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概要編集

本名:藤本弘富山県高岡市出身。日本漫画界における大御所の一人。


後にパートナーとなる安孫子素雄(後の藤子不二雄Ⓐ)とは小学校の頃に出会う。デビュー当初から「藤本作」「安孫子作」「合作」の3種のマンガを描き、すべてを藤子不二雄という共通のペンネームで発表していたが、1987年12月に独立を発表。1988年から藤子不二雄Ⓕとして活動を始めたが、石ノ森章太郎の助言によって1989年からは藤子・F・不二雄に改名した。


安孫子との合作で1960年代には『オバケのQ太郎』『わかとの』『名犬タンタン』『ベレーのしんちゃん』『ジロキチ』『パーマン』『チンタラ神ちゃん』などの多数の漫画を執筆した。

1970年代には合作『仙べえ』を連載。1976年に執筆した『オバケのQ太郎』の読切が実質的な最後の合作とされている。


手塚治虫に強い影響を受けている。高校2年の頃からアマチュア投稿作品に「手塚不二雄」という安孫子との共通ペンネームを使うようになり、1951年12月の高校3年のときに「あびこもとお・ふじもとひろし」名義でプロデビュー。1952年11月から1953年7月までは「足塚不二雄」名義で作品を発表した。「手塚」だと気が引けるので「手」を「足」にしたという。

1953年7月の『旋風都市』から「藤子不二雄」に改名。

手塚治虫の熱狂的な信者としても知られ、一時期はトキワ荘で手塚治虫が住んでいたトキワ荘14号室に安孫子と暮らしていた。手塚治虫の原稿を手伝ったこともある。


作風編集

藤子・F・不二雄は初期手塚の画風を引き継ぎ、丸っこく太い線で描かれた記号的かつシンプルな絵柄を特徴とする。プロデビュー後2年ほどの1954年にはすでに『ローマ便り』『ゆりかちゃん』等で藤本弘タッチともいえる繊細で愛らしい画風を見せており、手塚タッチの模倣を脱却している。


作品の傾向として科学SFパロディ恐竜を扱ったコメディが多い。ユーモアあふれる着想の子ども向け作品に定評があり、F自身も自分を基本的に子ども向け漫画家と考えていたが、ブラックユーモアを多分に含んだ大人向けのSF短編も発表しており、青年漫画に新境地を開いた。ファンからはそれらの作品について「ブラックな方のF先生(作品)」「F先生のA面」と評されている。子供向けの「ドラえもん」原作などでもその黒さの片鱗は時折垣間見えてはいる。また、Aの恐怖表現がベタを多用した黒・闇であるのに対し、Fは白を主軸にしたコントラストで恐怖表現をするのが得意だった(例:日の出ている日中の町中で無人というシーン)。


晩期は病魔と戦いながらの執筆であり、第9作の劇場版ドラえもん「パラレル西遊記」は体調がひどすぎたため、作者ではなく映画監督の作品(そのため大長編ドラえもんではない)、第13作の『雲の王国』も劇終盤は原稿を描けず、絵コンテの掲載となってしまった。最期は大長編ドラえもんシリーズの執筆中に仕事場で倒れていたのを家族が発見したが、そのまま帰らぬ人となった。師と仰ぐ手塚治虫と同じく、漫画家としての活動の最中に最期を迎えた事となった。


趣味・嗜好編集

大のホビー好きである。『ドラえもん』の野比のび太は、小学生時代の藤本本人がモチーフになっているという。スネ夫の自慢やのび太のおねだりは大概リアルタイムの本人の影響を受けまくっているらしく、三人の娘より速く流行のオモチャを買ってくることがあったとか。またスネ吉の趣味も本人のこだわりを投影したマニアックなものが多い。特撮、ジオラマ、ラジコン、鉄道模型なども挙げられる。


大の写真、カメラ好きとして知られ、ひみつ道具にこだわりがあるとするならば、自分の好きな道具やおもちゃをこう実現させてみたい、という願望を描いたものが多く、中でもカメラは本人がこだわりを見せていた(コロコロコミック特集より。劇中に登場したものだけでも20以上ある)。ドラえもん以外にも、SF短編ヨドバ氏シリーズ等に反映されている。


自他ともに認める読書家な上に、大の恐竜好きであり、アシスタントを務めていたむぎわらしんたろうに「翼竜関節のつき方が違う」と突っ込みを入れたこともあった。同じトキワ荘の同志であった赤塚不二夫は「読書家の藤本からいろいろな事を教えてもらった」と評している。


他にFが好きだったものの一つとして落語が挙げられ、劇中にも色々と落語をパロディにした小ネタ、また話そのものが、落語が元ネタのものが多い。


クラシック音楽にも造詣が深かったが、これはドラえもんには一切ネタとして登場していないので、そこまで知られていない。一方、エスパー魔美では富山というマニアックなキャラクターを出してまで、その情熱や蘊蓄を語るシーンがある。


Aと共通する趣味として旅行がある。中でもFは遺跡巡りに注力し、特にマヤアステカインカといった中南米の遺跡を好んで訪ねていた。これはドラえもんの他T・Pぼんなどにも顕著に表れている。


藤本は『のび太とアニマル惑星』で自然環境保護問題を扱い、裏山のゴルフ場開発に反対する場面を描いたが、作中で描かれているのはあくまでも無計画な自然環境破壊への疑問であり、ゴルフを嫌っていたわけではない。自身でのゴルフプレイは苦手としつつも、時折プレイを楽しんでいた(その様子は『未来の想い出』に描かれている)。なお、大のゴルフ好きとして知られた藤子Aこと安孫子素雄も『プロゴルファー猿』の作中で、ゴルフ場建設による環境破壊に警鐘を鳴らす描写がある(ミスターXもゴルフ場開発の闇ブローカー)。


近鉄バファローズのファンであったことでも知られるが、作中でバファローズの名前が出てきたことはない。


主な作品編集

下記の3例を除くほぼ全ての連載作品を「藤子不二雄」名義で発表。

【例外】『ドラえもん』と『チンプイ』の1988年以降の掲載分。1991年の連載『未来の想い出』。



安孫子との合作を含む作品編集

  • オバケのQ太郎(合作。独立後はFA両併記名義。多くの回で藤本がネームを担当しているが、安孫子がネームを担当した回は初期以外にも存在する)
  • オバケのQ太郎(合作。独立後はF単独名義。ネームはすべて藤本が担当。1976年の最終作まで安孫子が正ちゃんの作画を担当している)
  • パーマン(独立後はF単独名義作品となったが、1966年連載開始の旧作は安孫子との合作。1984年連載開始の新作は藤本単独作)
  • てぶくろてっちゃん(1960年連載開始作は藤本単独作。1966年の作品はネームを交互に担当した合作)
  • ベレーのしんちゃん(ネームを回ごとに担当した合作。後の『ドラえもん』と同じネタも登場する)
  • わかとの(安孫子メイン作だが、藤本が主役わかとのの作画を担当。独立後は安孫子単独作扱い)
  • 名犬タンタン(合作。藤本が主役タンタンとみどりの作画を担当)
  • ジロキチ(合作。探偵もの。主役の探偵側を安孫子、犯人側を藤本が担当。『パーマン』にも出てくる千面相も登場する)

その他編集

漫画家である小林よしのりは小学館のパーティーに出席し他の参加者たちが談笑している中で、何故かぽつんと座っているFと遭遇する。どうやら大御所ゆえに他の漫画家から畏れ多いと思われていたらしく、内向的な一面があったFも、自分から話しかけられない事に寂しさがあったらしい。


トレードマークのベレー帽だが、最初は被っておらず相棒であるAの方が様になっていると思っていたものの、いつの間にか自分も似合ってしまったとの事。ただし、同じくベレー帽を被っていた恩師である手塚治虫を意識していたようである。


生涯、タバコを吸わなかったAとは逆に愛煙家であり、特にパイプを愛好していた。執筆でもパイプを咥えている光景が写真で記録されている。一方で、酒好きとして知られたAとは逆に、酒はあまり飲まなかった(決して下戸ではなかったらしいが、付き合いの嗜み酒程度だった)。


ちなみにタバコに因んだひみつ道具もあったりする。のび助が使っていた「うきわパイプ」や関連品のシナリオライターなどである。また、色々な作品に、妙にリアルな、パパが禁煙に挑戦しようとする話がある。


温厚な人物として知られ、滅多な事では怒らなかったと言われているが、「映画ドラえもんの主題歌から武田鉄矢を降板させないか」という提案をスタッフから受けた時は普段からは考えられないような怒りを見せて却下したとされる。また、敬愛する手塚治虫を悪く言った編集者を締め出したというエピソードも伝わる。


表記揺れ編集

誤った表記編集

関連タグ編集

漫画家 藤子不二雄 藤子不二雄Ⓐ

むぎわらしんたろう 方倉陽二 たかや健司

えびはら武司 羽中ルイ

SF(すこし・ふしぎ)

藤子・F・不二雄ミュージアム

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