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概要編集

正式国名:ギリシャ共和国(ギリシャ語:Ελληνική Δημοκρατία、英語:Hellenic Republic)

公用語はギリシャ語、首都アテネ


古代ギリシャ文化を生んだ土地として名高く、首都アテネ1896年に第1回近代オリンピックが開催され、2004年にも夏季オリンピックが開催された。


国名編集

日本ではギリシアとも表記されるが、ギリシャ語では「Hellas(ヘラス)」と呼ばれるとのことで随分と異なる。ちなみに、英語では「Greece(グリース)」という発音表記となる。これは古代ローマではギリシャをグラキアと呼んでいたことに由来し、日本語を始め多くの言語での国名はこのラテン語を語源とする。


さてヘラスの方だが、古代ギリシャにおいて、ギリシャ人はヘレネスを自称し、この名称はデウカリオンの洪水を生き延びた英雄「ヘレン」に由来する(トロイア戦争に登場するヘレナとは別人)。ギリシャ人はヘレンの子孫、即ちヘレネスと名乗り、後にギリシャ風文化を指す「ヘレニズム」の語源にもなった。そしてヘレネスの土地ということでギリシャ人の土地をヘラスと呼んだ。なお、これは古代ギリシャ語の場合であり、現代ギリシャ語ではやや発音が変わってエラダというのがギリシャ人の名乗る国名である。



地理編集

地中海東部・バルカン半島最南端に当たるペロポネソス半島と、スキアデス諸島やクレタ島をはじめとしたその東のエーゲ海に浮かぶ島々からなる。中央ギリシャには「ギリシャの背骨」と呼ばれるピンドス山脈が広がる。

古くから「貧困はギリシャの伴侶(ヘロドトス」と呼ばれた様に、山がちで痩せた土地が多く、古代ギリシャにおいてオリーブ栽培(痩せた土地でも育ちやすい)や海運、植民都市の建設が頻繁に行われた一因といわれている。


有名な都市としては首都アテネに加え、スパルタ教育やレオニダスが治めていたことで有名なスパルタ、オイディプス王の伝承に登場するテーべ、2番目に大きな都市テッサロニキ、アテネ近くにある港町ピレウス、クレタ島北部にあるイラクリオン、テッサリア地方の中心部ラリサなどがあげられる。


サモトラケのニケが発見されたサモトラケ島、ヘリオスの巨像があったロードス島もこの国の領地である。



歴史編集

成立編集

後に「ギリシャ」と呼ばれるようになる地には、様々な住民移動の伝承が伝わっている(エーゲ海を横断してのトロイア戦争、スパルタへのドーリア人の移住など)。紀元前6世紀までにはエーゲ海周辺に多くの都市国家(ポリス)が乱立、地中海東部やイタリアスペイン北部にかけて海運を広げ都市を建設した。また、都市国家間での小競り合いも絶えなかった。しかし、一方でそれら紛争に成年男子を駆り出すという事態が都市国家政治や共通課題に可能な限り彼らが参画すべきである、という気風に繋がっていった。いわゆる民主制の萌芽である。


マケドニア時代編集

東にペルシア帝国が成立し、ギリシャ諸国への服属を求めるも、ギリシャ諸国の多くがこれを拒否。いわゆる「ペルシア戦争(紀元前5世紀初頭)」が勃発する。アナトリア半島沿岸諸都市は屈服するも、アテネやスパルタを中心とする諸国は何とかこれを退け、以後約50年間平和が続いた。古代ギリシャの最盛期である。古代ギリシャ文化の中で最も代表的ともいえるのが、この時代から最盛期となったギリシア哲学であった。これは一般的な意味での哲学のみならず、自然科学などの西洋学問の基礎を作り上げる。だが平和はアテネとスパルタの対立により崩れ、ペロポネソス戦争に発展したことにより都市国家間の紛争が再燃。これをきっかけに再度ペルシアの干渉が強まってポリスの政治的独立は脅かされ、その果てに、ついにほとんどの地域がポリスに由来しない北の大国、マケドニアに併呑される。

マケドニアは王族出自がギリシャから来たとされるが、ギリシャ世界では辺境の国であった。だが紀元前4世紀、このマケドニアのアレクサンドロス大王エジプト - インドにまで及ぶ広大な帝国を作り上げる。この帝国の支配によって、ギリシャ文化がユーラシア大陸西部各地に伝播した(ヘレニズム)。


ローマ帝国時代編集

しかし、程なくマケドニアも分裂抗争を始め、地中海を制圧しつつあったローマ共和国、次いでローマ帝国覇権下に入る。しかしそれでも、ギリシャ語が帝国東部の共通語の一つとして流通するなど、一定の重みを持つ地域であった。

さらに紀元後4世紀末、ギリシャの植民都市に由来するビザンティオンにローマの都が移動、皇帝コンスタンティヌスの名からコンスタンティノープルと改名した。こうしてローマ帝国は東ローマ帝国に移り変わって行く。オリンピックなど多神教時代を連想させるものが停止される一方で、ギリシャ文化の影響が強いキリスト教正教会が栄える。政治的にも、西方領土を失った中期以降の東ローマ帝国は、多民族帝国から自らを「ギリシャ人」と自認する人々の国へと移り変わる。ギリシャ文化復興が勧められ、現代のギリシャ人は東ローマ帝国を自国の前身の1つと見なしている。

その東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は11世紀頃まで小アジア・バルカンを支配する地域大国としての地位を保ち、首都コンスタンティノープルも当時の世界有数の大都市として知られていた。だが、後に現代ギリシャとなる地域は、沿岸を除けばどちらかといえば辺鄙な地域であった。なお、沿岸は首都前庭として、また西ヨーロッパとオリエントを繋ぐ商業路として重視された。一例をあげれば、これに注目したヴェネツィア共和国が、エーゲ海上の多くの島を買い取り要塞化している。

7世紀以降、東方のイスラム教諸国に脅かされるようになり、11~13世紀には西欧諸国による十字軍戦争が起こる。東ローマ帝国は初期の十字軍と共闘したが、第四回十字軍は東ローマ帝国の内紛に乗じて1204年にコンスタンティノープルを占領し、東ローマ帝国の没落を招いた。ただ、十字軍を機に西欧との文化交流が進み、西欧における古代ギリシャ・ローマ文化の再評価とルネサンスにつながった側面もある。

1453年、イスラム教文化圏の大国であるオスマン帝国に敗れ、東ローマ帝国が崩壊。僅かにペロポネソス半島に残った東ローマ皇族が支配する小国も程なく占領される。ヴェネツィアなどの要塞も徐々に制圧されていった。

異教徒による支配下ながらも、一部の正教会の聖職者者はオスマン帝国の権力者と結びついて地位を保証され、ギリシャ人の多くはキリスト教の信仰を許され、ギリシャ語も継承された。

東ローマ帝国の首都だったコンスタンティノープルは、イスタンブールと名を変え、トルコ人、ギリシャ人、エジプト人、アラブ人、ユダヤ人などの諸民族が平和的に共存して商業が栄え、国際的な大都市へと発展していった。

しかしながら、18世紀以降の西ヨーロッパの近代文化の発達からは取り残されることになる。


近代化編集

19世紀に入ってギリシャ人のナショナリズムが高揚し、1821年よりトルコからの独立戦争が始まる(ギリシャ独立戦争)。紆余曲折を経て、最終的には英国フランスロシアなどの大国介入によって、アテネとエーゲ海の島々を中心とする領土で独立した。ただし、イスタンブールは引き続きオスマン帝国の支配下に置かれた。

近代ギリシャ王国の初代国王はドイツ人でバイエルン出身だった。イギリス、フランス、ロシアのいずれにも属さない中立的な人物を国王に選んだためである。ところが、この初代国王オソン1世はドイツから連れてきた官僚を中心に国民を無視した政治を行い、政変を経てデンマーク出身のゲオルギオス1世が新たな国王となる。

だが、もともとギリシャは一個の王国ではなく小さな都市の集合体だったので国民の一体感も乏しく、教育の普及も不充分で、政情は不安定だった。

20世紀に入ると、後にエレフテリオス・ヴェニゼロス首相の元で軍事的経済的に発展し、領土を拡大する。イスタンブールをはじめオスマン帝国支配下にあるギリシャ人居住地の奪回を唱えるメガリ・イデアの運動もあったが、国王と首相の対立で混迷。

第1次世界大戦後、オスマン帝国領土分割の中でこれは一時実現するかと思われたが、希土戦争(ギリシャ・トルコ戦争)でケマル・アタテュルク率いるトルコ軍に惨敗して国土拡大は停止した。そしてトルコとの住民交換(追放)という形でメガリ・イデアも幕を下ろしている。

1930年代にはイオアニス・メタクサス将軍が、ドイツのナチス政権をまねたファシズム的な独裁体制を確立するが、皮肉にも第2次世界大戦では枢軸国の占領を受ける。大戦末期には共産党系のレジスタンスと、イギリスの支援を受けた保守系のレジスタンスがドイツ軍からの解放を果たすが、両者の対立が深刻化する。

結局、イギリス首相チャーチルとソ連共産党書記長スターリンによる東欧分割の秘密協定により、戦後のギリシャは反共・自由主義陣営に属することになった。だが、近隣のバルカン半島諸国が軒並み共産主義化したなか、ギリシャでは軍部が政治に強い影響力を持つことになる。また、国王一家は大戦中、国民と苦難を共にすることなく海外に逃れており、しかも親独派と見なされていたので、信望が低下していた。

1960年代には政界での右派と左派の対立が激化し、軍部がクーデターを起こして軍事政権を樹立する。しかし内戦を経て軍事政権は打倒され、1974年に国民投票で王政を廃止。本格的に民主政治に移行する。


経済危機編集

1981年にはEU欧州連合)にも加盟し多額の経済支援を受ける。しかし、その支援に国家経済が依存した結果、深刻な経済危機に発展してしまった。2009年には粉飾決算を隠して欧州連合に加盟していたことが発覚し、更に世界にその余波を広げるユーロ危機を引起こした。原因は歴代政権の度重なる失策や放漫財政、2004年のアテネオリンピックの負債、公務員の人数の多さによる巨額の人件費などが原因とされる。2011年前後からデフォルト(債務不履行)に陥る危機に晒され、IMF国際通貨基金)とEUからは支援と引換えに厳しい歳出と公務員削減を言い渡され、10年に渡る苦闘が続いた。



文化編集

美しいギリシャょ!消えし武勇の悲しい残映よ!滅びてもなお不滅なものよ!破れてもなお偉大なものよ! ーG. Byron, Childe Harold's Pilgrimageより


ギリシャ独立を熱狂的に支援し倒れたイギリスの詩人バイロンの詩にあるとおり、古代ギリシャの哲学、科学、軍事そして芸術における名声は圧倒的である。後述の有名人リストには教科書でもお馴染みの天才たちが並ぶ。哲学の父、ソクラテスプラトン。幾何学の父ユークリッド。万学の祖アリストテレス。歴史の父ヘロドトス。叙事詩の最高峰ホメロス。そして軍事の天才アレクサンドロス3世。他、全て数えるとキリがない程である。欧米の哲学史・科学史のテキストはその多くがこのギリシャの偉人達の業績から始まり、いわば古代ギリシャは欧米文明の始祖であった。その始祖の地がイスラム教徒に占領されていることに同情あるいは憤慨する人々は、バイロンを始め、多数がギリシャ独立戦争に参加した。独立運動以来の近代ギリシャはこの名声を利用し、あるいは倦み、さらには裏切って内紛に揺れたりを繰返しながら歩んで来た。中には近代ギリシャ人は古代とは全く別民族であるという批判すら飛び出したが、アテネ大学の歴史学教授パパリゴプロスのいう古代から中世ビザンツへと続いて来たヘレニズム文化、そして自由と平等を貴ぶ民族性がギリシャ文化の継続性を示している(村田奈々子『物語近現代ギリシャの歴史』)。


なお、白い大理石彫刻で有名な国の1つとして挙げられるが、実際はそこまで白くはなく、寧ろ色取り取りの彩色がされた芸術品であったことが分かっている。これはドイツの美術史家「ヴィンケルマン」による扇動や19世紀に白が美しい色として持て囃された影響で形作られたイメージであり、オスマン帝国経由で大英博物館パルテノン神殿の装飾を研磨した事は、装飾本来の彩色を歴史から抹殺してしまった。これはギリシャとイギリスの間で確執を産んでいるなど結構根深い問題なのである。


信仰編集

宗教的には、ギリシャ神話が有名であるが、現代ギリシャは必ずしもオリンポスの神々を信仰している訳ではなくキリスト教正教圏である。長きに渡るトルコとの戦争を収めるべく結ばれた1923年のトルコとの強制住民交換合意書により、トルコ国内正教徒はギリシャ人と見なされてギリシャに追放され、逆にイスラム教徒はトルコ人と見なされてトルコに追放された。この様にギリシャはアイデンティティ的には古代ギリシャ以上に、正教国家東ローマ帝国の後継者という色彩も強い。しかし、毎回のオリンピックにおいては聖地オリンポス山にて女神ヘスティアの巫女達により開催地に送られる聖火が灯される儀式があり、古代ギリシャ文化の継承者としての地位も守られている。現代では徐々にではあるが、ギリシャ神話の神々の信仰を復活させようとする試みも始まっている。



経済編集

第1次産業人口構成が10%前後を占めるが、先述の通り生産力には恵まれない。主要な輸出品目は石油製品で、原料を輸入して加工輸出している。しかし、最も主要な産業は観光業であり、貿易収支の赤字を十分に補う収益を挙げている。観光業関連でGDPの20%以上を稼いでいるという試算もある。一方で余りに多い観光客数によるオーバーツーリズムの弊害にも悩まされ、特に乏しい水資源消費が問題となっている。



外交編集

外交面では、EUに加入している。先述の経緯もあって、隣国・トルコとは現在も因縁の関係にあり、キプロスの分断問題を巡っては鋭く対立する。また国名を巡ってマケドニアとも対立があった。ギリシャ人の観点としては、古代マケドニアはギリシャの一部でありその王として有名なアレクサンドロス大王もギリシャ都市同盟盟主と見なされる。古代マケドニアの領土のうち南部は現代もギリシャ領であるが、長年スラブ諸族に支配されていた経緯もある。そしてそのスラブ人が居住する北部はマケドニアの国名を名乗ってユーゴスラビアから独立した。しかも2006年に成立したマケドニア右派VMRO-DPMNE政権は、首都スコピエにアレクサンドロスの巨象を立て、空港に王の名を付け、政府刊歴史書に国民は古代マケドニア直系であると書いたので、ますますギリシャは警戒し、マケドニアNATO加盟に反対した。これに関しては交渉が続き、2019年にマケドニアが北マケドニアに改称することで一応の解決を見た。



その他話題編集

  • ギリシャといえば白い布を羽織った古代ギリシャ人を連想するが、彼らが着ている衣装を「キトン」と呼ぶ。
  • イナズマイレブンの世宇子中イレブンが着ているものは「トーガ」と呼ばれるが、アレは古代ギリシャの上着「ヒマティオン」がローマで形を変えたものであり、厳密にはギリシャの衣装というわけではない。
  • 国獣イルカフェニックスである。
  • ギリシャ料理は地中海風と中近東風双方の影響を受けている。いわゆる地中海式ダイエットの元祖の一つで、獣肉や乳製品少な目で生活習慣病予防に適する。代表的料理はキュウリをすり潰したヨーグルト和え「サジキ」、カラマリの揚げ物(イカフライ)、ナスとホワイトソースの重ね焼き「ムサカ」など。
  • 藤村シシン…古代ギリシャ研究家。ユーモアな解説が売り。アサシンクリードにも監修として関わっている。



関連キャラ編集

大抵がギリシャ神話がモチーフのキャラとして描写される。


Fateシリーズ(ギリシャ出身キャラのみ)


聖闘士星矢


関連イラスト編集

無題BOEOTIA


関連タグ編集

ヨーロッパ/欧州  欧州連合

南欧 地中海 バルカン半島 アテネ

古代ギリシャ 東ローマ帝国 オスマン帝国

ギリシャ人 ギリシャ神話 オリンピック ギリシャ語 ギリシャ料理

ギリシャ風/ギリシア風 ギリシャ服

  • ルネシティ:位置的には屋久島がモデルであるが、風景はサントリーニ島を思わせる。
  • ミケーネ エーゲ海 トルコ:地理的に近く、こちらにもギリシャ神話ゆかりの遺跡が点在する。

名所編集


ギリシャ出身の有名人編集

王族編集

  • アレクサンドロス3世:アレキサンダー大王、イスカンダルの名前で知られるマケドニア王。古代の大征服者。
  • バシレイオス2世:東ローマ帝国皇帝。ギリシャ化した中期以降の帝国での最盛期をもたらした。
  • レオニダス:「テルモピュライの戦い」で指揮を取ったスパルタの王。その凄まじい奮戦と死で知られる。


哲学者/学者編集


探検家編集


作家編集


芸術家編集


その他編集


ギリシャを舞台とした作品編集

キャラモチーフには使われても、実はギリシャを舞台にしたサブカル作品はかなり少ない傾向にある。


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