概要
新明和工業が開発し、1970年から1989年まで海上自衛隊で運用された対潜哨戒機。
新明和工業は戦前・戦中に二式大艇等を開発した川西航空機の系譜に連なる企業である。
トラブルが相次ぎ開発期間が長くかかったが、1970年代には対潜哨戒機としての飛行艇の存在意義は無くなっており、PS-1は登場時から時代遅れになっていた。構造的欠陥から事故も相次ぎ、23機の製造に終わり税金の無駄遣いと非難された。
PS-1は結果的には失敗作だったが、その設計は救難飛行艇US-1、そしてその発展形であり現在も活躍するUS-2への中継ぎの役目を果たした。
沿革
新明和工業の菊原静男技師は、1953年頃から飛行艇の開発を構想していた。
1957年、防衛庁に新型飛行艇の開発を提案。
1960年、グラマン社(アメリカ)は、飛行艇技術の自社への移転を望み、新明和工業に改造ベースとしてHU-16を1機提供し、実験機「UF-XS」が製作された。
防衛庁は「吊り下げ式ソナー(ディッピングソナー)」の運用に飛行艇が最適と考え、新明和工業にソナーを主、ソノブイを従として運用する対潜飛行艇「PX-S」の開発を指示した。
UF-XSは、1962年から1966年にかけて実験と調査を行った。
当時、海上自衛隊はロッキードP2V-7「ネプチューン」を採用していたが、居住性や探知能力に問題があり、川崎重工が改造しP-2Jとした。P-3Cの導入がロッキード事件の煽りを受けて白紙に戻されてしまい、1979年まで主力対潜哨戒機として運用された。
1965年5月、防衛庁は新明和工業に対して試作機の製作を命じ、「高揚力装置と自動安定装置による超低速飛行」「BLCシステムによるSTOL性能」「波高3mでの離着水が可能」などの要求が盛り込まれた。
1967年10月24日、PX-Sが初飛行。実験ではトラブルが相次いだが、装備品運用計画を変更することはできず、PX-Sは1968年7月31日に海上自衛隊へ納入され、岩国航空基地で運用試験が行われた。
1970年、「PS-1」として制式導入が決定。
1973年3月1日、第31航空隊へ配備された。
当時のソ連潜水艦は急速に高性能化しつつあり、配備されてみると能力不足が明らかになる。ソノブイの改良により、ディッピングソナーの優位は無くなっていた。水上での安定性に問題があり事故が相次いだ。退役までに6機が事故で失われ、自衛隊員30名以上が殉職した。
対潜ヘリコプターの発展により飛行艇の需要は無くなり、グラマン社から技術協力を頼まれる事も無かった。
1980年8月、防衛庁はPS-1の調達打ち切りを決定し、23機で生産終了。1989年、対潜哨戒機としてP-3Cが導入されると、PS-1は完全に無用の存在となり全機退役した。
PS-1の度重なる改修で得た技術を生かすべく、1970年代に多用途化が計画され、後にUS-1が開発された。
PS-1は岩国航空基地のアメリカ海兵隊エリアに1機のみが現存。(2022年3月現在)