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予後不良

よごふりょう

医療用語で「回復の見通しが立たない場合」を指す。この項目では、競馬における競走馬の予後不良について記述する
目次 [非表示]

(メイン画像は予後不良となった競走馬の一頭・サイレンススズカ)


知らない言葉を覚えるたびに 僕らは大人に近くなる

けれど最後まで覚えられない 言葉もきっとある

石よ樹よ水よ ささやかなものたちよ 僕と生きてくれ

繰り返す悲しみを照らす火をともせ

君にも 僕にも 全ての人にも

命につく名前を 『こころ』と呼ぶ

名もなき君にも 名もなき僕にも

 (中島みゆき命の別名』より、祈りを込めて一部引用)


※注意事項

以下動物愛護や生命倫理などに関連するセンシティブな内容が含まれています。

本ページでは知識や情報としての正確性や、通常の文章としての客観性の問題などを排除できるとは言い切れないので、詳細は公的な専門機関による公式資料を複数参照して頂く事をおすすめします。


概要編集

競走馬の故障の中でも、最悪の事態と言えるのがこの予後不良である。

多くの場合は脚部の粉砕骨折など、非常に重い怪我をした場合にこの診断が下される。


にとって予後不良とは、簡単に言えば死亡宣告のような物と言える。

何故なら予後不良診断が下されるほどの重傷の場合は、その状態からの回復が困難であるケースがほとんどだからである。

馬という哺乳類は、堂々とした体躯に反して胃腸の栄養吸収の効率が悪く、加えて雑食の人間のようにタンパク質やカルシウム等のミネラルを多量に摂取できるわけでなく、またなど偶蹄目のように胃を複数備えてそこで細菌を飼って食した草を発酵させタンパク質やミネラル類を合成するといった器官も持たないため、骨折や筋組織のダメージ完治に長い時間を要する。加えてその間、歩くことができず500kg以上の馬体を維持するための心肺機能や免疫力も低下するため、さらなる疾患を併発させて苦しむリスクを伴う。

この「骨折による歩行困難」と「体力低下による疾病の発症」という二重の枷により、予後不良の馬はどうあがこうとも痩せ衰える以外の未来しかない残酷な結末を迎える。


このため、予後不良診断が下されてしまった競走馬には薬を用いた安楽死処分が行われ、その馬は生涯を終える事となる。(昔は銃で行ったりすることがある。)


この安楽死処分を「残酷だ」と言う者も居るが、馬にとってはそれ以上生きながらえさせる事自体が苦痛となる事が多い。

脚に重度の故障を患った馬は、折れた足をかばうようにして立つため他の足にもかなりの負担がかかる。

そして、重い負担によって他の脚も蹄葉炎(Wikipedia-蹄葉炎)等を発症し、自立不可能となってしまう。

腹帯等で吊る事により足を地面に付かせないようにはできるが、馬と人は言葉が通じないためこのような歩くことができない環境では大きくストレスを溜めてしまい、合併症を起こしてしまったり治療困難な事態も珍しくない。

最後に待っているのは、痛みによるショック死か、衰弱死である。要するに安楽死自体は何ら残酷なことではなく、残酷なのは馬を強制的に競走させる競馬そのものである。

アグネスデキシイミスキャストビンゴガルーヤマニングローバルサクラローレルのように極稀に、予後不良級の怪我を治療する事に成功したケースもあるが、予後不良からの復帰は莫大な費用がかかる上、回復の可能性も非常に低いため、予後不良の診断が下された馬は安楽死させる事が普通となっている。過去にテンポイントサクラスターオーマティリアルサンエイサンキューも治療を受けたものの、テンポイントは症状悪化により衰弱死、サクラスターオーは骨折を発症させたため安楽死になっている。また、マティリアルは手術後の痛みによりストレス性の出血性大腸炎(これは馬にとっては大変致命的な病である)を起こし、安楽死の措置を取ることとなったが、マティリアルが措置を受ける前に出血性ショックで死亡した。そしてサンエイサンキューは手術には成功したものの術後の経過が悪く、翌年に心臓麻痺を起こし死亡した。

元々馬は心臓だけでは血流を身体の隅々まで行き届かせる事ができず、脚をポンプ代わりとして歩く事によりはじめて隅々まで血流を行き届かせる事ができる動物であり、結局無理に生きながらえさせることは却って長く苦しめることになり、いっそ安楽死させた方が馬にとっても人にとっても良い事なのである。

なお、現在のように安楽死処分が徹底されるようになったのは、ハマノパレードが予後不良の診断を受けた後すぐに安楽死処分されずに食肉業者に送られ屠殺された事が問題となったためである。


また、転倒の際に脚ではなく頸椎を損傷したりレース中に心臓麻痺等の心疾患を起こして死亡、という事例もあるが状況としては即死に近く、治る見込みが無いと診断を下し安楽死処分するというプロセスを経ずに死亡に至っているため、厳密に言えば予後不良ではなく、単に死亡・もしくは斃死と発表される(例:コスモサンビームタガノゴールドピンクカメハメハスキルヴィング)。


予後不良と診断された著名な馬編集

※マークのついた馬は下に備考を記載

上記のようにレース中の心疾患等の事例も本来は予後不良と呼称するのは相応しくないが便宜上共に記載する。

馬名故障を発症したレース故障の詳細主な勝ち鞍
スウィンフォード(出走せず)前脚球節粉砕骨折第135回セントレジャーステークス
ガヴアナー(出走せず)左後脚種子骨骨折第4回東京優駿大競走
ヒサトモ(出走せず)心臓麻痺第6回東京優駿大競走
トキノミノル(出走せず)破傷風第18回東京優駿競走
レダ第4回毎日王冠骨折(詳細不明)第27回天皇賞(春)
フエアマンナ第7回東京盃詳細不明第17回優駿牝馬
ナスノコトブキ第55回天皇賞(春)左第三中足骨複雑骨折等第27回菊花賞
キーストン第15回阪神大賞典左第一指関節完全脱臼第32回東京優駿
ハマノパレード第3回高松宮杯左第一関節脱臼等第14回宝塚記念
キシュウローレル第9回京都牝馬特別左第一指関節開放脱臼第24回阪神3歳ステークス
ラフィアンフーリッシュプレジャーとのマッチレース右前脚種子骨粉砕骨折(旧)NY牝馬3冠
テスコガビー(出走せず)心臓麻痺第35回桜花賞
テンポイント第25回日経新春杯左後脚開放骨折第22回有馬記念
キングスポイント第92回中山大障害(春)右足根粉砕骨折第88回中山大障害(春)
シャダイソフィア第28回スワンステークス左第一指関節開放脱臼第43回桜花賞
ノアノハコブネ第33回阪神大賞典寛骨骨折第46回優駿牝馬
ヌレイエフ(出走せず)右後肢粉砕骨折第2回ジュベル賞
サクラスターオー第32回有馬記念左前脚繋靱帯断裂等第47回皐月賞
マティリアル第34回京王杯オータムハンデ右前第一指節種子骨複骨折第36回スプリングステークス
ゴールドシチー(出走せず)右前腕骨骨折第38回阪神3歳ステークス
ハワイアンイメージ(出走せず)右後脚大腿骨骨折第40回皐月賞
ゴーフォーワンド第7回ブリーダーズカップ・ディスタフ右前脚粉砕骨折第6回ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ
メルシーアトラ第35回産経大阪杯左前中手骨開放骨折第38回日経新春杯
ケイエスミラクル第25回スプリンターズステークス左第一趾骨粉砕骨折第34回スワンステークス
アクチブハトリ(出走せず)心臓麻痺1991年房総特別
サンエイサンキュー第37回有馬記念右橈骨手根骨複骨折第28回札幌記念
ライスシャワー第35回宝塚記念左第一指関節開放脱臼第111回天皇賞(春)
ワンダーパヒューム第31回京都牝馬特別左前脚複雑骨折第55回桜花賞
ハシルショウグン1996年障害4歳上未勝利左前第一指関節脱臼第16回帝王賞
スリーコース1997年2月1日すばるステークス左前脚脱臼第3回東海クイーンカップ
ホクトベガ第2回ドバイワールドカップ左前腕節部複雑骨折第18回エリザベス女王杯
サイレンススズカ第118回天皇賞(秋)左前脚手根骨粉砕骨折第39回宝塚記念
イブキラジョウモンC63左後脚複雑骨折第9回中日スポーツ賞4歳ステークス
タガノテイオー第52回朝日杯3歳ステークス左第一趾骨粉砕骨折第5回東京スポーツ杯3歳ステークス
シンボリインディ第33回ダービー卿チャレンジトロフィー右下腿骨開放骨折※第4回NHKマイルカップ
エアシャカール(出走せず)左後脚骨折2000年クラシック二冠(第60回皐月賞・第61回菊花賞)
ビッグウルフ第48回園田金盃左前脚開放骨折第5回ジャパンダートダービー
バーバロ第131回プリークネスステークス右後脚球節下第一趾骨粉砕骨折等第132回ケンタッキーダービー
コスモサンビーム第50回阪急杯急性心不全第55回朝日杯フューチュリティステークス
ジョージワシントン第24回ブリーダーズカップクラシック右前管骨開放骨折等第51回クイーンエリザベス2世ステークス
ロードスフィーダ2006年隅田川特別(1000万下)右前浅屈腱断裂2006年4歳以上500万下
サクラセンチュリー第60回鳴尾記念左前繋靱帯断裂第43回アルゼンチン共和国杯
アドマイヤキッス(出走せず)右第三中手骨開放骨折第24回ローズステークス
ローゼンクロイツ第44回金鯱賞左第一指関節脱臼第43回金鯱賞
オディール2009年道頓堀ステークス左第一指関節開放脱臼第12回ファンタジーステークス
アントニオバローズ(出走せず)肺胸膜炎第43回シンザン記念
イコピコ2011年夏至ステークス右第一指関節脱臼第57回神戸新聞杯
ロックハンドスター第24回南部杯右上腕骨骨折第36回桐花賞
ゴルトブリッツ(出走せず)腸捻転第35回帝王賞
マーベラスカイザー(出走せず)腸捻転第135回中山大障害
ジョワドヴィーヴル(出走せず)左後肢下腿骨粉砕骨折第63回阪神ジュベナイルフィリーズ
マジェスティバイオ2013年イルミネーションジャンプステークス右前浅屈腱断裂第14回中山グランドジャンプ
メルシーエイタイム第136回中山大障害左第二趾関節脱臼(左後膝剥離骨折)第130回中山大障害
コディーノ(出走せず)腸捻転第17東京スポーツ杯2歳ステークス
ヴェルデグリーン(出走せず)末期癌第55回アメリカジョッキークラブカップ
トレーディングレザー第34回ジャパンカップ右第一指骨粉砕骨折第148回アイリッシュダービー
オオエライジン第37回帝王賞左前球節部完全脱臼第12回兵庫ダービー
タガノジンガロ第15回JBCスプリント急性心不全第16回かきつばた記念
アポロマーベリック第138回中山大障害左第三中手骨開放骨折第16回中山グランドジャンプ
ショウナンマイティ第57回アメリカジョッキークラブカップ左前繋靱帯不全断裂第56回産経大阪杯
ナムラビクター2016年総の国オープン右第三中手骨複雑骨折第19回アンタレスステークス
シングウィズジョイ第58回アメリカジョッキークラブカップ左上腕骨骨折第50回サンスポ賞フローラステークス
ニュータカラコマ第50回ばんえい記念心不全第29回ばんえいグランプリ
シングンマイケル第22回中山グランドジャンプ頸椎関節脱臼第142回中山大障害
タガノゴールド第68回北國王冠心臓麻痺第62回園田金盃
ルクシオン(出走せず)左上腕骨骨折2020年福島2歳ステークス
ゼンデン第28回ドバイゴールデンシャヒーン左前脚複雑骨折第28回ドバイゴールデンシャヒーン
ラブバレット2021年スプリント特別右第一指骨開放骨折第13回笠松グランプリ
ピンクカメハメハ第26回ユニコーンステークス急性心不全第2回サウジダービー
ベストアクター第16回阪神カップ右第一指関節脱臼第64回阪急杯
スノーフォール(出走せず)骨盤骨折第243回オークスステークス
ヴァイスメテオール(出走せず)右前球節開放骨折第70回ラジオNIKKEI賞
マイネルバサラB14心臓麻痺第38回浦和記念
ノーヴァレンダ第26回マーキュリーカップ心臓麻痺第69回全日本2歳優駿
トーセンスーリヤ第24回OROカップ左肩関節脱臼第57回函館記念
メルズーガ(出走せず)骨折(詳細不明)C2四
スキルヴィング第90回東京優駿急性心不全第30回青葉賞
ストーリア第71回府中牝馬ステークス左第一指関節脱臼2023年関越ステークス
タリフライン第40回ホープフルステークス両腸骨骨折2023/10/07二歳新馬戦
ビートブラック(出走せず)骨盤骨折第145回天皇賞(春)
ヴェロキラプトル第64回きさらぎ賞左第三中手骨骨折2023年野路菊ステークス
ラプラーニュ(出走せず)右腸骨翼骨折2024/6/22二歳新馬戦
インダストリア(出走せず)悪性リンパ腫第55回ダービー卿チャレンジトロフィー
アヤザーク第103回凱旋門賞肺出血第132回ガネー賞

備考編集

馬名内容
スウィンフォードプリンセスオブウェールズステークス勝利後、ジョッキークラブステークスを目指しての調整中に前脚の球節を粉砕骨折。普通なら安楽死されてもおかしくないほどの大怪我だったが、スウィンフォードが暴れなかったことと、その後の治療が上手くいき、一命を取り留めた。引退後は種牡馬として大成功し、7頭のクラシックウィナーを送り出した。
ガヴアナー東京優駿大競走勝利の13日後、調教中に左後脚の種子骨を骨折。治療の甲斐なく、13日後に安楽死。
ヒサトモ引退後は久友という繁殖名で繁殖入りしていたが、戦後の競走馬不足の影響で16歳にして地方競馬で異例の現役復帰を果たす。同年11月19日、調教後に突然転倒し、そのまま心臓麻痺で急死した。
トキノミノル東京優駿から5日後の6月8日から体調に異変が生じ、その後の検査で破傷風に冒されていることが判明。懸命な治療が施されたものの、東京優駿の17日後の6月20日に破傷風に伴う敗血症で死亡。その死は社会に大きな影響を及ぼし、後に『幻の馬』という映画の題材にもなった。
ナスノコトブキ馬主サイドの意向で延命治療が行われるも、患部から菌が入って敗血症を発症し故障から11日後に死亡した。
キーストン落馬した山本騎手に歩み寄り、気遣うような仕草を見せた。
ハマノパレード先述の通り、事故後、屠殺場に送られ屠殺される。
ラフィアン1972年にフーリッシュプレジャーとのマッチレース途中で左前種子骨粉砕骨折を発症。この一件以降、アメリカでは公式のマッチレースは開催されていない。
テスコガビー1976年5月2日の東京のオープンで復帰するが6着に敗れ、以降脚部不安を発症し長期の休養に入った。従来なら年齢も考えて引退も検討されるところだったが、諦めきれない陣営は現役続行を選択し、その後順調に調整を重ねていったが、1977年1月19日、調教でコースを速歩で1周半した後、駈歩に移行した際に突然前のめりに転倒。心臓麻痺と診断されこの世を去った。
テンポイントファンの声に押され、延命治療が行われるも43日後に衰弱死。ただし、この時の治療の試みは決して無駄になったわけではなく、テンポイントの知見を元に獣医学が進歩し、その後多くの馬が助かるようになったことも事実である。そうして確立された現在の医療技術ならばテンポイントは助かるとも。テンポイントが顕彰馬に選ばれた理由は「数字には出てこない部分で日本の競馬に大きな貢献があった」とのことだが、恐らくこの事も含まれている。
ヌレイエフ引退後の種牡馬生活中、放牧先で牧柵を蹴り右後脚を粉砕骨折。普通なら安楽死されてもおかしくないほどの重傷だったが、当時の最先端医療を駆使して奇跡的に回復。手術から7ヶ月後には牧場に戻り、種牡馬生活を続けた。なお、この時の後遺症で、生涯右後ろ脚は引きずったままだった
サクラスターオーファンの声と馬主の意向によって治療が行われたが、約4か月半後に別の箇所を骨折、自立不可能となり安楽死の措置が執られた。
マティリアル京王杯オータムハンデキャップで1着でゴールした後に故障を発症、鞍上の岡部幸雄が急ぎ下馬するほどだった。その後治療・手術が行われたものの術後の痛みからくるストレスのため出血性大腸炎を発症し、レースから4日後に死亡した。
ゴールドシチー引退後は乗馬となったが、引退した半年後の1990年5月1日に放牧場で右前脚を浮かせた状態で発見され、検査の結果右前腕骨骨折と診断され安楽死。故障した原因は今も不明。
ハワイアンイメージ引退後は種牡馬となり、ある程度の人気を集めていた。1990年10月14日、放牧中に転倒し右後脚大腿骨を骨折。予後不良と診断され安楽死。
アクチブハトリ船橋競馬所属の馬。重賞競走への出走はなかったが、デビューから10戦10勝と破竹の快進撃を続け、後に重賞を勝つフジノダンサーやパワーデイクターなどを全く寄せ付けない強さを誇っていた。しかし最後のレースとなった房総特別勝利後、復帰戦に向けて調教を重ねていたが、1991年12月28日の調教後、厩舎に戻る途中に心臓麻痺を起こし死亡。その強さから『幻のダービー馬』と言われるほどだった。
サンエイサンキュー馬主側からの要請で辛くも治療は成功したが、その後の状態が悪く、結局故障の翌年に心臓麻痺により死亡した。
ライスシャワーレース中、左前脚を開放脱臼し、粉砕骨折を発症し転倒。余りにも重傷すぎて馬運車に乗せることすらできなかったため幔幕の張られたターフ上で安楽死の措置が執られ、軽症で済んだ鞍上の的場均騎手は、亡骸を運ぶ馬運車に最敬礼をして見送った。死の翌年、最期の地である京都競馬場には「疾走の馬、青嶺の魂となり」と刻まれた石碑が建立され、四半世紀が経つ今日においても多くの人々が献花や供え物をしている。
スリーコース引退レースとして出走したすばるステークスにおいてゲート内で暴れて転倒し左前脚を脱臼、予後不良。引退後の繁殖入りも決まっていた上にスタートが抜群に上手い馬がゲート内で最期を迎えた悲劇性から数々の書籍で取り上げられその死が悼まれた
イブキラジョウモン最後に出走したレース中に左後脚を複雑骨折。普通なら安楽死されてもおかしくないほどの故障だったが関係者の懸命な治療と働きかけにより、2000年8月より土佐黒潮牧場で余生を送ることとなった。2017年9月に腸捻転の為死亡。
シンボリインディスタート前にゲート内で暴れ、ゲートの下を潜り抜けてしまい開放骨折を発症。
エアシャカール引退後は種牡馬入りするもそれからわずか3ヶ月後の2003年3月13日、放牧中に鹿に驚き柵を飛び越えようとして左後脚を骨折。安楽死となった。
バーバロゲートを壊して発馬、再スタート後すぐ競走中止。懸命の治療により一旦は快方に向かったものの、3か所に蹄葉炎を発症したため安楽死。
ロードスフィーダ2006年3月18日の第2回中山競馬7日目9R隅田川特別で右前浅屈腱断裂を発症して競走を中止し、当初は予後不良と診断されたが、後日診断内容が競走能力喪失に変更になった。
アドマイヤキッスヴィクトリアマイルに向けての調教中に右第三中手骨を骨折。手術は成功したが、その後疝痛を発症し、苦痛に耐えきれず暴れた際に負傷箇所を開放骨折し安楽死。
アントニオバローズバレンタインS出走後、喘鳴症を再発。手術を行ったが、放牧先への移送中に肺炎を発症し、栗東トレセンで治療を行ったが回復せず、肺胸膜炎となり安楽死。
ゴルトブリッツ帝王賞後、ノーザンファームしがらきに放牧に出されていたが、2012年8月24日に腸捻転を発症。回復の見込みが立たないため安楽死。
マーベラスカイザー阪神スプリングジャンプ後、左橈骨遠位端骨折を発症。治療のためイクタトレーニングファームに放牧に出されていたが、2013年4月27日に腸捻転を発症。回復の見込みが立たないため安楽死。
ジョワドヴィーヴル鳴尾記念に向けて調整をしていたところ、途中で異常が発生し診療所に向かわせたところ、骨折が判明となり安楽死。
ヴェルデグリーン2014年の宝塚記念の後放牧に出されていたが、8月2日に放牧先で腹痛を発症したため美浦トレーニングセンターの診療所に搬送されて翌日に開腹手術が行われたが、腸全体が癌に侵されており、末期の状態であったため、予後不良と診断され死亡。
メルシーエイタイム中山大障害後、かなりの重傷めはあったものの、完全脱臼では無く亜脱臼だったため獣医の判断で延命手術を行う。翌月の検査で、もう一本別の脚の剥離骨折が発覚。レース時の怪我か、脚を庇い続けた結果の二次被害なのかは不明だが、もしレース直後時点でこちらが発覚していた場合はその場で安楽死処分だった可能性が高い。この怪我により、競走能力喪失により抹消となり療養のため乗馬クラブに移動。スタッフたちの懸命な支えもあり、長い闘病生活を生き延びたが、1年後に手術箇所が悪化したため死亡。
コディーノダービー卿チャレンジトロフィー後、疝痛を発症。美浦トレーニングセンターで開腹手術を行ない一時回復したが、その後容態が悪化し予後不良と診断され安楽死。
ニュータカラコマばんえい競馬所属の馬。2018年のばんえい記念に出走し、無事第2障害も越えたが、ゴール手前約20mの所で脚が止まり突然転倒。以降二度と立ち上がることなく、その後ブルーシートを被されどこかへと運ばれていくという衝撃の最期を遂げた。
シングンマイケルレース中にすでに心臓発作を発症しており、騎手が止めようとするも止められずに最終障害で躓いて競走中止。薬殺される前にすでに頚椎関節脱臼により即死していた。数年前にもメジロラフィキが同じ場所で転倒し、頚椎骨折で即死していた。
ルクシオン2021年1月26日、クイーンカップを目指して栗東トレーニングセンターにて調教が行われていたが角馬場にて他の馬の挙動に驚いて放馬し、そのまま地下馬道へ逃避。その際にカーブを曲がり切れずに壁へ激突し左肩を強打し、左上腕骨骨折を発症。手術不可能な部位であったために安楽死となった。
ゼンデンドバイゴールデンシャヒーンで勝利を遂げるも、前述のマティリアル同様ゴール後に故障発生。騎手を振り落とす様子がゴール前のスクリーンに映された。文字通り乾坤一擲の走りであった。
スノーフォールチャンピオンズフィリーズ&メアズステークス以降は休養に入っていたが、2022年1月11日に厩舎スタッフが馬房に様子を見に行ったところ起立不能になっており、骨盤骨折と診断され安楽死。
ヴァイスメテオールメトロポリタンステークス勝利後エプソムカップを目指して調整していたが、1週前追い切り直後に跛行。診断の結果、右前球節開放骨折を発症し安楽死。
メルズーガ2015年出生、2023年引退。フジキセキ系のカネヒキリを父に持ち、母父ラムタラという良血馬。園田や姫路といった地方競馬で111戦8勝。決して好成績を残したとは言い難く、引退後は五月の端午の節句中に行われる三重県多度大社の上げ馬神事に使われることになった。が、この上げ馬神事傾斜の急な坂を駆け抜けた後に障害レースや乗馬でも採用しない2m以上の土壁をぶっつけ本番で飛び越えさせ、失敗すればその場で首や腹を無理に縛り上げて引きずり上げるという、おおよそ平地競走用のサラブレッドに施す行為から逸脱した祭事が災いし、足を折って予後不良となった。NPO法人引退馬協会は苦言を呈しこれに賛同する組織もちらほら現れてはいるものの、これら開催者側の問題行動に加えて神事であることや地域色、下記スキルヴィング号との比較、行き過ぎた動物愛護の観点から様々な方面に飛び火し現在解決不能に思える論争となっている。競走馬の世界を離れているため、正確には「予後不良」という呼称は相応しくないが、便宜上記載。
スキルヴィング2023年の日本ダービーのレース中直線にて反応がなく失速、その後17着で入線した後歩き出し、鞍上のクリストフ・ルメール騎手が下馬した後によろめいて第1コーナー付近の芝コース上に倒れ込んだ。馬運車で運ばれた後、競走中の急性心不全により死亡が確認された。(なお、獣医の判断が下る前に斃死したため、厳密な意味では「予後不良」では無い。)運ばれる迄の間、ルメール騎手は心配そうに倒れたスキルヴィングのことを撫でる場面も見られた。
ビートブラック引退後は京都競馬場で誘導馬として活躍。2023年11月に誘導馬を引退し、宇都宮市内の馬事公苑で余生を過ごしていたが、2024年2月13日に骨盤を骨折し、安楽死処置される前に息を引き取った。
ヴェロキラプトル2024年2月4日のきさらぎ賞のレース中に骨折を発症し競走中止。手術可能なことから馬主の意向により治療が行われ、手術自体は成功し経過も良好であったが2月17日に更に骨折を発症し手術不可能と診断され安楽死となった。
ラプラーニュ新馬戦勝利後は放牧に出されていたが、2024年7月4日に右後趾を負傷しエコー検査を行った結果、右腸骨翼の骨折が判明。懸命な治療を続けたものの、午後になって起立不能になり、安楽死処置される前に衰弱死した。
インダストリア2024年6月21日に去勢手術を受け、その後体重が減少。検査の結果、腹腔内の腫瘍が見つかり、7月末に開腹手術を行った。8月7日に採取した組織の病理検査を行った結果、悪性のリンパ腫と判明。腫瘍の大きさから、回復の見込みが立たないと判断されて予後不良となり安楽死。




余談編集

一部の競馬ゲーム(ダービースタリオンウイニングポスト(初代・6以降))にもこの要素が取り入れられ、プレイヤーのトラウマ要素にもなっている。(ダビスタの場合は「予後不良と診断されました」(シリーズによっては安楽死という言葉も追加されている)のテロップが出てその後生涯成績が出る、ウイニングポストのプレイヤー所有馬の場合は生涯成績の表示の後に「刹那の競走馬生活を駆け抜けた優駿 その志半ばでターフにその生命捧げる (馬名)よ、安らかに眠れ」というテロップが出てプレイヤー所有馬の調教師がその馬が予後不良と診断されたことをプレイヤーに伝える(ただしプレイヤーが意図的に追い込まない限り、予後不良どころか軽い故障もすることはまずない。)。また、プレイヤーが所有していない史実馬(上記のライスシャワー、サイレンススズカ等)が予後不良になった場合、秘書がその馬が予後不良と診断されたことをプレイヤーに伝える。)


競馬は博打である以上、競馬場は多かれ少なかれ鉄火場のような雰囲気が有るが、予後不良のアナウンスが流れた際は、例え未勝利馬だろうが重賞馬だろうが空気が重くなる。


競馬関係、特にJRAが、広報のためにあらぬ方向へ突っ走った時には「公式が予後不良」と言われる事がある。

例えばJAPAN WORLD CUPとかウマドンナとか。


関連タグ編集

競馬 競走馬

動物福祉

安楽死

公式が予後不良 作者は予後不良ネタタグであるため注意

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