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概要

本名:寺田博雄。1931年8月4日新潟県西蒲原郡巻町に生まれる。愛称は「テラ(寺)さん」。

手塚治虫らと共に戦後の漫画業界の夜明けに活躍した漫画家の一人。
トキワ荘に有望な若手漫画家を集められたのは彼の提案だったと言われている。
作品が積極的に単行本化されるようなタイプの漫画家ではなかったため、『まんが道』やトキワ荘関連の書籍で名前がよく出てくるのに、肝心の作品自体は殆ど読む手段がないという状態が続き、一時期は幻の作家のように扱われていた。

トキワ荘に集まった漫画家達のリーダー格で、仲間と共に「新漫画党」を結成した。
トキワ荘のメンバーである藤子不二雄の自伝的漫画「まんが道で頼もしい兄貴分として描かれている様に面倒見のいい先輩であった事が関係者の話で伝わっている。事実、原稿を落とした事で一時期干された形になった藤子不二雄コンビを助け、中々芽が出なかった赤塚不二夫が漫画家をやっていく事を諦めかけた時も励ましたりと後に彼らが大御所として大成する道を歩むか否かのターニングポイントのキーマンとなった人物でもある。その為、トキワ荘を語る上では漫画の神様こと手塚治虫に次いでトキワ荘伝説の最重要人物の一人となっている。
ただそれゆえにかなり心痛していた部分もあったようで、そういったつらさを語れた親友は、漫画家仲間のひとりであった棚下照生(「たなか てるお」と読む)しかいなかった。
戦後のエンタメ界に偉大な足跡を残した作曲家のひとり、中村八大と義兄弟であった(この人の妹を嫁にもらったため)。

代表作は、「背番号0」、「スポーツマン金太郎」、「暗闇五段」等。

彼は、子供の読む漫画は健全で明朗でなければならないと言う確固たる信念を持っており、その信念と真逆の殺伐とした刺激的なものが描かれる劇画を批判していた。自分の漫画が掲載されている雑誌に劇画が掲載されると雑誌の編集部に劇画の掲載停止を訴えた事、さらには直接面識の無いさいとう・たかをに説教の手紙を送りつけたこともあったほどである。
この時期にはトキワ荘メンバーとの間でも距離感があったらしく、まんが道でも満賀(藤子A)があれだけ兄貴分として慕ってきた近い存在だった寺田と自分達に距離感が出てきていた事を寂しく思っていた事を描かれている。


しかし、彼の信念は受け入れられずついに断筆。トキワ荘の仲間たちと関わる事もほとんどなくなり、1990年に仲間を集めて宴会をしたのを最後に世間との交わりを絶ち、世捨て人のような生活を送った。なお、仲間達を見送る際は何度も姿が見えなくなるまで手を振っていたとされ、交わりを絶つ度合いは翌日以降に仲間達からの電話でさえも拒んでいたとされている。
とはいえ、そんな中でも熱心な漫画家志望者にはアドバイスをする事をしていたとも言われている。

1992年9月24日、自宅の離れで亡くなっているのが発見された。なお、その死に関しては、嫁、棚下、そして藤子不二雄Aは、ニュアンスは違えど異口同音に「自殺に近いような死に様だったのかもね・・・・・・・・・・」と語っている。

映画「トキワ荘の青春」は本木雅弘演じる寺田が主人公となり、トキワ荘での生活、そして時流に取り残されていく寺田の姿が描かれている。

関連タグ

サラリーマン金太郎 - 本宮ひろ志による漫画、タイトル由来は当然スポーツマンから。
TOKYOTRIBEⅡ - 井上三太による漫画、そのまんまテラさんなるキャラが登場した。
まんが道 - 続編『愛しりそめし頃に』にて、上述した出来事がみられる

トキワ荘

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