ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

概要編集

日本の漫画家。(1934年3月22日 - 2003年)本名:田中照生。宮崎県延岡市生まれ。


代表作は『ヒマラヤ天兵』(1959年)、『めくらのお市物語』(1967年)、『旅がらすくれないお仙』(1968年)など(いずれもドラマ化している)。妻は元女優の松山容子。メイン画像は『小手丸鉄平』。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。


少年誌への投稿漫画がきっかけで寺田ヒロオと知り合い、親交を深めた。真面目な性格であった寺田と対照的に棚下は酒を愛し無頼漢な性格の持ち主であったが、そんな彼だからこそ、寺田にとって、唯一の悩みを打ち明けられる仲でもあった。


 1960年代に発表された棚下の作品群は、後の、かなりシリアスな話のメディアとして機能するメディアとして、漫画を認知させる一助となっている。


 棚下の『めくらのお市』が実写映画となった際に、主役を演じたのが当時アクション女優の松山容子であった(昭和の頃にこんなんがあった)。

 またその原作の1話『ねじれ花』で、主人公お市が、自身を

松山容子に居合抜きを教えた大先生

と言っている。


 70年代以降は青年誌を中心とした劇画の隆盛に押され、発表作も激減し、不遇な面もあった。棚下が副業として新宿区で営んでいたミュージックパブには時折、手塚治虫が訪れ、得意のピアノ演奏を披露したりしていたという。


 91年、盟友の寺田を看取り(自殺に近い死に方であったという証言を残している)、その12年後に肝硬変で死去した。

関連記事

親記事

漫画家 まんがか

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 54

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました