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日本ダービー

にっぽんだーびー

JRA(日本中央競馬会)の東京競馬場で開催されるGⅠ競走「東京優駿」の公式副称。格式ある旧八大競走の一角で、牡馬クラシック三冠の第2戦。
目次 [非表示]

その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキーがいる。

その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる。

その戦いは、僕たちを熱く、熱く狂わせる。

勝負と誇りの世界へようこそ。

ダービーへようこそ。


―2013年JRA日本ダービー(第80回記念) CMより


概要編集

現在の正式名称は「東京優駿」であるが、副称である「日本ダービー」が通称としても広く一般的でpixivタグ数も多いため、こちらで詳細を取り上げる。


例年晩春・初夏の時期に東京競馬場2,400mコースで開催。

国内(JRA所属馬以外に地方所属馬や外国調教馬も出走可能)のサラブレッド系3歳牡馬・牝馬限定の定量制の重賞(GⅠ)レースで、事実上その世代の平地芝競走の準長距離最強決定戦となっている。

また皐月賞菊花賞と共に、3歳馬の「(牡馬)クラシック三冠」として整備。

日本競馬において歴史と格式のある旧八大競走の中でもトップクラスの存在とされており、競馬ファン以外の国民全般だけでなく国際的にも知名度も非常に高い。


1780年の英国で創設されたダービーステークス(エプソムダービー)を模範として、1932年に重賞「東京優駿大競走」の名称で誕生。

1938年に「東京優駿競走」に、1948年に「優駿競走」に変更され、1950年に再度「東京優駿競走」に戻されるといった経緯を経て1964年に「東京優駿」となった。

1950年に公式副称として「日本ダービー」を設定。


競走会場は創設から1933年までは旧目黒競馬場で、1934年以降は東京競馬場。

距離は一貫して2,400mである。


競走設定・傾向編集

開催時期は1973年以降5月下旬から6月上旬で定着。

これまでに東京競馬場の改修工事や馬インフルエンザの流行などのために7月に開催された年もあり、レースそのものが中止されたのは1945年の第二次大戦の時のみである。


現在の出走枠は最大18頭。

その内皐月賞の1~5着・青葉賞の1~2着・プリンシバルステークスの1着馬には優先出走権が与えられ、残る10枠は出走登録時の賞金順の上位10頭が選ばれる。

収得賞金0円の「未勝利馬」については原則出走不可。

ただし本レースのステップ競走である青葉賞には挑戦できるため、その2着以内に入れば例外としてダービーに出走することも出来る。(重賞の2着賞金が収得賞金に加算されることでクラスとしては「未勝利馬」ではなくなるため)


現在本レースの前週に開催される3歳牝馬GI優駿牝馬(副称オークス)があるため、牝馬のダービー出走は全体として少ない。

これまでにヒサトモクリフジウオッカの3牝馬が優勝。(ヒサトモ・クリフジの時代はオークスが秋期開催だった)

また地方所属馬や外国産馬・持込馬に関しては、クラシック登録の不可欠など長年厳しい出走制限があった。


全体として比較的人気馬が好走することが多く、堅い決着になりやすいともされる。

かつてはフルゲートが20頭を超えていたため後方に控えると馬群を捌ききれない事態が多発しており、「1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない」という位置取り(いわゆるダービーポジション)のジンクスが話題になった事もある。

1992年以降はフルゲートが18頭になった事や、NHKマイルカップを中心とした短距離路線の整備もあって、皐月賞のようなハイペースになりにくく、皐月賞で敗戦した馬の巻き返しも目立つが、概ね堅い決着になりやすい。

また、2020年代に入るまで、乗り替わりやテン乗り(初騎乗)の馬が長期間に渡り勝利しておらず、文字通り人馬一体の走りが求められる傾向が強かった。

また、ダービー後の不思議なジンクスとして、平成以降のダービー馬はそれまでの成績が重賞未勝利だった場合、3歳のレースを最後に引退しているというデータがある。(該当馬:ウィナーズサークル、フサイチコンコルド、ロジャーバローズ)


主な前哨戦・トライアルレース編集

皐月賞(中山競馬場・芝2,000m)

牡馬クラシック三冠レースの一冠目。

ダービーの出走馬の多くはこのレースに出ており、条件・傾向の違いなどもあって皐月賞で敗れた馬の巻き返しも多い。


青葉賞(東京競馬場・芝2,400m)

ダービー全く同じコースで開催されるGⅡ競走。

2010年以降は2着までの馬にダービーの優先出走権が与えられており、現時点でこの出走枠では2着が最高である。(代表馬:エアダブリンシンボリクリスエス


プリンシパルステークス(東京競馬場・芝2,000m)

トライアル競走の一つ(リステッド競走)で、こちらも現時点での最高順位は2着である。(代表馬:ダンスインザダーク


京都新聞杯(京都競馬場・芝2,200m)

ダービーのトライアル競走ではないが関西地域の馬が賞金の上乗せのために出走するともされており、事実上の前身レースである京都4歳特別の時代から「東上最終便」とも呼ばれる。

こちらで好走した馬のうち、アグネスフライトキズナロジャーバローズがダービー制覇。


NHKマイルカップ(東京競馬場・芝1,600m)

皐月賞を回避してこのGⅠレースからダービーへ向かう馬も少なくなく、キングカメハメハディープスカイが両レースで「変則二冠」を達成。


競走条件編集

出走資格:サラ系3歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)

JRA所属馬

地方競馬所属馬(後述)

外国調教馬(優先出走)

負担重量:定量(牡馬57kg、牝馬55kg)


第1回は別定重量。第2 - 8回は牡55kg、牝53kg。第9 - 13回は牡57kg、牝55.5kg。

未出走馬および未勝利馬(『競馬番組一般事項 I 定義 4.出走条件未勝利競走』に該当する収得賞金が算出できない馬)は出走できない。


出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は通算収得賞金が多い順に出走できる。

なお出馬投票の結果同順位の馬が多数おり出走可能頭数を超過した場合は、抽選で出走馬を決める。


過去の優勝馬編集

馬の太字は同年のJRA賞最優秀3(4)歳牡馬受賞馬もしくはJRA賞受賞馬、また勝利騎手の太字はJRA騎手顕彰者

☆は三冠達成。ただしクリフジのみ変則三冠。

★は二冠達成(「皐」は皐月賞、「菊」は菊花賞との二冠を表す。「N」はNHKマイルカップとの変則二冠。)

年度馬名   騎手  備考
昭和創設・目黒競馬場芝2400mで施行
第1回1932年ワカタカ函館孫作記念すべき第1回の勝ち馬
第2回1933年カブトヤマ大久保房松目黒競馬場最後のダービー馬。東京移転後も帝室御賞典を勝つなど活躍。産駒のマツミドリもダービーを制し、史上初の親子ダービー制覇となり、その功績を称えて重賞・カブトヤマ記念が創設された(2004年廃止)。鞍上の大久保は騎手兼調教師で勝利。
現東京競馬場に移転・東京競馬場芝2400mで施行
第3回1934年フレーモア大久保亀治府中移転後初のダービー馬。また唯一の秋田県産馬である。
第4回1935年ガヴアナー井川為男カブトヤマの全弟。初の兄弟ダービー制覇だったが、ダービー優勝後の調教中に故障・予後不良となった。
第5回1936年トクマサ伊藤正四郎
第6回1937年ヒサトモ中島時一初の牝馬のダービー制覇。鞍上の中島は2人目の騎手兼調教師で勝利。トウカイテイオーの牝系に名を残す。
第7回1938年スゲヌマ中村広鞍上の中村は3人目の騎手兼調教師で勝利。また馬主はのちにメイズイ、ミスターシービーを所有する千明牧場である。
第8回1939年クモハタ阿部正太郎デビュー9日目(3戦目)という最短制覇記録。 引退後6年連続リーディングサイヤー。顕彰馬。また、その功績を称えて重賞・クモハタ記念が創設された(1981年廃止)。
第9回1940年イエリユウ末吉清
第10回1941年セントライト小西喜蔵初のクラシック三冠馬。また、8馬身差勝利はダービー最大着差。顕彰馬
第11回1942年ミナミホマレ佐藤邦雄
第12回1943年クリフジ☆(優牝・菊)前田長吉史上二頭目の牝馬のダービー馬。優駿牝馬、菊花賞と合わせて変則三冠。顕彰馬
第13回1944年カイソウ橋本輝雄能力検定競走で施行。1945年に軍馬として徴用され、その後名古屋空襲に遭遇し行方不明となる。
第14回1947年マツミドリ田中康三前述の通りカブトヤマ産駒で、初の親子ダービー制覇。
第15回1948年ミハルオー新屋幸吉
第16回1949年タチカゼ近藤武夫単勝554.3倍はダービー史上最も低い支持率。二冠馬トサミドリの勝利を阻んだ。
第17回1950年クモノハナ橋本輝雄
第18回1951年トキノミノル★(皐)岩下密政トキノミノルは無敗二冠を達成したが、このレースの17日後に破傷風で死去。顕彰馬
第19回1952年クリノハナ★(皐)八木沢勝美菊花賞は故障により断念、引退。種牡馬としても天皇賞馬を3頭輩出
第20回1953年ボストニアン★(皐)蛯名武五郎菊花賞はハクリヨウに敗れ三冠ならず
最優秀4歳牡馬設置
第21回1954年ゴールデンウエーブ岩下密政テン乗り(初騎乗)での優勝。テン乗りでの勝利は以後、下記のタスティエーラまで現れなかった。二冠馬ダイナナホウシユウは4着。
第22回1955年オートキツ二本柳俊夫セントライト以来の8馬身差勝利。名牝トキツカゼ産駒。
第23回1956年ハクチカラ保田隆芳2歳王者キタノオーは2着。その後アメリカで日本調教馬として初の重賞勝利。顕彰馬
第24回1957年ヒカルメイジ蛯名武五郎
第25回1958年ダイゴホマレ伊藤竹男
第26回1959年コマツヒカリ古山良司第24回ダービー優勝馬ヒカルメイジの半弟。ダービー初の兄弟制覇。
第27回1960年コダマ★(皐)栗田勝「カミソリの切れ味」と評された皐月賞との無敗二冠馬。菊花賞は5着に敗れ三冠ならず。また、バリアー式発走ゲートでは最後のダービー馬。顕彰馬
第28回1961年ハクショウ保田隆芳2着メジロオーと『髪の毛1本差』とも呼べる鼻差勝ち。
第29回1962年フエアーウイン高橋英夫
第30回1963年メイズイ★(皐)森安重勝菊花賞は騎乗ミスもありグレートヨルカに敗れるのみならず6着大敗。
第31回1964年シンザン栗田勝史上二頭目のクラシック三冠馬。その後天皇賞と有馬記念も制し、五冠馬と称された。顕彰馬
第32回1965年キーストン山本正司ダイコーターとの接戦の末の勝利。1967年阪神大賞典で悲劇的最期を遂げる。
第33回1966年テイトオー清水久雄12番人気での勝利。二桁人気馬の勝利は、以後下記のロジャーバローズまで現れなかった。
第34回1967年アサデンコウ増沢末夫東京競馬場に落雷が落ちる中で、しかもレース中に骨折しながらの勝利。また、鞍上・増沢の初重賞制覇でもあった。
第35回1968年タニノハローモア宮本悳元祖3強と言われる朝日杯馬タケシバオー、皐月賞馬マーチス、のちの菊花賞馬アサカオーを破っての勝利。
第36回1969年ダイシンボルガード大崎昭一当時24歳の大崎はJRA発足後の最年少ダービージョッキー。また、勝ち馬・ダイシンボルガードの厩務員がレース中に馬場に出て応援を行った珍事もあった。
第37回1970年タニノムーティエ★(皐)安田伊佐夫皐月賞も制し二冠達成。シンザン以来の三冠制覇を狙ったが、喘鳴症を発症し、菊花賞は11着に惨敗しそのレースを最後に引退した
第38回1971年ヒカルイマイ★(皐)田島良保追い込みで二冠達成。菊花賞は屈腱炎により断念。また、鞍上の田島は当時23歳で、前述の大崎昭一を超えて現在もJRA発足後の最年少ダービージョッキー。
第39回1972年ロングエース武邦彦関西最強世代の一角の勝利。また、この年は馬インフルエンザの影響で7月にダービーが行われた。
第40回1973年タケホープ★(菊)嶋田功当時大人気だったハイセイコーを降す。2024年現在唯一のダービー・菊花賞二冠。
第41回1974年コーネルランサー中島啓之圧倒的一番人気だった二冠馬キタノカチドキを破っての勝利。また、ヒサトモで勝利した中島時一と史上初めて親子でダービージョッキーとなった。
第42回1975年カブラヤオー★(皐)菅原泰夫逃げ切りで二冠を達成した。ダービー後に故障し、菊花賞は出走せず。
第43回1976年クライムカイザー加賀武見皐月賞馬トウショウボーイを下してダービー馬となった。
第44回1977年ラッキールーラ伊藤正徳馬体重534kgでの勝利は、現在でもダービー史上最高馬体重勝利記録として残っている。
第45回1978年サクラショウリ小島太馬主のさくらコマース初の八大競走制覇。
第46回1979年カツラノハイセイコ松本善登ハイセイコーの初年度産駒。父の無念を晴らした。また、鞍上の松本は当時45歳で、当時最年長ダービー優勝騎手となるが、この3年後に癌により死去した。
第47回1980年オペックホース郷原洋行結果的にこれが最後の勝利となる。以降引退まで一度も勝利できず32連敗を記録し史上最弱のダービー馬と評されることとなった。
第48回1981年カツトップエース★(皐)大崎昭一低人気を覆し二冠を達成。大崎昭一2度目のダービー制覇。菊花賞は脚部不安により断念。
第49回1982年バンブーアトラス岩元市三ダービーレコードで勝利。後に種牡馬として菊花賞馬バンブービギンを輩出。岩元も後に調教師としてテイエムオペラオーを管理
第50回1983年ミスターシービー吉永正人史上三頭目のクラシック三冠馬顕彰馬
第51回1984年シンボリルドルフ岡部幸雄皇帝と称された、史上四頭目、初の無敗のクラシック三冠馬顕彰馬
第52回1985年シリウスシンボリ加藤和宏二冠馬ミホシンザンは骨折により出走回避、またシリウスシンボリも長期海外遠征に出ることになる。
第53回1986年ダイナガリバー増沢末夫騎乗した増沢はダービー2勝目、かつこの時48歳7か月5日であり、前述の松本善登を越え、史上最年長(当時)のダービージョッキーとなった。また、社台ファームが馬主として初のダービー優勝でもあった。
第54回1987年メリーナイス根本康広6馬身差の勝利。二冠馬サクラスターオーは繋靱帯炎のため出走回避。
第55回1988年サクラチヨノオー小島太昭和最後の日本ダービー。小島太騎手はダービー2勝目。クラシック登録が無かったためにオグリキャップが日本ダービーに出走ができない、ということについで制度の見直しを求める声が記者や有識者、ファンから上がった。
平成
第56回1989年ウィナーズサークル郷原洋行平成最初の日本ダービー。2024年現在史上唯一の芦毛かつ茨城県産のダービー馬。
第57回1990年アイネスフウジン中野栄治観衆19万6000人はダービー史上最多。ダービーレコード勝ち。レース後スタンド前を引き揚げてきた人馬に向かって「中野コール」が起きた
第58回1991年トウカイテイオー★(皐)安田隆行シンボリルドルフとのダービー父子制覇達成(無敗二冠)。菊花賞は骨折により断念。牝馬初のダービー馬ヒサトモの子孫でもある。顕彰馬
第59回1992年ミホノブルボン★(皐)小島貞博前年のトウカイテイオーに続く無敗で二冠達成。2着ライスシャワー
第60回1993年ウイニングチケット柴田政人柴田騎手は19回目(最多)の騎乗で念願のダービー制覇。2着ビワハヤヒデ、3着ナリタタイシンBNWが上位独占。
第61回1994年ナリタブライアン南井克己史上5頭目のクラシック三冠馬顕彰馬
第62回1995年タヤスツヨシ小島貞博サンデーサイレンス産駒初のダービー制覇。小島騎手はミホノブルボンに続いてダービー2勝目
第63回1996年フサイチコンコルド藤田伸二デビューから僅か3戦目でダービー制覇し、「和製ラムタラ」と呼ばれた。2着ダンスインザダーク
第64回1997年サニーブライアン★(皐)大西直宏逃げ切りで二冠達成するも、これがラストランになってしまった。
第65回1998年スペシャルウィーク武豊武豊騎手初のダービー制覇。二冠馬セイウンスカイは4着。
第66回1999年アドマイヤベガ武豊武豊騎手は史上初となるダービー連覇、2着ナリタトップロード、3着テイエムオペラオー
第67回2000年アグネスフライト河内洋20世紀最後の日本ダービー。河内騎手は17回目の騎乗で夢のダービー制覇、3連覇を狙う弟弟子・武騎手駆る二冠馬エアシャカールとの叩き合いは、名勝負として知られる
馬齢改正・最優秀3歳牡馬変更
第68回2001年ジャングルポケット角田晃一21世紀最初の日本ダービー。外国産馬の出走が可能になった初のダービー。
第69回2002年タニノギムレット武豊このレース後に故障で引退・後にウオッカとの父娘制覇を達成。2着シンボリクリスエス
第70回2003年ネオユニヴァース★(皐)ミルコ・デムーロ鞍上のミルコ・デムーロ騎手は当時短期免許で来日しており、これが初のダービー制覇。外国人騎手のダービー初制覇となった。菊花賞はザッツザプレンティの3着。
第71回2004年キングカメハメハ★(N)安藤勝己NHKマイルカップとの変則二冠・勝ち時計2:23:3は当時のダービーレコード。一方で一頭が予後不良、本馬を含めた多数の出走馬の故障や不調が相次ぎ、後に死のダービーと表されることとなった。顕彰馬
第72回2005年ディープインパクト武豊無敗の三冠馬・単勝支持率1.1倍は歴代最高支持率。また馬主の金子真人氏は前年に引き続き2回目の勝利。顕彰馬
第73回2006年メイショウサムソン★(皐)石橋守皐月賞も制し二冠馬。菊花賞はソングオブウインドに敗れる。古馬になって天皇賞春秋制覇を果たす。
第74回2007年ウオッカ四位洋文タニノギムレットとの父娘制覇・GI7勝。牝馬ダービー制覇は64年ぶり。同年JRA賞特別賞受賞。2着アサクサキングス顕彰馬
第75回2008年ディープスカイ★(N)四位洋文NHKマイルカップとの変則二冠、四位騎手は史上2人目のダービー連覇
第76回2009年ロジユニヴァース横山典弘ネオユニヴァースとの父子制覇・12年ぶりの関東馬のダービー制覇、横山騎手も悲願のダービー初制覇
第77回2010年エイシンフラッシュ内田博幸騎手・馬主・調教師共に初制覇。2012年に天皇賞(秋)を制覇。
第78回2011年オルフェーヴル池添謙一金色の三冠馬。GI6勝・凱旋門賞2年連続2着。顕彰馬
第79回2012年ディープブリランテ岩田康誠ディープインパクトとの父子制覇。騎手・調教師共にダービー初制覇。二冠馬ゴールドシップは5着。
第80回2013年キズナ武豊武騎手はこれでダービー5勝目。ディープインパクトとの父子制覇であり、両馬とも武騎手が騎乗している。
第81回2014年ワンアンドオンリー横山典弘ハーツクライ産駒初のダービー馬。管理する橋口弘次郎調教師はこれまで4度ダービー2着を経験してきたが、初のダービー制覇となった。ちなみに橋口師は2004年のダービー2着馬ハーツクライ管理調教師でもある。また、7年ぶりの行啓となったが、皇太子(当時)徳仁殿下。ワンアンドオンリーとその馬主。そして横山騎手は誕生日が同じ2月23日である。
第82回2015年ドゥラメンテ★(皐)ミルコ・デムーロ皐月賞との二冠達成。菊花賞は骨折により断念。2004年のダービー馬キングカメハメハの子であり、勝ち時計は父が記録したダービーレコードを0.1秒更新する2:23:2。後の菊花賞馬・GI7勝馬キタサンブラックは14着。
第83回2016年マカヒキ川田将雅鞍上の川田騎手はこれがダービー初制覇。馬主である金子真人氏はこれでダービー3勝目。父ディープインパクトも金子氏が所有していた競走馬である。2着サトノダイヤモンドとは鼻差。皐月賞馬ディーマジェスティは3着。
第84回2017年レイデオロクリストフ・ルメールルメール騎手はこれがダービー初制覇。藤沢和雄厩舎は過去に2度、シンボリクリスエスゼンノロブロイでダービー2着があったが、これが初のダービー制覇。1週間前のオークスでも同厩舎所属のソウルスターリングが勝っており(鞍上も同じルメール騎手)、2週連続でのGI制覇となった。
第85回2018年ワグネリアン福永祐一平成最後の日本ダービー。鞍上の福永騎手は19度目の挑戦でダービー制覇(上記の柴田政人と並ぶ最多所要回数)。オーナーの金子真人氏はこれでダービー4勝目。5番人気→4番人気→16番人気での決着となり、三連単の配当が285万円という大波乱のレースになった、平成最後のダービー馬。
令和
第86回2019年ロジャーバローズ浜中俊令和最初の日本ダービー。12番人気ながら優勝したが、2桁人気の馬が勝つのは1966年のテイトオー以来53年ぶり。単勝93.1倍はダービー史上2番目に低い支持率。浜中騎手は日本ダービー初制覇。調教師の角居は2007年のウオッカ以来12年ぶりの勝利。
第87回2020年コントレイル福永祐一新型コロナウイルスの影響で76年ぶりに無観客開催。無敗での二冠達成は父ディープインパクト以来。2歳GⅠを含んだ場合はミホノブルボン以来。そして菊花賞も勝って史上3頭目の無敗の三冠馬となった。顕彰馬
第88回2021年シャフリヤール福永祐一コロナ禍の中での有観客開催。福永騎手は史上3人目のダービー連覇。乗り替わりでの優勝は36年ぶり。全兄は皐月賞馬アルアイン。2年前のダービーレコードを0.1秒更新(2分22秒5)。2着皐月賞馬エフフォーリアとは10cm差。
第89回2022年ドウデュース武豊前年のレコードを0.6秒更新(2:21:9)。オーナーのキーファーズはこれがダービー初制覇。武騎手はこれが9年ぶりダービー6勝目かつ54歳で前述の増沢末夫を超える史上最年長(当時)ダービージョッキーとなる。2着イクイノックス
第90回2023年タスティエーラダミアン・レーンゴールデンウエーブ以来69年ぶりのテン乗り勝利。レーン騎手はこれがダービー初制覇。2着皐月賞馬ソールオリエンスとはクビ差。ホープフルS馬ドゥラエレーデはスタート直後に騎手が落馬したため競走中止、青葉賞馬スキルヴィングは大差最下位で入線後馬場に倒れ、急性心不全により死亡。
第91回2024年ダノンデサイル横山典弘前走皐月賞競走除外からのダービー制覇。鞍上の横山典弘は10年ぶりダービー3勝目、また56歳でのダービー制覇は2年前の武豊を抜いて史上最年長ダービージョッキーとなった。




その他編集

日本競馬界において、「このレースを勝つには速さとスタミナ、そして何よりもが重要であり、最も幸運な馬が勝つ」とされている。

7,000頭以上の3歳馬の頂点になる事は、騎手馬主調教師厩務員など全ての競走馬の関係者の果てなく難しい目標で、大きな夢の一つとなっている。これはある騎手が「ほかのG1を勝つと『G1ジョッキー』は呼ばれるが、ダービーだけは『ダービージョッキー』は呼ばれるようになる」と話していることからもわかる。







CMのコピーにある、「その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキーがいる」というのは柴田政人元騎手のこと。ダービー前のインタビューで「ダービーを勝てたら、もう騎手をやめてもいいというくらいの気持ちで臨みます」と話したことがもとになっているが、(ちなみにこの時のダービーは3着だった)この発言が誤解されて「柴田(政人)はダービーを勝ったら引退する」と言われるようになってしまった、柴田は発言から5年後の93年にウイニングチケットで勝利した後も騎手を続けていたが、翌年の落馬事故をきっかけで95年に騎手を引退することになり、結果的に93年のダービーが最後のダービー騎乗となった。



また「その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる」のコピーは、出走馬の関係者がダービーに向けて極限レベルまで仕上げることが多いことから、その後成績不振に陥ることが多いことを指している。80年のオペックホースの32連敗は有名だが、タービー後未勝利や勝利こそ挙げているが大レース(G1またはグレード制導入前の八大競走)未勝利に終わったダービー馬他にもいる。またダービー後に馬体に故障が発生して、ダービーが事実上のラストランになるダービー馬も少なくなく、JRA成立後の1955年以降だけで見ても23年までのダービー馬68頭のうち、61年のハクシヨウ、67年のアサデンコウ、74年のコーネルランサー、81年のカツトップエース、90年のアイネスフウジン、97年のサニーブライアン、02年のタニノギムレット、19年のロジャーバローズの8頭がダービーでラストランになってしまっている。



日本の競馬・競走馬をモチーフに製作されたアプリゲーム、『ウマ娘プリティーダービー』でも本レースを参考にした同名の試合が実装。

能力やスキルの経験値だけなく、育成モードのクリアのための勝利やファン獲得のために重要な位置付けである。




関連項目編集

競馬 JRA 重賞 GⅠ レース

東京競馬場 ダービー


クラシック三冠

皐月賞→日本ダービー→菊花賞


優駿牝馬 ジャパンダートダービー 東京ダービー

イギリスダービー フランスダービー

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