名称について
正式名称は東京優駿であり日本ダービーは副題。だが一般的には日本ダービーの名称が広く知られている。
単純に「ダービー」だけだと様々なダービーが引っかかる。(例:ホームランダービー・クイズダービー等)なお、サッカーの対戦で用いられるダービーマッチは、競馬のダービーとは語源から一切関係ありません。
競馬のダービーも中央競馬の日本ダービー以外にも、地方競馬でも多くのダービーが施行されており、
毎年7月には3歳ダート馬の頂上決定戦であるジャパンダートダービーが大井競馬場で開催されている。
概要
その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキーがいる。
その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる。
その戦いは、僕たちを熱く、熱く狂わせる。
勝負の誇りの世界にようこそ。
ダービーへようこそ。
―2013年JRA日本ダービー(第80回記念) CMより
イギリスで行われているダービーステークスをもととして、1932年に創設された重賞競走である。
出走条件は3歳の牡馬・牝馬であり、文字通り3歳馬の頂点を決めるレースである。皐月賞・菊花賞と並び、中央競馬クラシック三冠を構成している。
7000頭以上の3歳馬の頂点になるということは、競走馬だけでなく、騎手・馬主・調教師全ての夢であると同時に、果てなく難しい目標である。
「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という言葉もあるほどである。
特に騎手からすれば、日本ダービー制覇は中央競馬騎手としての最大の目標であり、悲願でもある。"天才"と呼ばれた武豊をもってしても、ダービー初騎乗から初制覇まで10年、2018年にダービーを制した福永祐一も20年かかっている。「他のG1競走を勝てば『G1ジョッキー』と呼ばれるが、ダービーだけは『ダービージョッキー』と呼ばれる」と話す騎手もいる。
このレースを勝つには速さとスタミナ、そして何よりも「運」が大事であり、「最も幸運な馬が勝つ」と呼ばれている。
このレースに勝利した馬がこの世代の代表として秋シーズンで古馬との対決に臨んでいく。
有馬記念と並び、日本競馬最大のイベントであり、世間からの注目も高い競争である。
余談だが、冒頭のCMにある「その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキー」は柴田政人を指すが、これは1988年のダービーに挑む際に「勝てたら、もう騎手をやめてもいいというくらいの気持ちで臨みます」と言ったのを曲解されたものだったりする。
発言をメディアで誇張されて伝えられる、と言う事例は珍しい物ではないが、それが長年に渡り訂正されないまま、公式のCMにまで使われると言うのは流石に珍しい。
なお、柴田はこの発言から5年後の1993年、デビュー24年目にしてダービーを制したが、引退はしていない(ただし、その2年後に落馬事故で騎手引退。その後20年に渡り調教師を務め、2019年にそちらも定年引退した)。
レース自体について
東京競馬場の芝コース2400mで施行されており、この体系は1934年に東京競馬場が目黒から現在の府中に変わって以来、一切変わっていない。
開催時期は毎年5月の最終週もしくは6月1日であり、よほどの事が起こらない限りずれることはない。(レースそのものが中止されたのは1945年の太平洋戦争時のみである)
東京競馬場の改築があってもダービーの時期に被らないように行われる。
また東京競馬場へのアクセス手段となる京王電鉄はレース当日においては本線・競馬場線共に増発される特別ダイヤとなる。
出走枠は最大18頭。その内皐月賞の1~4着・青葉賞の1~2着・プリンシバルステークスの1着馬には優先出走権が与えられ、
残る11枠は出走登録時の賞金順の上位11頭が選ばれる。
セン馬(アレを取った牡馬のこと)と未勝利馬は出ることはできないが、青葉賞には未勝利馬が出られるため、このレースで2着以内に入れば未勝利でダービーに出走することも出来る。
牝馬も出走できるのだが、ダービーの前週に同条件で施行される3歳牝馬GIオークスがあるため、出走してくることは稀。
しかし2007年にはウオッカが出走し、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇を成し遂げた。過去牝馬でダービーを制したのは、ヒサトモ・クリフジ・ウオッカの3頭のみであり、偶然か全て4文字である。
地方馬や外国産馬に関しては時代によって予めクラシック登録を行わないと出走できなかった時もあった。オグリキャップもその1頭である。また外国産馬も2001年から出走資格が与えられている。
レース傾向
比較的人気馬が好走することが多く、堅い決着になりやすい。かつてはフルゲートが20頭を超えていたため、後方に控えると馬群を捌ききれない事態が多発しており、「1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない」というダービーポジションのジンクスがあった。(ただし、このジンクスを過剰に意識して先行争いが激化した結果、人気薄の差し馬が激走するケースもあり、後述のタチカゼやタケホープがその代表例といえる)
現在では、フルゲートが18頭になったためダービーポジションのジンクスも薄れており、NHKマイルカップを中心とした短距離路線の整備もあって、皐月賞のようなハイペースになりにくく、皐月賞で敗戦した馬の巻き返しも目立つが、概ね堅い決着になりやすい。
主なステップレース
皐月賞(中山競馬場芝2000m):
三冠レースの一冠目。ダービーで好走するのは殆どがこのレースから直行してくる馬であり、ディープインパクトやオルフェーヴル等の三冠馬もこのレースを勝ってここに進んできた。また、皐月賞とのレース傾向の違いから、皐月賞で敗れた馬の巻き返しも多発する。
青葉賞(東京競馬場芝2400m):
本番と同じ東京の2400mで施行されるGII競走だが、現時点ではこのレースからダービーを制した馬はおらず、2着が最高である。
プリンシバルステークス(東京競馬場芝2000m):
青葉賞同様東京で施行されるトライアル競走。こちらも現時点での最高順位は2着である。この傾向は事実上の前身レースであるNHK杯の時代から変わっていない。
京都新聞杯(京都競馬場芝2200m):
優先出走権は得られないものの、関西で行われることから、関東への遠征を嫌った馬が出走枠に入るため、このレースで賞金を上乗せしてくる事が多く、事実上の前身レースである京都四歳特別の時代から「東上最終便」の異名がある。
尚、こちらと本番を連勝した馬は過去に2頭いる(2000年のアグネスフライト・2013年のキズナ)。2019年のロジャーバローズもこのレースで2着になった後ダービー制覇を果たしている。
NHKマイルカップ(東京競馬場芝1600m):
皐月賞を回避してこのレースからダービーへ向かう馬も多い。NHKマイルカップとダービーの変則二冠馬も過去に2頭出ている(2004年のキングカメハメハ・2008年のディープスカイ)かつてはNHK杯という名前のダービートライアルであった。
過去の優勝馬
★はJRA顕彰馬
年度 | 馬名 | 騎手 | 備考 |
---|---|---|---|
1932年 | ワカタカ | 函館孫作 | 記念すべき第1回の勝ち馬 |
1937年 | ヒサトモ | 中島時一 | 初の牝馬のダービー制覇 |
1939年 | ★クモハタ | 阿部正太郎 | デビュー9日目(3戦目)という最短制覇記録 引退後6年連続リーディングサイヤー |
1941年 | ★セントライト | 小西喜蔵 | 初のクラシック三冠馬 |
1943年 | ★クリフジ | 前田長吉 | 史上二頭目の牝馬のダービー馬。 |
1949年 | タチカゼ | 近藤武夫 | 単勝支持率554.3倍はダービー史上最も低い支持率 |
1951年 | ★トキノミノル | 岩下密政 | このレースの17日後に破傷風で死去。幻の馬と呼ばれた |
1956年 | ★ハクチカラ | 保田隆芳 | その後アメリカで日本調教馬として初の重賞勝利 |
1960年 | ★コダマ | 栗田勝 | 「カミソリの切れ味」と評された皐月賞との二冠馬 |
1964年 | ★シンザン | 栗田勝 | 史上二頭目のクラシック三冠馬 その後天皇賞と有馬記念も制し、五冠馬と称された |
1973年 | タケホープ | 嶋田功 | 当時大人気だったハイセイコーを降す。のちに菊花賞も勝利 |
1975年 | カブラヤオー | 菅原泰夫 | 逃げ切りで二冠を達成した「狂気の逃げ馬」 |
1976年 | クライムカイザー | 加賀武見 | トウショウボーイを下してダービー馬となったが、「犯罪皇帝」の渾名を付けられる。 |
1979年 | カツラノハイセイコ | 松本善登 | ハイセイコーの初年度産駒。父の無念を晴らした |
1980年 | オペックホース | 郷原洋司 | ダービーの後は32連敗を記録し、「史上最弱のダービー馬」と揶揄された |
1981年 | カツトップエース | 大崎昭一 | 低人気を覆し二冠を達成。後のサニーブライアンと同じような経歴を辿る |
1982年 | バンブーアトラス | 岩本市三 | 後に種牡馬として菊花賞馬バンブービギンを輩出する |
1983年 | ★ミスターシービー | 吉永正人 | 史上三頭目のクラシック三冠馬 |
1984年 | ★シンボリルドルフ | 岡部幸雄 | 皇帝と称された、史上四頭目、初の無敗のクラシック三冠馬 |
1988年 | サクラチヨノオー | 小島太 | 昭和最後のダービー。小島騎手はダービー2勝目 |
1989年 | ウィナーズサークル | 郷原洋司 | 平成最初のダービー。史上唯一の芦毛のダービー馬 |
1990年 | アイネスフウジン | 中野栄治 | 観衆19万6000人はダービー史上最多。レース後スタンド前を引き揚げてきた人馬に向かって「中野コール」が起きた |
1991年 | ★トウカイテイオー | 安田隆行 | シンボリルドルフとのダービー父子制覇達成。 |
1992年 | ミホノブルボン | 小島貞博 | 前年のトウカイテイオーに続く無敗で二冠達成 |
1993年 | ウイニングチケット | 柴田政人 | 柴田騎手は19回目(最多)の騎乗で念願のダービー制覇 |
1994年 | ★ナリタブライアン | 南井克己 | 史上5頭目のクラシック三冠馬 |
1995年 | タヤスツヨシ | 小島貞博 | サンデーサイレンス産駒初のダービー制覇。小島騎手はミホノブルボンに続いてダービー2勝目 |
1996年 | フサイチコンコルド | 藤田伸二 | デビューから僅か3戦目でダービー制覇し、「和製ラムラタ」と呼ばれた |
1997年 | サニーブライアン | 大西直宏 | 逃げ切りで二冠達成。「これはもう、フロックでもなんでもない!」 |
1998年 | スペシャルウィーク | 武豊 | 武豊騎手初のダービー制覇。ウマ娘のアニメでもモチーフになったレースだが実際にはエルコンドルパサーは出走していない(当時は出走資格がなかった) |
1999年 | アドマイヤベガ | 武豊 | 武豊騎手は史上初となるダービー連覇 |
2000年 | アグネスフライト | 河内洋 | 河内騎手は17回目の騎乗で夢のダービー制覇、3連覇を狙う弟弟子・武騎手との叩き合いは、名勝負として知られる |
2001年 | ジャングルポケット | 角田晃一 | 外国産馬の出走が可能になった初のダービー |
2002年 | タニノギムレット | 武豊 | このレース後に故障で引退・後にウオッカとの父娘制覇を達成 |
2003年 | ネオユニヴァース | ミルコ・デムーロ | 外国人騎手として初のダービー制覇 |
2004年 | キングカメハメハ | 安藤勝己 | NHKマイルカップとの変則二冠・勝ち時計2:23:3は当時のダービーレコード |
2005年 | ★ディープインパクト | 武豊 | 無敗の三冠馬・GI7勝・単勝支持率1.1倍は歴代最高支持率 |
2006年 | メイショウサムソン | 石橋守 | 二冠馬・GI4勝 |
2007年 | ★ウオッカ | 四位洋文 | タニノギムレットとの父娘制覇・GI7勝。牝馬ダービー制覇は64年ぶり。 |
2008年 | ディープスカイ | 四位洋文 | NHKマイルカップとの変則二冠、四位騎手は史上2人目のダービー連覇 |
2009年 | ロジユニヴァース | 横山典弘 | ネオユニヴァースとの父子制覇・12年ぶりの関東馬のダービー制覇、横山騎手も悲願のダービー初制覇 |
2010年 | エイシンフラッシュ | 内田博幸 | 騎手・馬主・調教師共に初制覇。2012年に天皇賞秋を制覇 |
2011年 | ★オルフェーヴル | 池添謙一 | 三冠馬。GI6勝・凱旋門賞2年連続2着 |
2012年 | ディープブリランテ | 岩田康成 | ディープインパクトとの父子制覇。騎手・調教師共にダービー初制覇。 |
2013年 | キズナ | 武豊 | 重賞5勝 武騎手はこれでダービー5勝目。ディープインパクトとの父子制覇であり、両馬とも武騎手が騎乗している。 |
2014年 | ワンアンドオンリー | 横山典弘 | ハーツクライ産駒初のダービー馬。管理する橋口調教師はこれまで4度ダービー2着を経験してきたが、初のダービー制覇となった。ちなみに橋口調教師は2004年のダービー2着馬ハーツクライの調教師でもある。また、ワンアンドオンリーとその馬主。そして横山騎手は誕生日が同じ2月23日である。 |
2015年 | ドゥラメンテ | ミルコ・デムーロ | 皐月賞との二冠達成。2004年のダービー馬キングカメハメハの子であり、勝ち時計は父が記録したダービーレコードを0.1秒更新する2:23:2。 |
2016年 | マカヒキ | 川田将雅 | 馬主である金子真人氏はこれでダービー3勝目。父ディープインパクトも金子氏が所有していた競走馬である。 |
2017年 | レイデオロ | クリストフ・ルメール | 藤沢和雄厩舎は過去に2度、シンボリクリスエスとゼンノロブロイでダービー2着があったが、これが初のダービー制覇。1週間前のオークスでも同厩舎所属のソウルスターリングが勝っており(鞍上も同じルメール騎手)、2週連続でのGI制覇となった。 |
2018年 | ワグネリアン | 福永祐一 | 鞍上の福永騎手は19度目の挑戦でダービー制覇(上記の柴田政人と並ぶ最多所要回数)。オーナーの金子真人氏はこれでダービー4勝目。5番人気→4番人気→16番人気での決着となり、三連単の配当が285万円という大波乱のレースになった、平成最後のダービー。 |
2019年 | ロジャーバローズ | 浜中俊 | 令和最初の日本ダービー。12番人気ながら優勝したが、2桁人気の馬が勝つのは1966年のテイトオー以来53年ぶり。浜中騎手は日本ダービー初制覇。調教師の角居は2007年のウオッカ以来12年ぶりの勝利。 |
2020年 | コントレイル | 福永祐一 | 新型コロナウイルスの影響で76年ぶりに無観客開催。無敗での二冠達成は父ディープインパクト以来。2歳GⅠを含んだ場合はミホノブルボン以来。 |
pixivにおける日本ダービー
競馬擬人化ネタでタグに使用される事が多い。また、勝利した騎手の絵にも付けられることもある。