概要
新明和工業が開発し、1976年より海上自衛隊が運用する救難飛行艇で、対潜哨戒機のPS-1を大幅に改修したもの。
新明和工業は戦前・戦中に二式大艇等を開発した川西航空機の系譜に連なる企業である。
救難飛行艇にはヘリコプターで行けない遠距離での救難に対応し、船舶よりもはるかに高速という利点があり、それらを最大限活用した機体となっている。
PS-1同様、圧縮した空気を翼上面に吹き出して境界層剥離を防ぐ境界層制御(BLC)システムを備え、STOL性能に優れ(最低飛行速度90km/h)、波高3mでも着水可能である。
ターボプロップ4発機だが、BLC用のターボシャフトエンジンも1基積まれている。
機内はコックピットを除き与圧されていないため、高高度を飛行できない。
また、荒れた海へ強行着水するなど激しい使われ方をするため、航空機としては機体寿命が短命である。
沿革
PS-1は機体に問題が多かったために大量導入を見送られたが、新明和工業は改修して救難飛行艇とすることを海上自衛隊に提案した。
1972年と1973年に防衛庁が「水陸両用救難飛行艇」として、陸上離着陸能力を持たせた試作機を発注した。
1974年10月6日、試作機「PS-1改」が初飛行。
1976年6月、海上自衛隊で運用が開始され、「US-1」の名称が与えられた。
1981年の7号機より、エンジンがT-64-IHI-10Jに換装され、「US-1A」となった。
1991年、「オスプレイ」の調達が決定され、US-1Aは調達終了の予定だったが、オスプレイの開発が難航し実用化の目途が立たず、US-1Aの生産が再開されることになった。新明和工業は後継機「US-1A改」(のちのUS-2)の開発に着手した。
1999年、調達終了の予定だったが、US-1A改の開発が汚職事件で遅れたため、防衛庁は19号機を発注。
2005年2月22日、20号機が納入され、US-1Aは生産終了。
2016年時点で3機が運用されている。
2017年12月にすべての機体が後継機「US-2」に任務を託して海上自衛隊から退役した。