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日本ダービー

にっぽんだーびー

競馬の重賞レースの中でも最高ランクに位置する「GI」レースの一つ「東京優駿」の副称。旧八大競走の一角で、牡馬クラシック三冠の第2戦。
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名称について

正式名称は「東京優駿」であり、日本ダービーは副称。だが一般には日本ダービーの名称が広く知られている。
単純に「ダービー」だけだと本家の英国ダービーを始めとして様々なダービー(レースあるいはそれを模したクイズやゲームなど)が引っかかる(例:ホームランダービー・クイズダービー等)。なお、サッカーの対戦で用いられるダービーマッチ(ホームタウンが同じなどの共通点を持つ試合で、地名に由来)は、競馬のダービー(英国ダービーの創設者に由来)とは語源から一切関係ない。

「ダービー」の名がつくレースは、海外や地方競馬でも数多く施行されており、毎年7月には3歳ダート馬の頂上決定戦であるジャパンダートダービー大井競馬場で、4月にはダービー卿チャレンジトロフィー中山競馬場で開催されている。

概要

その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキーがいる。
その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる。
その戦いは、僕たちを熱く、熱く狂わせる。
勝負の誇りの世界にようこそ。
ダービーへようこそ。
―2013年JRA日本ダービー(第80回記念) CMより


1780年にイギリスで創設されたダービーステークス(エプソムダービー)を範として、1932年に「東京優駿大競走」の名称で創設された重賞競走。
ちなみに名称は1938年に「東京優駿競走」に変更された後、1948年に「優駿競走」に変更されたが、1950年に再度「東京優駿競走」に戻されるといった変遷を辿った後、1964年から現在まで使われ続ける「東京優駿」となった。
「日本ダービー」の副称は1950年から付けられたものである。

出走条件は3歳の牡馬牝馬であり、文字通り3歳馬の頂点を決めるレースである。皐月賞菊花賞と並び、中央競馬クラシック三冠を構成している。
7000頭以上の3歳馬の頂点になるということは、競走馬だけでなく、騎手馬主調教師全ての夢であると同時に、果てなく難しい目標である。
ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という言葉もあるほどである(ただこの元ネタはウィンストン・チャーチルがエプソムダービーを指して言ったもので、さらに言えば発言の真偽も分からないものであることに留意する必要がある)。
特に騎手からすれば、日本ダービー制覇は中央競馬騎手としての最大の目標であり、悲願でもある。"天才"と呼ばれた武豊をもってしても、ダービー初騎乗から初制覇まで10年、2018年にダービーを制した福永祐一も20年かかっている。「他のG1競走を勝てば『G1ジョッキー』と呼ばれるが、ダービーだけは『ダービージョッキー』と呼ばれる」と話す騎手もいる。
このレースを勝つには速さとスタミナ、そして何よりも「運」が大事であり、「最も幸運な馬が勝つ」と呼ばれている。
このレースに勝利した馬がこの世代の代表として秋シーズンで古馬との対決に臨んでいく。
有馬記念と並び、日本競馬最大のイベントであり、世間からの注目も高い競争である。

余談だが、冒頭のCMにある「その戦いに勝てれば、やめてもいいと言うジョッキー」は柴田政人を指すが、これは1988年のダービーにコクサイトリプルで挑む際に「勝てたら、もう騎手をやめてもいいというくらいの気持ちで臨みます」と言ったのを曲解されたものだったりする(結果は3着)。
発言をメディアで誇張されて伝えられる、と言う事例は珍しい物ではないが、それが長年に渡り訂正されないまま、公式のCMにまで使われると言うのは流石に珍しい。
なお、柴田はこの発言から5年後の1993年、デビュー24年目にしてダービーを制したが、引退はしていない(ただし、その2年後に落馬事故で騎手引退。その後20年に渡り調教師を務め、2019年にそちらも定年引退した)。

レースについて

東京競馬場の芝コース2400mで施行されており、この体系は1934年に東京競馬場が目黒から現在の府中に変わって以来、一切変わっていない。
開催時期は1938年以降5月下旬から6月上旬で定着。1952年以降は原則として毎年5月の最終日曜日を基本として開催されている(レースそのものが中止されたのは1945年の太平洋戦争の時のみ。逆に1968年と1972年は7月7日に開催され、七夕ダービーと通称される)。
東京競馬場の改築があってもダービーの時期に被らないように行われる。
また東京競馬場へのアクセス手段となる京王電鉄はレース当日においては本線・競馬場線共に増発される特別ダイヤとなる。

出走枠は最大18頭。その内皐月賞の1~5着・青葉賞の1~2着・プリンシバルステークスの1着馬には優先出走権が与えられ、
残る11枠は出走登録時の賞金順の上位11頭が選ばれる。
セン馬(アレを取った牡馬のこと)と未勝利馬(正確には収得賞金0円の馬)は出ることはできないが、青葉賞には未勝利馬が出られるため、このレースで2着以内に入れば収得賞金が0円ではなくなるため未勝利でダービーに出走することも出来る。
牝馬も出走できるのだが、現在ではダービーの前週に同条件で施行される3歳牝馬GI・オークスがあるため、出走してくることは稀。
しかし2007年にはオークスを回避してウオッカが出走し、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇を成し遂げた。過去牝馬でダービーを制したのは、ヒサトモクリフジ・ウオッカの3頭のみであり、偶然か全て4文字である。
地方馬や外国産馬・持込馬に関しては時代によって予めクラシック登録を行わないと出走できなかったり、さらにはそもそも締め出されていた時期もあった。マルゼンスキーオグリキャップもその1頭である。また外国産馬も2001年から出走資格が与えられている。

レース傾向

比較的人気馬が好走することが多く、堅い決着になりやすい。かつてはフルゲートが20頭を超えていたため、後方に控えると馬群を捌ききれない事態が多発しており、「1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない」というダービーポジションのジンクスがあった。(ただし、このジンクスを過剰に意識して先行争いが激化した結果、人気薄の差し馬が激走するケースもあり、後述のタチカゼやタケホープがその代表例といえる)
1992年以降はフルゲートが18頭になったためダービーポジションのジンクスも薄れており、NHKマイルカップを中心とした短距離路線の整備もあって、皐月賞のようなハイペースになりにくく、皐月賞で敗戦した馬の巻き返しも目立つが、概ね堅い決着になりやすい。

主なステップレース

皐月賞(中山競馬場芝2000m):
クラシック三冠レースの一冠目。ダービーで好走するのは殆どがこのレースから直行してくる馬であり、ディープインパクトオルフェーヴル等の三冠馬もこのレースを勝ってここに進んできた(過去には調整のためダービートライアルを経由した皐月賞馬もいる)。また、皐月賞とのレース傾向の違いから、皐月賞で敗れた馬の巻き返しも多発する。

青葉賞(東京競馬場芝2400m):
本番と同じ東京の2400mで施行されるGⅡ競走で、2着まで(2009年までは3着まで)の馬にダービーの優先出走権が与えられるトライアル競走。しかし、現時点ではこのレースからダービーを制した馬はおらず、2着が最高である。

プリンシバルステークス(東京競馬場芝2000m):
青葉賞同様東京で施行されるトライアル競走の一つ(リステッド競走)。こちらも現時点での最高順位は2着である。この傾向は事実上の前身レースであるNHK杯の時代から変わっていない。

京都新聞杯(京都競馬場芝2200m):
優先出走権は得られないものの、関西で行われることから、関東への遠征を嫌った馬が出走枠に入るため、このレースで賞金を上乗せしてくる事が多く、事実上の前身レースである京都四歳特別の時代から「東上最終便」の異名がある。
尚、こちらと本番を連勝した馬は過去に2頭いる(2000年のアグネスフライト・2013年のキズナ)。2019年のロジャーバローズもこのレースで2着になった後ダービー制覇を果たしている。

NHKマイルカップ(東京競馬場芝1600m):
イギリスクラシック三冠や牝馬三冠のそれぞれ第1戦(=皐月賞相当のレース)である2000ギニーステークスや桜花賞はマイルであることなどから、皐月賞を回避してこのレースからダービーへ向かう馬も多い。NHKマイルカップとダービーを制した変則二冠馬も過去に2頭出ている(2004年のキングカメハメハ・2008年のディープスカイ)。1995年まではNHK杯という名前で、芝2000mのダービートライアルであったが、こちらはプリンシパルステークスとなった。

廃止されたステップレース
京都4歳特別(京都競馬場芝2000m)
正式名称は毎日放送賞京都4歳特別。現在はその役割を京都新聞杯に引き継ぐ形で廃止。本競走を制した馬で日本ダービーを制した馬は最後まで出なかったが第43回競走を制したシルクジャスティスが2着に入っている。

過去の優勝馬

太字はJRA顕彰馬
☆は三冠達成
★は二冠達成(「皐」は皐月賞、「菊」は菊花賞との二冠を表す。)

年度馬名   騎手  備考
昭和時代
第1回1932年ワカタカ函館孫作記念すべき第1回の勝ち馬
第2回1933年カブトヤマ徳田伊三郎産駒のマツミドリもダービーを制し、史上初の親子ダービー制覇となった
第3回1934年フレーモア大久保亀治
第4回1935年ガヴアナー井川為男
第5回1936年トクマサ伊藤正四郎
第6回1937年ヒサトモ中島時一初の牝馬のダービー制覇
第7回1938年スゲヌマ中村広
第8回1939年クモハタ阿部正太郎デビュー9日目(3戦目)という最短制覇記録 引退後6年連続リーディングサイヤー
第9回1940年イエリユウ末吉清
第10回1941年セントライト小西喜蔵初のクラシック三冠馬
第11回1942年ミナミホマレ佐藤邦雄
第12回1943年クリフジ前田長吉史上二頭目の牝馬のダービー馬。優駿牝馬、菊花賞と合わせて無敗変則三冠。鞍上の前田は最年少でダービージョッキーとなるが、出征後シベリアに抑留された末病死
第13回1944年カイソウ橋本輝雄
第14回1947年マツミドリ田中康三
第15回1948年ミハルオー新屋幸吉
第16回1949年タチカゼ近藤武夫単勝554.3倍はダービー史上最も低い支持率
第17回1950年クモノハナ橋本輝雄
第18回1951年トキノミノル★(皐)岩下密政トキノミノルは無敗二冠を達成したが、このレースの17日後に破傷風で死去。幻の馬と呼ばれた
第19回1952年クリノハナ★(皐)八木沢勝美種牡馬としても天皇賞馬を3頭輩出
第20回1953年ボストニアン★(皐)蛯名武五郎菊花賞はハクリヨウに敗れ三冠ならず
第21回1954年ゴールデンウエーブ岩下密政
第22回1955年オートキツ二本柳俊夫
第23回1956年ハクチカラ保田隆芳その後アメリカで日本調教馬として初の重賞勝利
第24回1957年
第25回1958年
第26回1959年
第27回1960年コダマ★(皐)栗田勝「カミソリの切れ味」と評された皐月賞との二冠馬
第28回1961年メイズイ★(皐)森安重勝菊花賞はグレートヨルカに敗れ三冠ならず
第29回1962年
第30回1963年
第31回1964年シンザン栗田勝史上二頭目のクラシック三冠馬。その後天皇賞と有馬記念も制し、五冠馬と称された
第32回1965年
第33回1966年テイトオー清水久雄12番人気での勝利。二桁人気馬の勝利は、以後ロジャーバローズまで現れなかった
第34回1967年
第35回1968年
第36回1969年
第37回1970年タニノムーティエ★(皐)安田伊佐夫皐月賞も制し二冠達成。シンザン以来の三冠制覇を狙ったが、喘鳴症を発症し、菊花賞は11着に惨敗しそのレースを最後に引退した
第38回1971年
第39回1972年
第40回1973年タケホープ★(菊)嶋田功当時大人気だったハイセイコーを降す。
第41回1974年
第42回1975年カブラヤオー★(皐)菅原泰夫逃げ切りで二冠を達成した「狂気の逃げ馬」
第43回1976年クライムカイザー加賀武見トウショウボーイを下してダービー馬となったが、「犯罪皇帝」の渾名を付けられる。
第44回1977年ラッキールーラ伊藤正徳馬体重534kgでの勝利は、現在でもダービー史上最高馬体重勝利記録として残っている。この年の世代最強馬はマルゼンスキーと言われており、マルゼンスキーの出ない日本ダービーは敗者復活戦のような扱いだった。(しかしラッキールーラとマルゼンスキーが直接対戦した事は一度も無い。)
第45回1978年サクラショウリ小島太
第46回1979年カツラノハイセイコ松本善登ハイセイコーの初年度産駒。父の無念を晴らした
第47回1980年オペックホース郷原洋司ダービーの後は32連敗を記録し、「史上最弱のダービー馬」と揶揄された
第48回1981年カツトップエース★(皐)大崎昭一低人気を覆し二冠を達成。後のサニーブライアンと同じような経歴を辿る
第49回1982年バンブーアトラス岩元市三後に種牡馬として菊花賞馬バンブービギンを輩出。岩元も後に調教師としてテイエムオペラオーを管理
第50回1983年ミスターシービー吉永正人史上三頭目のクラシック三冠馬
第51回1984年シンボリルドルフ岡部幸雄皇帝と称された、史上四頭目、初の無敗のクラシック三冠馬
第52回1985年シリウスシンボリ加藤和宏
第53回1986年ダイナガリバー増沢末夫騎乗した増沢はこの時48歳7か月5日であり、史上最年長のダービージョッキーとなった。
第54回1987年メリーナイス根本康広
第55回1988年サクラチヨノオー小島太昭和最後のダービー。小島騎手はダービー2勝目。クラシック登録が無かったためにオグリキャップが日本ダービーに出走ができない、ということについで制度の見直しを求める声が記者や有識者、ファンから上がった。
平成時代
第56回1989年ウィナーズサークル郷原洋司平成最初のダービー。史上唯一の芦毛のダービー馬
第57回1990年アイネスフウジン中野栄治観衆19万6000人はダービー史上最多。レース後スタンド前を引き揚げてきた人馬に向かって「中野コール」が起きた
第58回1991年トウカイテイオー★(皐)安田隆行シンボリルドルフとのダービー父子制覇達成(無敗二冠)。牝馬初のダービー馬ヒサトモの子孫でもある。
第59回1992年ミホノブルボン★(皐)小島貞博前年のトウカイテイオーに続く無敗で二冠達成
第60回1993年ウイニングチケット柴田政人柴田騎手は19回目(最多)の騎乗で念願のダービー制覇
第61回1994年ナリタブライアン南井克己史上5頭目のクラシック三冠馬
第62回1995年タヤスツヨシ小島貞博サンデーサイレンス産駒初のダービー制覇。小島騎手はミホノブルボンに続いてダービー2勝目
第63回1996年フサイチコンコルド藤田伸二デビューから僅か3戦目でダービー制覇し、「和製ラムタラ」と呼ばれた
第64回1997年サニーブライアン★(皐)大西直宏逃げ切りで二冠達成。「これはもう、フロックでもなんでもない!」
第65回1998年スペシャルウィーク武豊武豊騎手初のダービー制覇。ウマ娘のアニメでもモチーフになったレースだが実際にはエルコンドルパサーは出走していない(当時は外国産馬に出走資格がなかった)
第66回1999年アドマイヤベガ武豊武豊騎手は史上初となるダービー連覇
第67回2000年アグネスフライト河内洋河内騎手は17回目の騎乗で夢のダービー制覇、3連覇を狙う弟弟子・武騎手との叩き合いは、名勝負として知られる
第68回2001年ジャングルポケット角田晃一外国産馬の出走が可能になった初のダービー
第69回2002年タニノギムレット武豊このレース後に故障で引退・後にウオッカとの父娘制覇を達成
第70回2003年ネオユニヴァースミルコ・デムーロ鞍上のミルコ・デムーロ騎手は当時短期免許で来日しており、これが初のダービー制覇。外国人騎手のダービー初制覇となった
第71回2004年キングカメハメハ安藤勝己NHKマイルカップとの変則二冠・勝ち時計2:23:3は当時のダービーレコード
第72回2005年ディープインパクト武豊無敗の三冠馬・GI7勝・単勝支持率1.1倍は歴代最高支持率。また馬主の金子真人氏は前年に引き続き2回目の勝利。
第73回2006年メイショウサムソン★(皐)石橋守二冠馬・GI4勝
第74回2007年ウオッカ四位洋文タニノギムレットとの父娘制覇・GI7勝。牝馬ダービー制覇は64年ぶり
第75回2008年ディープスカイ四位洋文NHKマイルカップとの変則二冠、四位騎手は史上2人目のダービー連覇
第76回2009年ロジユニヴァース横山典弘ネオユニヴァースとの父子制覇・12年ぶりの関東馬のダービー制覇、横山騎手も悲願のダービー初制覇
第77回2010年エイシンフラッシュ内田博幸騎手・馬主・調教師共に初制覇。2012年に天皇賞秋を制覇
第78回2011年オルフェーヴル池添謙一三冠馬。GI6勝・凱旋門賞2年連続2着
第79回2012年ディープブリランテ岩田康誠ディープインパクトとの父子制覇。騎手・調教師共にダービー初制覇。
第80回2013年キズナ武豊重賞5勝 武騎手はこれでダービー5勝目。ディープインパクトとの父子制覇であり、両馬とも武騎手が騎乗している。
第81回2014年ワンアンドオンリー横山典弘ハーツクライ産駒初のダービー馬。管理する橋口調教師はこれまで4度ダービー2着を経験してきたが、初のダービー制覇となった。ちなみに橋口調教師は2004年のダービー2着馬ハーツクライの調教師でもある。また、ワンアンドオンリーとその馬主。そして横山騎手は誕生日が同じ2月23日である。
第82回2015年ドゥラメンテ★(皐)ミルコ・デムーロ皐月賞との二冠達成。2004年のダービー馬キングカメハメハの子であり、勝ち時計は父が記録したダービーレコードを0.1秒更新する2:23:2。
第83回2016年マカヒキ川田将雅馬主である金子真人氏はこれでダービー3勝目。父ディープインパクトも金子氏が所有していた競走馬である。
第84回2017年レイデオロクリストフ・ルメール藤沢和雄厩舎は過去に2度、シンボリクリスエスゼンノロブロイでダービー2着があったが、これが初のダービー制覇。1週間前のオークスでも同厩舎所属のソウルスターリングが勝っており(鞍上も同じルメール騎手)、2週連続でのGI制覇となった。
第85回2018年ワグネリアン福永祐一鞍上の福永騎手は19度目の挑戦でダービー制覇(上記の柴田政人と並ぶ最多所要回数)。オーナーの金子真人氏はこれでダービー4勝目。5番人気→4番人気→16番人気での決着となり、三連単の配当が285万円という大波乱のレースになった、平成最後のダービー。
令和時代
第86回2019年ロジャーバローズ浜中俊令和最初の日本ダービー。12番人気ながら優勝したが、2桁人気の馬が勝つのは1966年のテイトオー以来53年ぶり。浜中騎手は日本ダービー初制覇。調教師の角居は2007年のウオッカ以来12年ぶりの勝利。
第87回2020年コントレイル福永祐一新型コロナウイルスの影響で76年ぶりに無観客開催。無敗での二冠達成は父ディープインパクト以来。2歳GⅠを含んだ場合はミホノブルボン以来。そして菊花賞も勝って史上3頭目の無敗の三冠馬となった。
第88回2021年シャフリヤール福永祐一コロナ禍の中での有観客開催。福永騎手は史上3人目のダービー連覇。全兄は皐月賞馬アルアイン。2年前のダービーレコードを0.1秒更新(2分22秒5)。

ウマ娘プリティーダービーにおける日本ダービー

史実の競走馬の軌跡を追うストーリーになっているため、アニメ・アプリ共に大きく扱われる。開催時期はクラシック級5月後半。
特に93年ダービー馬ウイニングチケット、98年ダービー馬スペシャルウィーク等は強く意識している姿が描かれている。
ウイニングチケットに関してはメインストーリー第三章において、彼女がダービーに夢をかける姿がクローズされている。
ストーリー中では(モデル競走馬において史実で制したことのある)ダービーウマ娘たちの勇姿を紹介する幕間が挟まれる事も。

ゲームにおいては中距離レースの中でも距離が長く、スタミナを多めに用意しておく必要がある。最低でも300~350は必要なライン。もちろん回復スキルもあれば用意しておきたい。
多くの場合クラシック三冠路線に関わり、前走の皐月賞と期間が近いためジュニア級のうちから意識しておく必要がある。
後に菊花賞を目標としているのであればそちらを見据えてのスタミナの補強は急務となるだろう。
また、固定のライバルキャラが普段よりも高いステータスで出走してきているケースも多く(特にダービーを勝てなかったウマ娘)、そうでなくても史実でダービーを勝った名バ達(シンボリルドルフスペシャルウィーク等)が高確率で出走してくるため、挑戦にあたっては万全を期しておきたいところ。

一方、目標レースにない場合であっても、ダービーでのファン獲得数はクラシック級で出走できるレースでもトップクラスである上、同等のファン数を獲得できるジャパンカップ有馬記念は出走条件となるファン数がさらに高いことから、適性やステータスが十分ならダービーへ出走するというのも有力な選択肢となる。
特に長距離路線がメインとなるマヤノトップガンメジロマックイーンあたりはジュニア級からスタミナを重視した育成になりがちなので、ホープフルステークスでダービー出走に必要なファン数確保→ダービーで一気にファン数を稼いで菊花賞以降のGI戦線へ……という流れが組み立てやすい。

pixivにおいて

競馬擬人化:ネタでタグに使用される事が多い。また、勝利した騎手の絵にも付けられることもある。
ウマ娘プリティーダービー:特にアプリ版の配信開始後はこちらに絡めた絵が主となっている。

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