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2012年JRA CM「有馬記念」編より
概要
毎年12月後半の年末に中山競馬場の芝2,500mコースで争われる、JRA(日本中央競馬会)主催の重賞レース(格付けはGⅠ)。
グレード制導入以前の重賞競走で最も格式と名誉を持つとされた旧八大競走の一つに数えられ、2000年以降は秋古馬三冠競走の最終戦にも位置づけられている。
出走馬をファン投票で決める「秋のグランプリレース」であり、初夏開催の「宝塚記念」と続けて勝利すると「春秋グランプリ連覇」として高評価を受ける(暦上は冬の開催だが、宝塚記念同様「秋競馬」の締めくくりとして実施されるためこのような呼称がなされる)。ちなみに正式名は「有馬記念(第○○回グランプリ)」(○○には施工回数が入る)だが、一般的には「第○○回有馬記念」と呼ばれる。
「競馬は詳しくないが「有馬記念」の名前は知っている」、「普段は競馬はやらないが、年に一度有馬だけは馬券を買う」など、日頃は競馬に縁のない人々からの知名度も高い。
1996年には有馬記念の1レースだけで約875億円の馬券を売り上げて世界記録としてギネスブックに掲載されており、現在も英国の障害競走「グランドナショナル」と並んで世界的にも売上の多いレースである。
レースの傾向として2年連続で好走する馬や、3着に人気薄の馬が突っ込んで来る事もたまにある。
また、当レース自体が年度代表馬決定戦としてみなされる事が多く、有馬記念を勝って年度代表馬に選出、あるいはJRA賞最優秀馬を受賞した馬も多い。
その一方で、中山コースのトリッキーさもあってか、ディープインパクトの史上初にして唯一の黒星の舞台となった他、64年ぶりの牝馬ダービー制覇を成し遂げたウオッカ、ジャパンカップにて芝2,400mの世界レコードを樹立したアーモンドアイのような名牝でもキャリア史上最大の大敗を喫することも珍しくはなかったりする。
IFHA(国際競馬統括機関連盟)が発表する「世界のトップ100GIレース」によると、2019年の格付けランキングでは世界6位タイ、日本国内のレースでは宝塚記念についで2位に位置付けられている。2020年は世界10位、日本国内では4位となっている。
前史
1956年創設。
「春の日本ダービー(東京優駿)に対し、年末にも名物となるレースを作りたい」とする、当時のJRA理事長・有馬頼寧(ありま・よりやす)の呼び掛けにより、プロ野球のオールスターゲームを参考にした「ファン投票で出走馬を決定するレース」として設定された。
有馬氏は旧久留米藩主の伯爵家であった有馬家の15代当主で、農政学者として大学で教鞭をとった後に貴族院議員として農林大臣を歴任。
政界を下野した後は日本の競馬界だけでなく、プロ野球チーム東京セネタース(現在の北海道日本ハムファイターズと埼玉西武ライオンズのルーツで戦時中に解散)の経営や、卓球界の基礎づくりにも貢献した。
当初は「中山グランプリ」と仮称され、ファンから正式名を公募したが、約3800通が寄せられたものの結局妙案が無かったため、この呼称を正式名として実施されることとなった。そして1956年12月23日、新スタンドを設けた中山競馬場で第1回「中山グランプリ」が開催される。
出走馬12頭中天皇賞優勝馬が3頭・クラシック競走優勝馬4頭と当時の強豪馬が一堂に会したこのレースは、当時1万人入場すれば盛況とされた中山競馬場に約2万7800人が入場するという大好評をもって迎えられた。
ところが第1回中山グランプリから僅か17日後の1957年1月9日、発起人の有馬氏が急性肺炎のため72歳で急逝。
有馬氏の理事長在任期間は2年に満たなかったが、競馬の大衆化などに尽力した有馬氏の生前の功績を讃えて、「中山グランプリ」はこの年から同氏の名を冠した「有馬記念」に改称され、現在に至る。
現在のJRA重賞レースで皇族と海外王族以外の個人名がついているものは、他に初代JRA理事長である安田伊左衛門に由来する安田記念のみである。
レースの変遷
2000年にジャパンカップの賞金額が大幅に増大されたことや菊花賞と秋華賞の開催時期が早まったことで、それまでの有馬記念の「3歳馬と古馬が集結する年末の大レース」という立ち位置が被るようになり、ジャパンカップを目標にして有馬記念を回避する有力馬が増え始める。
ただし、1990年代以前はその逆のローテーションを組むことも珍しくはなかった。
また日本馬の強力化や香港国際競走の拡充などもあってジャパンカップに参戦する外国の有力馬が減ったり、マイル~中距離路線を進む国内馬が香港を選択するケースが増えたりもした。
それでも日本競馬の年末の一大イベントという扱いは健在である。
2016年に17年ぶりにジャパンカップと賞金が同額化。
2020年、現在毎年後日に開催されるホープフルステークスが中山大障害と同日に行われ、一年で最終開催GⅠとしての有馬記念が4年ぶりに復活した。
余談であるが、地上波を含めたテレビ中継においてフジテレビは有馬記念の実況を最上級クラスとしているようであり、歴代のアナウンス部長やそれに準ずる管理職が実況を担当する傾向である。
有名アナウンサーとして鳥居滋夫、盛山毅、大林宏、大川和彦、堺正幸(連続14年含む計17回担当)、三宅正治、塩原恒夫、青嶋達也などがおり、数多くの名フレーズも誕生した。
競走条件
サラ系3歳以上(出走可能頭数:最大16頭)
JRA所属馬(ファン投票選出馬、及びJRA選定馬)
地方競馬所属馬(JRA選定馬のみ)
外国調教馬(最大6頭まで、優先出走)
出走馬の選定方法は以下の通り。
特別登録を行った馬のうちファン投票上位10頭、及び外国馬は優先出走できる。
上記以外のJRA所属馬・地方競馬所属馬は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走における収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
負担重量
定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
枠順(馬番号)の決定方法について
2014年(平成26年)は出走馬の枠順(馬番号)決定方法についてJRA初の試みとして、「出走馬の関係者が希望する枠順を選択する方法」とされた。これに合わせて、テレビでの生中継がBSフジで放映された。
手順は以下の通り。
①枠順(馬番号)を選択する出走馬1頭を抽選で選定
②選定された出走馬の関係者が、希望する枠順を選択する
①→②を繰り返し、全ての枠順(馬番号)が決定する。
従来「枠順は抽選で決める」としていた競馬施行規程および規約が改正され、2014年(平成26年)11月25日に農林水産省から認可されたことで、このような選定方法が可能になった。
2015年以降は従来通り枠順も抽選に戻ったが、抽選会の生中継は引き続き行われている。馬名の抽選を行う際は、その年のJRAのテレビコマーシャルのイメージキャラクターとして出演した俳優などの著名人2名がゲストとして行う事が多い。抽選方法は以下の通り。
1.ゲスト抽選者が出走馬1頭を抽選で選定。
2.その競走馬の関係者(調教師・騎乗予定の騎手)が登壇し馬番号の抽選を行い、馬番号を決定。
上記を繰り返し、すべての枠順を決定。
ただし2については、2020年以降新型コロナウイルス感染拡大防止の為、別途招かれた元騎手または元調教師が全て担当し、出走馬の関係者は会場には出席しない。
歴代優勝馬及び鞍上騎手
太字はこのレースを勝ち、年度代表馬を受賞した馬である。
※強調タイムはレコード。
回 | 年度 | 優勝馬 | 騎手 | 備考 |
---|---|---|---|---|
昭和 | 創設・中山芝2600m | |||
第1回 | 1956年 | メイヂヒカリ | 蛯名武五郎 | 基準タイム2:43 1/5。中山グランプリとして施行。ラストラン。顕彰馬 |
第2回 | 1957年 | ハクチカラ | 保田隆芳 | 国内ではラストランとなる。顕彰馬 |
第3回 | 1958年 | オンワードゼア | 八木沢勝美 | |
第4回 | 1959年 | ガーネツト | 伊藤竹男 | 史上初の牝馬制覇 |
第5回 | 1960年 | スターロツチ | 高松三太 | 史上初の3歳制覇かつ史上唯一の3歳牝馬制覇 |
第6回 | 1961年 | ホマレボシ | 高松三太 | レコードタイム2:40.8。鞍上の高松は史上初騎手連覇。 |
第7回 | 1962年 | オンスロート | 山岡忞 | この年より外2600mで施行。 史上初地方競馬出身馬(マル地)制覇 |
第8回 | 1963年 | リユウフオーレル | 宮本悳 | 史上初関西馬の制覇、GP春秋制覇 |
第9回 | 1964年 | ヤマトキヨウダイ | 梶与四松 | |
第10回 | 1965年 | シンザン | 松本善登 | GP春秋連覇、五冠達成、ラストラン。顕彰馬 |
中山芝2500mで施行 | ||||
第11回 | 1966年 | コレヒデ | 保田隆芳 | 基準タイム2:37.0 |
第12回 | 1967年 | カブトシロー | 大崎昭一 | 6馬身差勝利。 |
第13回 | 1968年 | リュウズキ | 森安弘明 | |
第14回 | 1969年 | スピードシンボリ | 野平祐二 | レコード2:35.1 |
第15回 | 1970年 | スピードシンボリ | 野平祐二 | 史上初の有馬記念連覇、GP3連覇共に史上初、最高齢勝利(7歳)。顕彰馬 |
第16回 | 1971年 | トウメイ | 清水英次 | 古馬牝馬初制覇 |
第17回 | 1972年 | イシノヒカル | 増沢末夫 | 3歳牡馬初制覇 |
第18回 | 1973年 | ストロングエイト | 中島啓之 | 初重賞制覇が当競走 |
第19回 | 1974年 | タニノチカラ | 田島日出雄 | |
第20回 | 1975年 | イシノアラシ | 加賀武見 | 3歳制覇 |
第21回 | 1976年 | トウショウボーイ | 武邦彦 | レコード2:34.0。3歳制覇、翌年宝塚でGP秋春連覇。顕彰馬 |
第22回 | 1977年 | テンポイント | 鹿戸明 | TTG三強決戦。顕彰馬 |
第23回 | 1978年 | カネミノブ | 加賀武見 | レコード2:33.4 |
第24回 | 1979年 | グリーングラス | 大崎昭一 | TTG最後の勝利。 |
第25回 | 1980年 | ホウヨウボーイ | 加藤和宏 | この年の優駿賞年度代表馬に選出。 |
第26回 | 1981年 | アンバーシャダイ | 東信二 | ホウヨウボーイラストラン。 |
第27回 | 1982年 | ヒカリデユール | 河内洋 | 唯一のサラ系制覇 |
第28回 | 1983年 | リードホーユー | 田原成貴 | 3歳制覇 これが初&唯一の重賞勝鞍、ラストラン。 |
グレード制導入 | ||||
第29回 | 1984年 | シンボリルドルフ | 岡部幸雄 | レコード2:32.8、3歳制覇。 |
第30回 | 1985年 | シンボリルドルフ | 岡部幸雄 | 2頭目の連覇、七冠達成、国内でのラストラン。顕彰馬 |
第31回 | 1986年 | ダイナガリバー | 増沢末夫 | この年のダービー馬。メジロラモーヌラストラン。 |
第32回 | 1987年 | メジロデュレン | 村本善之 | 本命馬2頭落馬と故障競走中止と波乱の結末。 |
第33回 | 1988年 | オグリキャップ | 岡部幸雄 | 芦毛頂上決戦。タマモクロスはラストラン |
平成 | ||||
第34回 | 1989年 | イナリワン | 柴田政人 | レコード2:31.7。GP春秋連覇 |
第35回 | 1990年 | オグリキャップ | 武豊 | 史上初隔年制覇、ラストラン。顕彰馬 中山入場者数最多記録 |
第36回 | 1991年 | ダイユウサク | 熊沢重文 | レコード2:30.6。単勝配当有馬史上最高 |
第37回 | 1992年 | メジロパーマー | 山田泰誠 | GP春秋連覇 |
第38回 | 1993年 | トウカイテイオー | 田原成貴 | 史上初の父子制覇、事実上のラストラン。顕彰馬 中364日休養明け勝利はGⅠ史上最長記録 |
第39回 | 1994年 | ナリタブライアン | 南井克巳 | 3歳制覇(2着のヒシアマゾンも3歳であり、3歳によるワンツーフィニッシュ)、唯一の3歳五冠。顕彰馬 |
第40回 | 1995年 | マヤノトップガン | 田原成貴 | 3歳制覇、GP春秋連覇。指定交流競走に |
第41回 | 1996年 | サクラローレル | 横山典弘 | レース売上はギネス世界記録に認定。 |
第42回 | 1997年 | シルクジャスティス | 藤田伸二 | 3歳制覇。唯一のGIタイトルとなる。 |
第43回 | 1998年 | グラスワンダー | 的場均 | 3歳制覇、初の外国産馬制覇 |
第44回 | 1999年 | グラスワンダー | 的場均 | 3頭目の連覇(外国産馬による連覇は初)、春秋連覇&GP3連覇、1998年日本ダービー馬スペシャルウィークはラストラン。 |
第45回 | 2000年 | テイエムオペラオー | 和田竜二 | GP春秋連覇、秋古馬三冠達成、古馬王道GⅠ年間全勝。顕彰馬 |
第46回 | 2001年 | マンハッタンカフェ | 蛯名正義 | 3歳制覇、前年覇者・テイエムオペラオーと、同年宝塚記念馬メイショウドトウはラストラン。 |
第47回 | 2002年 | シンボリクリスエス | O・ペリエ<フランス> | 3歳制覇、外国人騎手有馬初制覇、1999年菊花賞馬ナリタトップロードはラストラン。 |
第48回 | 2003年 | シンボリクリスエス | O・ペリエ<フランス> | レコード2:30.5。4頭目の連覇達成、最大着差9馬身のラストラン。 |
第49回 | 2004年 | ゼンノロブロイ | O・ペリエ<フランス> | レコード2:29.5(2023年終了時点で未だ更新されていない)。史上2頭目の秋古馬三冠達成、同一騎手・同一厩舎3連覇 |
第50回 | 2005年 | ハーツクライ | C・ルメール<フランス> | DI国内唯一の敗戦、前年覇者ゼンノロブロイはラストラン。 |
第51回 | 2006年 | ディープインパクト | 武豊 | GP春秋連覇、七冠達成、ラストラン。顕彰馬 |
第52回 | 2007年 | マツリダゴッホ | 蛯名正義 | 中山巧者による制覇、2004年皐月賞・同年安田記念・マイルCS馬ダイワメジャーはラストラン。 |
第53回 | 2008年 | ダイワスカーレット | 安藤勝己 | 37年ぶり牝馬制覇、事実上のラストラン。2着に最低人気馬が飛び込む大波乱、2006年二冠馬メイショウサムソンもラストラン。 |
第54回 | 2009年 | ドリームジャーニー | 池添謙一 | GP春秋連覇、同年菊花賞馬スリーロールスが故障により競走中止、ラストランとなる。 |
第55回 | 2010年 | ヴィクトワールピサ | M・デムーロ<イタリア> | 3歳制覇。2年連続でブエナビスタが2着に入った |
第56回 | 2011年 | オルフェーヴル | 池添謙一 | 兄弟制覇。3歳四冠達成、翌年宝塚でGP秋春連覇。2024年現在、ルメール騎手が優勝を逃した唯一のクリスマス開催、ブエナビスタはラストランで国内初の掲示板外(7着)となる。 |
第57回 | 2012年 | ゴールドシップ | 内田博幸 | 3歳制覇、翌年にGP秋春連覇 |
第58回 | 2013年 | オルフェーヴル | 池添謙一 | 2頭目の隔年制覇、8馬身差勝利のラストラン。顕彰馬 |
第59回 | 2014年 | ジェンティルドンナ | 戸崎圭太 | 牝馬制覇、父娘制覇は史上初。ラストラン(同期のジャスタウェイとヴィルシーナも一緒)。顕彰馬 |
第60回 | 2015年 | ゴールドアクター | 吉田隼人 | 吉田隼人GI初制覇。ゴールドシップラストラン。 |
第61回 | 2016年 | サトノダイヤモンド | C・ルメール<フランス> | 3歳制覇、父子制覇(ディープインパクト産駒としては2頭目) |
第62回 | 2017年 | キタサンブラック | 武豊 | GⅠ7勝目 生涯獲得賞金最多記録更新(当時)、ラストラン。顕彰馬 |
第63回 | 2018年 | ブラストワンピース | 池添謙一 | 3歳制覇。鞍上の池添は有馬最多勝利記録更新、障害競走界のスターホースオジュウチョウサンの参戦(結果は9着)が話題を呼んだ。 |
令和 | ||||
第64回 | 2019年 | リスグラシュー | D・レーン<オーストラリア> | 牝馬初のGP春秋連覇、父娘制覇、ラストラン。アーモンドアイのキャリア史上最大の惨敗(9着) |
第65回 | 2020年 | クロノジェネシス | 北村友一 | 春秋連覇、翌年宝塚制し牝馬初GP3連覇。感染拡大防止の為、大幅な入場制限・声出し厳禁の下で施行。 |
第66回 | 2021年 | エフフォーリア | 横山武史 | 3歳制覇。前年覇者・クロノジェネシスと、2017年菊花賞馬キセキはラストラン。結果的に最後の勝利となった。 |
第67回 | 2022年 | イクイノックス | C・ルメール<フランス> | 3歳制覇(2着のボルドグフーシュも3歳であり、1994年以来28年ぶりの3歳によるワンツーフィニッシュ)、父子制覇、翌年宝塚でGP秋春連覇。鞍上のルメール騎手は三度目のクリスマス有馬制覇。 |
第68回 | 2023年 | ドウデュース | 武豊 | 父子制覇(ハーツクライ産駒としては2頭目)、鞍上の武豊は有馬最多勝利記録タイ、同年の秋天前に負傷以来2ヶ月ぶりのコンビ。2021年菊花賞・22年春天・宝塚記念馬タイトルホルダー、2022年香港ヴァーズ覇者ウインマリリンおよび同年の宝塚でクビ差2着に食い込んだスルーセブンシーズはラストラン |
第69回 | 2024年 | ドウデュースラストラン。 |
各種記録
レースレコード
タイム:2:29.5
達成馬:ゼンノロブロイ(第49回、鞍上:オリビエ・ペリエ<フランス>)
最多勝利記録
騎手:4勝
調教師:4勝・池江泰寿(第54回・第56回・第58回・第61回)
競走馬:2勝
- スピードシンボリ(第14回・第15回)
- シンボリルドルフ(第29回・第30回)
- オグリキャップ(第33回・第35回)
- グラスワンダー(第43回・第44回)
- シンボリクリスエス(第47回・第48回)
- オルフェーヴル(第56回・第58回)
最多連覇記録
騎手:3連覇・オリビエ・ペリエ(第47〜49回)
調教師:3連覇・藤沢和雄(第47〜49回)
騎手最年少勝利記録
武豊(第35回・21歳9ヶ月8日)
騎手最年長勝利記録
武豊(第68回・54歳9ヶ月9日)
最多連続出走
回数:6回連続
達成馬:コスモバルク(第49~54回)
ホッカイドウ競馬所属馬。中央所属馬はスピードシンボリ(第11~15回)、メジロファントム(第23~27回)、ナイスネイチャ(第36~40回)の5回連続が最多。
3年連続3着
達成馬:ナイスネイチャ(第36~38回)
同一八大競走、同一GⅠでの3年連続3着はともに史上初(4年目はライスシャワーが3着に入り、自身は5着で逃した)。
馬の父子制覇
- シンボリルドルフ(第29回・第30回)→トウカイテイオー(第38回)
- ハーツクライ(第50回)→ドウデュース(第68回)
- ディープインパクト(第51回)→サトノダイヤモンド(第61回)
- キタサンブラック(第62回)→イクイノックス(第67回)
父娘制覇
サイン馬券
一年の総決算といわれる競走のためか、特にサイン理論が起こりやすいレースとしても知られる。
2001年
この年の9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生。
1着がマンハッタンカフェ(蛯名正義)、2着がアメリカンボス(江田照男)と事件に関係のあるキーワードで決着となった。
2012年
この年の「今年の漢字」が「金」だったが、1着はゴールドシップ(内田博幸)だった。
2014年
この年からプレゼンターを務めた長嶋茂雄と優勝したジェンティルドンナ(戸崎圭太)は誕生日が同じ2月20日である。
ちなみに鞍上の戸崎圭太は7月8日が誕生日。
2016年
この年のプレゼンターは田中将大だったが、6枠11番のサトノダイヤモンド(クリストフ・ルメール、仏)が1着、1枠1番のキタサンブラック(武豊)が2着となり、馬単は田中の誕生日である11月1日と同じ11-1となった。(ちなみに田中自身は外した。)
また、4着ヤマカツエース、5着ミッキークイーンを含めて、トランプに関係した馬が4頭掲示板に乗る結果になった。(1,2着馬はスートと数字)
2017年
この年の「今年の漢字」が「北」で、キタサンブラックが有終の美を飾った(そもそも「北」が選ばれた理由の一つにキタサンブラックの活躍があるため、サインとしてはやや自作自演の面はあるが)。また、2着にクイーンズリングが入り、2年連続でトランプ絡みの結果となった。
2018年
平成最後の有馬記念は平成最後の天皇誕生日(12月23日)の開催となった。
結果は8番のブラストワンピース(池添謙一)が1着、12番のレイデオロ(クリストフ・ルメール、仏)が2着、15番のシュヴァルグラン(ヒュー・ボウマン、豪州)が3着となったが、ワイドの1つが8-15で、天皇陛下が12月で八十五歳になったという年齢を示すサインとなった。(アラビア数字の8→5ではなく、漢数字の8-15が正解だった。)
また、「今年の漢字」は「災」で、ブラストワンピースの「ブラスト(blast)」には「突風」という意味があり、また名前にラストを含んでおり、平成最初の優勝馬イナリワンとの対比にもなった。
このレースで勝利した池添謙一は、有馬記念最多勝利記録を更新する4勝目をマークした。またこの年の秋G1は全て短期免許含めた外国人騎手が制しており、池添は本シーズン唯一の日本人G1勝利騎手となった(厳密には秋初戦のスプリンターズステークスも日本人騎手の川田将雅が勝利しているが)。
『ウマ娘プリティーダービー』の有マ記念
本レースをモチーフにしており、詳細は有マ記念を参照。
アプリゲーム版では育成シナリオ中にクラシック級(2年目)・シニア級(3年目)で最大2回の出走が可能で、一部キャラのシナリオ仕様の超高難度から「有馬チャレンジ」というワードが広まっている。
関連項目
(秋古馬三冠)
(グランプリレース・年末開催関連)
(その他年末の公営競技レース)
原則として住之江競艇場で開催されるが、7年に一度平和島競艇場などで開催される事もある。
賞金女王決定戦競走(クイーンズクライマックス)(競艇)
女子選手のみが出場し、各競艇場の持ち回りで開催。
川口オートレース場で開催。
(その他)
年末の大一番ということで一部で「有馬記念」が俗称にもなっている。
これまで冬コミ開催期間中に東京大賞典、KEIRINグランプリ、スーパースター王座決定戦が開催されているが、有馬記念も同日開催された事がある。
2019年の第64回にて、アニメ版『絶対魔獣戦線バビロニア』が放送中のためなのか『Fate/Grandprix Order -絶対競馬戦線アリマニア-』と題しコラボした。