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内田博幸

うちだひろゆき

日本中央競馬会(JRA) 美浦トレーニングセンター所属の騎手。現在はフリー。
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概要編集

1970年7月26日生まれ。福岡県出身。

父親が体操選手だったこともあり、小学生の頃から体操教室に通っていたが、中学3年のころにレベルの差を見せつけられて断念。その後、佐賀競馬の騎手となった兄からの勧めで大井競馬場の調教師を紹介され、厩舎で1年の修業の後に騎手を目指すべく地方競馬教養センターで2年を過ごした。


騎手デビューは1989年で初勝利は同年5月。重賞初勝利は翌年12月のロジータ記念。

当初は的場文男石崎隆之らトップジョッキーの活躍もあり影が薄かったが、2000年に入ってから徐々に頭角を現し始め、2004年、2005年は2年連続で南関東リーディングジョッキーを獲得。2006年には春の古馬統一G1完全制覇、年間で500勝以上をマークし、南関東及び地方競馬を代表するジョッキーとして活躍していた。


2008年3月1日にJRAへと移籍。

その当日に行われたレースで勝ち、即座に移籍後初勝利を挙げた。

同年4月にはレッドアゲート鞍上としてフローラステークスで中央重賞初制覇。

宝塚記念ではエイシンデピュティでG1初制覇を挙げ、菊花賞ではオウケンブルースリでクラシック初制覇を挙げた。

2010年の年明けにはレース中に9頭が落馬するという大事故に巻き込まれ、腕の骨を折る重傷を負うが、フェブラリーステークスで復帰。サクセスブロッケンで3着となった。

5月の日本ダービーではエイシンフラッシュの鞍上として見事にダービージョッキーの座を勝ち取る。また年間勝利数は125を記録し、年間最多勝利騎手も勝ち取った。

翌年2011年からはフリーとなるが、5月11日の大井競馬場でのレースにて落馬し、頸椎歯突起骨折の重傷を負い、ほぼ一年を治療に費やし年間勝利は35に留まった。

翌年2012年の年始に復帰し、皐月賞ではゴールドシップ鞍上として優勝。騎手として牡馬クラシック3冠を制覇した。


人物編集

ファンからは「ウチパク」の愛称で親しまれている。

ファンサービス精神も高く、サインや握手の申し出には積極的に応えている。

また、先述にもあるように体操教室に通っていたこともあり、身体能力は抜群でレースに勝ったあとにバック転やバック宙を披露したこともある。


関連タグ編集

騎手 JRA 大井競馬場

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