もしかして→ロッキーポート事件
概要
1972年6月17日に起きた「ウォーターゲート事件」の捜査の過程で、当時のアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンへの不正献金からの流れで明らかになった。
日本やアメリカ、オランダ、ヨルダン、メキシコなどの政治・経済界を巻き込む一大疑獄となった。
事件の詳細
昭和51年(1976年)2月4日、米国上院・多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社が航空機売り込みの工作費として1000万ドル(約30億円)を極秘のうちに使っていた事実が暴露された。
証人として出席したロッキード社の会計管理人、アーサー・ヤング公認会計事務所のウィリアム・フレンドレーは「約700万ドルが、ロッキード社の秘密代理人だった児玉誉士夫に手渡された」と証言した。公表した資料には、児玉の書いた領収書を英語に書き直した物のコピー、ヒロシ・イトーなる人物が署名した「ピーナッツ受領」の領収書など5点があった。
丸紅の伊藤宏専務は2日後、自分の署名であることを認めた。また、ロッキード社のアーチボルド・コーチャン副会長は「児玉に払った21億円のうちいくらかが国際興業社の小佐野賢治社主に渡った。丸紅の伊藤宏専務に渡った金は日本政府関係者(複数)に支払われた」と証言した。
政府関係者とは誰か?ロッキード疑惑は日本の政界を揺るがせた。
東京地検特捜部と警視庁の捜査によると、売り込み工作は昭和47年8月の田中・ニクソン会談で行われた。ロッキード社からは3つのルートを通じて20億円から30億円もの金が流れた。田中角栄はそのうち丸紅ルートから5億円を受け取ったという。全日空ルートからは共産党を除く与野党数十人の国会議員に贈られた。しかし、児玉が病気を理由に入院して事情聴取ができなかったため解明されなかった。
同年7月27日、角栄は外国為替法違反などの疑いで逮捕された。容疑は角栄が昭和48年(1973年)8月から7ヶ月間に4回にわたり計5億円を受け取った、というものであった。東京地検は、角栄を「総理の地位を利用した受託収賄罪」で追起訴した。
昭和58年(1983年)10月12日の第一審判決は有罪(懲役4年、追徴金5億円)となった。ピンチに追い込まれた角栄を救ったのは2ヶ月後の総選挙の結果であった。再び獄中から立候補した角栄は過去最高の22万票を獲得してトップ当選した。これは新潟三区有権者数の47パーセントを占めるという驚異的な数字だった。「こりゃまさに百姓一揆だな」と角栄は感激した。
しかし角栄の熱心な支持者は「新潟三区」と「永田町における田中軍団」のみであり、一般国民やマスコミからは孤立していた。長年の盟友、大平が昭和60年(1985年)に死去してから、角栄の唯一の拠り所は「自派閥の拡大と院政の強化」となった。このために飴とムチで目的達成のため狂奔したが、飴とは金とポストであり、ムチは田中派に入らないとその選挙区に対立候補を立てるという脅しであった。
角栄が首相時代にインドネシアやソ連などを訪問して積極的に展開した「石油資源外交」が、ロックフェラーに代表される米英・石油メジャーの逆鱗に触れたのだという。ちなみに、事件の発端となった小包の届いた上院多国籍企業小委員会の委員長・チャーチ上院議員はロックフェラーのお抱え弁護士だった。
影響を受けた作品
コラージュ・カメラ…藤子・F・不二雄の漫画でSF短編の1つ。本件を元にしたとされる政治家汚職事件「ブラッキード事件」が取り上げられている。
Yロウ作戦…同じく藤子・F・不二雄の作品である、ドラえもんのエピソードの一つ。「Yロウ」というひみつ道具のネーミングは「賄賂」をもじったものである。
関連項目
- ロッキード
- マクドネル・ダグラス
- ボーイング
- この事件の影響でライバルがいなくなり、漁夫の利を得た。