概要
1935年にコンソリデーテッド社が開発し、アメリカ海軍に制式採用された飛行艇で、ボーイング社で製造された機体(PB2B)もある。
「カタリナ」、「キャット」などのニックネームを持つ(「カタリナ」はロサンゼルス沖のカタリナ島から)。
飛行艇としては世界最多の3,305機が生産され、第二次世界大戦中は対潜哨戒、沿岸警備、捜索救難、輸送、機雷敷設などでアメリカ海軍の後方を支えた。戦後も暫く使用され、1957年に退役した。
主翼はパラソル配置(支柱を立てて胴体から離した高翼単葉)で、翼端のフロートは引き込むとツライチとなり、翼幅を延長するようになっている。
当初は四発機として開発される予定だったが、プラット・アンド・ホイットニー社のR-1830(ツインワスプ)の採用で双発で済む事となり、生産性・整備性に大きく貢献した。
飛行艇としては比較的小型で最大速度も280km/hだが、4,800km以上に及ぶ航続距離を持っていた。
5A型は引き込み式車輪を装備し陸上での運用も可能である。
太平洋戦争勃発時には旧式化し、PB2Y(コンソリデーテッド社)、PBM(マーチン社)などの後継機も採用されていたが、生産性・整備性に優れるPBYは主力であり続けた。
イギリス、カナダ、オーストラリア、ソ連などに供与され、陸軍航空隊にもOA-10として採用された。
非凡なる平凡
古式蒼然とした設計・形態や、凡庸な性能から、日本ではともすれば二式大艇を持ち上げるためのsage要員として扱われやすいが、開発時期も運用用途も違うので、そもそも比較のしようはない。
特筆すべきは3,000機を超す数の力と、高い信頼性、稼働率に裏打ちされた、「大洋をカバーする広い監視の網」である。PBYは哨戒、輸送、救難・救助など、地味だが極めて重要な裏方の仕事を黙々とこなし続けた。現代であればヘリコプターの役目だが、当時は大海のど真ん中で孤立した離島や遭難者を救うには、飛行艇に頼るしかなかった。
PBYの監視網に引っかかって襲撃された日本艦隊は数多く、救助活動は士気の維持と戦力の早期回復に大いに役立った。派手な戦歴はなくとも、その活躍は連合国の勝利に間違いなく貢献した。
日本の飛行艇群も幾多の活躍が語り継がれているが、いかんせん絶対数の不足から、連合国側ほどの網は広げられなかった。
戦後はブラジル、スウェーデン、台湾、日本などに供与されている。扱いやすく維持が用意な点から、民間機としても旅客機、輸送機、消防機などに用いられた。もちろん、動態保存機も少なくない。
関連イラスト
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