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トキワ荘

ときわそう

東京都豊島区の椎名町駅近くに存在した賃貸アパートで、1950年代に多くの有名漫画家が新人時代を過ごした。
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概要

東京都豊島区椎名町駅近くにあった賃貸アパートで、1952年に建てられた。
1953年に手塚治虫が入居し、次に入居した寺田ヒロオの提案で若手漫画の共同生活の場となることになり、藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫などの漫画家がここを住居兼仕事場として生活し、スターとなっていった。
まんが道」で描かれているトキワ荘はボロアパートに見えるが、上記の通り諸漫画家がここで活動していた時はまだ新築のアパートだった。
また、漫画家だけではなく一般人も入居していた。

1982年、トキワ荘は老朽化に伴い取り壊され、トキワ荘に集った漫画家達が集結して「トキワ荘同窓会」を開いた。
跡地にはバス・トイレ付きの賃貸アパートが建てられたが、バブル景気の最中、地上げにより更地となり、現在は日本加除出版の社屋が建っている。
2012年4月13日、日本加除出版が豊島区に敷地を無償で提供し、記念碑が設置された。

このトキワ荘に住む・集う漫画家達の研鑽集団『新漫画党』は、その後の漫画界を担う漫画家達として活躍する事となる。
「新人漫画家同士の切磋琢磨が可能な環境」「原稿の穴埋め・締め切り直前のための助っ人を呼べる環境」「穴埋めでも機会を待つ新人漫画家の待機所」などの条件により、新人漫画家を輩出するための環境が整っていった。住人となった各漫画家が手伝い合う事もしばしばで、作画に関しては合作に近い事もあった。この事がスキルアップに繋がっていった。
後に大成した漫画家たちが集ったのは偶然ではなく、先住者からある程度実力を認められていた者(「漫画少年」の漫画レクチャーのコーナーの読者投稿で特に優秀とされた者)が紹介されて入居したというのが真相のようである。

男だらけのトキワ荘メンバーのイメージが強いが紅一点の水野英子が四ヶ月程居た。当時、トキワ荘に女の子の漫画家が来ると言う事で「U・マイア」として合作を手がけた石ノ森と赤塚を始めトキワ荘の男共は水野の作品のような女の子に違いないと勝手に色めき立っていたが、いざやってきた水野がやけにボーイッシュだったのと想像とかけ離れた容姿に一気に萎えた(?)らしい。それでも男だらけのトキワ荘に女の子一人放り込まれるような状況でも大丈夫だったのは当時赤塚の母・リヨや石ノ森の姉が既に同居していたのもある。
水野のトキワ荘の回想録漫画では、赤塚の母は皆の母、石ノ森の姉は皆の姉といったイメージがあった様子。

赤塚不二夫は後にここで漫画家修行した仲間達を「(ただの)友人じゃないんだよね、兄弟なんだよ。」藤子・F・不二雄逝去時のコメントより)と述べている。

トキワ荘出身者が大成した後、新人時代を振り返って話題にしたことにより、現在は日本漫画界の聖地として広く知られているが、それまでは漫画関係者や近隣のひと握りの住民などにしか知られていない場所であった。

1970年頃にはトキワ荘を意識して女流の新人漫画家が集って「大泉サロン」が形成された。

現在では東京都内や京都で新人漫画家向けの賃貸住宅サービスが行われている。

2020年、トキワ荘跡地から西約300mの南長崎花咲公園内に区立トキワ荘マンガミュージアムが開館した。

トキワ荘での食生活

  • ラーメン:A先生的に言えば「ンマーイ!!」これは豊島区に実在する中華料理店「松葉」のラーメンが特に美味と描写され、いわば漫画界の大御所が愛した味として探訪者が訪れるほど。他にもインスタントラーメンのごちゃ混ぜに煮たものもあり。
  • メンチカツパン:フランスパンに切れ込みを入れてメンチカツを挟んで、さらに「パンッ!」と叩いて仕上げたもの。朝食によく食べられたそうである。
  • チューダー:焼酎をサイダーで割ったものでチューハイに近いが、極端に焼酎を少なく入れてサイダーで割るというか水増ししたもの(焼酎1:サイダー9だとされる)。トキワ荘メンバーの酒盛りの定番だったとのこと。ちなみに先述の「松葉」でも再現されたものが提供されている。
  • キャベツ:時に主食、時に缶詰と共に酒のツマミとなった。


関連タグ

手塚治虫 寺田ヒロオ 藤子不二雄 鈴木伸一 森安なおや 石ノ森章太郎 赤塚不二夫 よこたとくお 水野英子 山内ジョージ つのだじろう(住人ではないが、石ノ森・赤塚・藤子らとともに新漫画党のメンバー)
梁山泊 虎の穴 劇画村塾

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