船が侵入した場合など、海保で対応できないとみられる場合は「海上警備行動」が発動され、海上における治安出動として海上自衛隊の護衛艦や対潜哨戒機が対応することができる。もっとも、海上警備行動で法的に海自ができることは海保と変わらないので武力行使は許されておらず、不審船に容赦無くミサイルを撃ち込んで沈めるようなことはできない(当該艦船が日本への攻撃の意思を示した場合は「防衛出動」となり、武力行使が可能となる)。
装備
- 自衛艦についてはリンク先参照
- ※印は退役済み
ヘリコプター | SH-60J/K/L対潜ヘリ | UH-60J救難ヘリ | MCH-101掃海・輸送ヘリ | ※MH-53E掃海ヘリ |
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対潜哨戒機 | P-3C | P-1 | ※TBM-3W2 | ※PBY-6A |
※P2V-7/P-2J | ※PS-1 | |||
その他 | US-2救難機 | ※US-1/1A救難機 |
関連タグ
かわぐちかいじ 海上自衛隊に配属された空母や海上自衛隊所属隊員の操艦する原潜が活躍する漫画や、太平洋戦争時代にタイムスリップしたイージス護衛艦と乗員達を描く漫画、戦後初の空母を用いて中国と相対する漫画等を手がけている。
外部リンク
・海上自衛隊〔JMSDF〕オフィシャルサイト
・海上自衛隊呉史料館 / てつのくじら館