曖昧さ回避
- ルドルフ・ハメトヴィチ・ヌレイエフ(1938年3月17日~1993年1月6日)。ソ連生まれのバレエダンサー。タタール系で、ニジンスキーの再来と言われたが、反抗的な態度から政府に警戒された。1961年、海外公演中に亡命。1982年、オーストリア国籍を取得。1993年、AIDSにより死去(54歳)。
- アメリカ生産・フランス調教の競走馬・種牡馬。馬名はバレエダンサーのヌレイエフから。種牡馬として偉大な実績を残した。
競走馬「ヌレイエフ」
ノーザンダンサーの直仔で、1977年5月2日に名門・クレイボーンファーム(アメリカ・ケンタッキー州)で生まれ、1978年にギリシャの海運王・タブロス・ニアルコスに購入された。
フランソワ・ブータン調教師の厩舎に預けられ、フランスで競走生活を送る。
1980年5月3日、イギリスの2000ギニー(GⅠ)で1位入線したが進路妨害で失格。その後すぐ感染症により競走馬を引退した。通算成績は3戦2勝。
1981年よりフランスで1年間種牡馬生活を送り、1982年より32億円のシンジケートが組まれてアメリカへ渡った。
2001年10月29日、死亡。
主な産駒
↓→ヒシアマゾン
↓→ザグレブ
↓↓→コスモバルク
→ミエスク
↓→フォティテン
↓↓→ワンダーパヒューム
→ジルザル
↓→ピヴォタル
↓↓→シユーニ
↓↓↓→ソットサス
↓↓↓→セントマークスバシリカ