概要
複数の歴史的プロセスを経て、1993年に発足した。現在の加盟国は27ヶ国。
現地では当然この名前で呼ばれておらず、英語の“European Union”以下、言語の数だけ呼び名がある。
Pixivでは、この英語の略称である“EU”でのタグ登録が多い。ただし、欧州連合以外の略称である場合や個人名等も相当数混ざって来るため、適宜検索方法を工夫する必要がある。
現在、西欧のほとんどの国が加盟しており、中・東欧でも増加傾向にある。
内戦が続いていた旧ユーゴスラビア諸国や、旧ソ連 - 独立国家共同体に所属した親露派諸国の一部、さらには地理的にヨーロッパとは言い難いトルコでも加盟の議論がある。ただ、トルコはエルドアン大統領が強権政治を行っており、加盟は難しいとみられ、EUでなく東方への接近に転じている。NATOには加盟しているが近年もギクシャクが絶たない状況となっている。
ただし、これらの後発諸国は政治・経済・文化が加盟国と「統合」可能な水準に達していないとして、EU側が難色を示す傾向にある。そのため、加盟の流れ自体は一時期に比べると鈍化している。
一方、永世中立国・スイス及び国民投票で加盟が否決されたノルウェー・アイスランドの様に、自他共に先進国として認める社会水準に達しているものの、そうした干渉を嫌って加盟しない方針を取っている国も存在する。また、ベラルーシの様に、人権などが抑圧されているために加盟出来ない国もある。
2016年には、英国の国民投票で加盟国では初となる離脱が可決されており、2020年2月1日正式に離脱した。
2018年には日本との間にEPA(経済連携協定)が結ばれ、翌2019年2月に発効、加盟国と同国との関係が強化された。
機構
7つ存在する。以下連合条約13条の列挙順。
立法権(一部)
欧州議会(European Parliament)/諮問・共同決定機関
欧州議会は欧州連合に設けられた議会である。EU加盟国の国民であるEU市民によって国家を選挙区とする国を超えた直接選挙で選挙された議員により構成される。
ドイツとの資源を巡る領土の取り合いが絶えなかったことへの戒訓を込めてか拠点はストラスブール@フランスに設置。
行政権(+一部立法権)
欧州理事会(European Council)/最高協議機関
加盟各国政府首班により構成される理事会。国家元首やそれに準ずる行政権の長が集うため、外交権や行政権中心組織となっている。議長は任期2年半の常任制で「EUの大統領」とも称される(G7に集う謎の8人目はこの人)。
欧州連合理事会(Council of the European Union)/決定機関
欧州理事会との混同を避けるため「閣僚理事会」とも呼ばれる。欧州議会よりも強力な権限を持ち、加盟国の閣僚から構成される政策会議機構。議長国は6ヶ月交代の輪番制。法令制定と予算決定においては議会と平等の権限を有する。
欧州委員会(European Commission)/執行機関
EUの行政府として役所の役割を果たす。国家閣僚に当たり、その下に事務を行うEU官僚の官僚機構が存在する。委員は各国1人ずつの推薦。委員長はEU内の最高権限を持ち、理事会と議会指名/承認によって決定される(G7における謎の9人目はこの人)。
以上3つの行政機構は全てブリュッセル&ベルギーを拠点としている(会議は別の都市で開かれることもある)。
司法権
欧州司法裁判所(European Court of Justice)
EU法の司法を管理。ルクセンブルクに設置。なお、下位組織として、一般裁判所がある。
その他
欧州中央銀行(European Central Bank)
ユーロの中央銀行。金融の盛んなフランクフルト@ドイツに設置。
会計監査院
読んで字の如く会計監査を担当。ルクセンブルクに設置。
その他に、多数の専門機関(警察への支援・運輸・労働など)が加盟国各地に分散して所在する。
歴史
混乱 - 黎明期
ヨーロッパ統合の必要性を説く人物は古くから存在していたものの、強国が乱立する環境から一般には受け入れられにくい発想であった。しかし、強国の利害対立から連鎖的に戦争を繰返し、ついにヨーロッパ全土が荒廃するまでに至ると、意識が変化して来る。
西欧は戦災の影響が少なかった米国、東欧は戦災の影響が最も大きかったが東欧の大半を征服した旧ソ連の強い影響化に置かれることになった。
西欧諸国は植民地支配による利権構造にも限界が見え始めており、もはや西欧同士で争っている場合ではなくなっていた。残された西欧諸国は社会を再編して「ヨーロッパ代表」としての繁栄と存在感の維持を図るようになる。こうした背景から1952年に成立したのが、「ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)」であった。
ECSCは、名前の通り石炭と鉄鋼の生産に関する国際カルテルとして発足した組織で、その議題の中心は西ドイツ(当時)とフランスの国境付近にあるルールやアルザス=ロレーヌ地方であった。
資源獲得のために幾度となく争われてきたこの一帯の利害を調停し、効率的な生産によって復興・発展の礎を築こうとしたのである。そのために言わば因縁の敵同士であったドイツとフランスが手を結んだ事。そこに歴史的な意義があった。
交渉の過程で両国に挟まれ、度々戦争に巻き込まれていたベネルクス三国と、南欧の中心でありドイツ同様に旧枢軸国でもあったイタリアも参加し、最終的に6ヶ国となった状態で発足を迎えた。これらが後のEU設立の原加盟国に位置付けられている。
この時期の加盟国は以下の通り。太字は後のユーロ導入国。
なお、この時期特徴的な動きをしていた非加盟国として英国が挙げられる。
当初はウィンストン・チャーチルが「ヨーロッパ合衆国構想」を提唱するなどヨーロッパ統合を先導しており、NATOの設立など軍事面では一定の役割を果たした。
一方で時のフランス大統領。シャルル・ド・ゴールとの確執などによってECSCへの加盟はままならず、その他の分野では次第に大陸諸国とは一定の距離を置く方針へと転換していった。
現在のヨーロッパ情勢の火種もまた、この時期に撒かれていたのである。
発展期
ECSCの6ヶ国は、同様の発想から1958年には「欧州経済共同体(EEC)」「欧州原子力共同体(Euratom)」の2組織も設立し、結び付きを強めていった。三共同体は1967年に「欧州諸共同体(EC)」に統合発展している。
一方、イギリスは1960年に、同じ島国であるアイスランドやECSC系統の流れに与していなかった大陸諸国らと共に「欧州自由貿易連合(EFTA)」を形成。こちらも経済的規制の取り払いなど独自のグローバル化を進めた。
しかし、ド・ゴール退陣で英仏の確執が緩和するといった変化が生じると、イギリスはデンマークと共にEFTAを脱退してECに合流。その後も追随する国が現れ、欧州統合の中心をECが担う流れが確定する。清々しいまでの紳士的外交である。
また、1985年には国境での審査を撤廃し、域内の移動を完全に自由化する「シェンゲン協定」が締結される。ヨーロッパとしての関係強化だけでなく、グローバル化の時代を見据えた施策だった。
この時期の加盟国は以下の通り。アイルランド以外は旧EFTA加盟国。
・1973年加盟
・1986年加盟
成熟・東欧拡大期
1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連書記長に就任すると、次第に東欧諸国の民主化運動が容認されるようになった。反比例して東ドイツを初めとする独裁政権の基盤は揺らいでゆき、1990年に東西ドイツは統合した。
翌年にはいわゆる「ヤルタからマルタへ」の流れの中で冷戦が終結し、ヨーロッパから大きな脅威は消え去った。
これを受けて、ECは政治・文化面への注力を強めるようになり、1993年には更なる欧州統合の深化を図るという目的のもと、現在のEUに発展解消した。ここで共通通貨ユーロの導入が決定するなど、超国家的組織としてのシステムを加速させてゆく。
中立的な態度を取っていたオーストリアや北欧諸国からも加盟を希望する国が出始め、EUは更に拡大を続ける。なお、先述した社会水準との兼ね合いから、東欧諸国加盟は新体制が定着・安定する2000年代までずれ込んでいる。
この時期の加盟国は以下の通り。
・1995年加盟
・2004年加盟
・2007年加盟
一方、こうした流れに対して個性を重んずるフランスやオランダ、独立を重んずるイギリス、保守的なアイルランドなどからは次第に「統合」への懸念が示されるようにもなってきた。2004年には当時EUに加盟していた25ヶ国により、EUの体制を改革しより民主的な関与などを深めることを目的に「欧州憲法条約」が調印されたが、フランスとオランダの国民投票で拒否されたため発効せずに終わっている。
ソ連の支配下から脱したばかりの東欧諸国でも超国家的組織への懐疑心は強く、2007年にはいわゆる「リスボン条約」によって「統合」度合いを弱める修正を行ってもいる。これによって既存国家の廃止といった流れはひとまず止まる事となった。
ただし、この段階では個人単位での人権保障・人道主義といった理念については再確認されており、これらに関する取り組みは概ね強化する傾向にあった事もまた事実である。
現代
2010年前後になると、それまで想定されていなかった新たな問題が次々と沸き起こり、各国で明確な反EU運動が沸き起こるようになった。
その原因としては、以下のようなものが挙げられている。
経済格差
EUでは東西格差が大きい。そのため豊かな国の金が貧しい東に流出する、貧しい国の出稼ぎ労働者が買い叩かれるといった不満が双方から出た。
西欧では出稼ぎ労働者を起因とする排外感情増加、東欧ではEUに加盟したのに豊かとならないことの不満と絶望が強まっている。
こういった不満から対立は深まり、EU運営で力を握るドイツへの不満が東欧では強まり、ポーランド・ハンガリーではEUに従ったのに良くならなかったため、民族主義的な政権が誕生している。
ただし、貧しい国はEUによる支援金最大受給者であることから、不満はあれども従う、強権的な国であっても離脱はしない姿勢である。
経済危機
悪いことに、上記の問題を解決出来ないまま、リーマンショックやギリシャ不正会計問題が相次いで発生した。特に「身内」たる後者の問題は域内経済に大打撃を与えたのみならず、ユーロを通じて導入各国の市場を次々と混乱させて行った。
この連鎖倒産一歩手前の事態を前にして、当のギリシャは開き直ったかのような態度を取り続けており、それまで経済統合に好意的であった大企業・富裕層からも反対派が生まれ始めている。今や、皆で一丸となって社会を発展させる希望より、問題児に道連れにされる恐怖の方が遥かに強くなってしまったのである。
東欧など、国内経済を二の次としてまで導入に漕ぎ着けた所へのこの仕打ちであり、その恨みは非常に大きいといわれる。当然の如く収拾に駆り出されたドイツにしても、いい加減堪忍袋の緒が切れ始めており、指導的立場を放棄する要望が続出している。
難民問題
人道主義を掲げるEU、特に少子化が進んでいて労働力が不足していた西欧諸国では難民を多く受入れていた。
しかし2015年欧州難民危機では許容量を超える難民流入により社会が不安定化、難民受入分担を巡ってドイツを中心とした西欧諸国と東欧国が対立した。また難民を積極的に受入れていたドイツでさえもこの混乱で反難民政党AFDが躍進するなどが起こった。
この混乱はブレクジットの一因となった。
この時期の加盟国は以下の通り。
・2013年加盟
- クロアチア
- 英国(2020年2月離脱)。
また2022年2月には、ウクライナが加盟申請している。
最近の動向
シリア内戦がアサド政権優位に決まり新規難民が減ったことや難民の玄関口となっていた国との協力でEU圏内に流入する難民減少から反移民、反難民は収まっていった。
反EU勢力は一定数いるが英国がブレクジットで混乱に陥ったことや環境政党である緑の党の躍進、新型コロナウイルスのパンデミックによる安定志向などから2010年代中頃ほどでは無くなった。
ハンガリー・ポーランドの強権的な加盟国との対立は深まっているがEU側も立て直しを図っており北マケドニア・アルバニアを加盟候補国と認定、GAFAなどアメリカ主導で進んでいたIT業界に対し厳しい規則を求めるなどを行っている。
EU各国の経済水準
EU各国を先進国、先進国に近い([**[新興国]])、途上国の3タイプに分けるとこうなる。
★はG7(先進国首脳会議)加盟国である。
先進国
- 西欧:★英国(脱退済)、★フランス・★ドイツ・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・オーストリア・アイルランド
- 北欧:デンマーク・スウェーデン・フィンランド・アイスランド
- 南欧:★イタリア・スペイン・ポルトガル・マルタ
先進国に近い(新興国)
発展途上国
その他の問題点
ハンガリーは国境に壁を建設して移動を遮断しており、その他の国境でも審査を復活させる場所が増加している。先述した通り、EU経済は域内自由移動を前提として発展して来た歴史があるため、これによる損失は莫大な額に上ると見られている。
また、強まる一方の民族主義は、英国のスコットランドや北アイルランド、スペインのカタルーニャやバスクといった1国内での民族対立をも再燃させ、既存国家さえ否定する勢力が各地で台頭しつつある。
また、EUの中でもドイツ支配力が圧倒的であることから「ドイツ第四帝国」と揶揄されることもある。