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シャルル・ド・ゴール

しゃるるどごーる

 シャルル・ド・ゴールとは、フランスの軍人であり政治家である。
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生年没年 1890年11月22日~1970年11月9日
大統領任期(初代(通算第18代)) 1959年1月8日~1969年4月28日

概要

フルネームはシャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール
フランス共和国第五共和制初代大統領。所属はフランス国民連合、新共和国連合。ノール県リール出身。

下級貴族の家に生まれ、陸軍士官学校を経て陸軍軍人となった。第一次世界大戦では、後にナチス・ドイツの傀儡であるヴィシー政権のトップとなるフィリップ・ペタンの指揮下で戦った。

第二次世界大戦が始まると、劣勢の続くフランス軍で師団長としてドイツ相手に戦い、功績を上げた事により陸軍次官に任命された。しかし、程なくして首都パリが陥落すると、身の危険を感じイギリスに亡命した。イギリスでは亡命政府自由フランスを指揮し、かつての上司ペタンが樹立したヴィシー政権とドイツに対する徹底抗戦をラジオで呼びかけた。その後、植民地などに散らばった反ドイツ勢力をまとめたフランス臨時政府の代表となり、1944年6月に連合国軍によるノルマンディー上陸作戦が成功するとフランス本土へ進軍した。そして同年8月25日にパリを奪還する事に成功した。

第二次大戦終結後、臨時政府による統治が行われる事になるとド・ゴールは首相に就任し、ルノーエールフランスなどの国内大手企業を次々国営化し、国の復興のため公共投資に尽力した。しかし、フランスをドイツの手から奪い返した英雄的な存在であるため、民衆からの支持をバックに独裁的な姿勢が見られるとして左派系の政党から批判を浴びるようになった。そして首相就任から半年後、思うように進まぬ政策と政党や派閥間の争いに嫌気が差し、軍事費削減を主張する左派系政党の予算案に反対する形で首相を辞任した。辞任後は政党間の争いの場と化した議会に左右されないよう、大統領の権限を強化した新憲法制定を目指し保守系政党を立ち上げた。しかし、完成した憲法にド・ゴールの意向は反映されず、党も内部分裂を起こしたため解党し政界を引退した。

しかし、新憲法で始動した政府は少数政党の乱立により意見が中々まとまらず、運用は困難を極めた。そして新憲法制定から12年後、植民地アルジェリアで発生した独立運動の鎮静に手間取った政府にアルジェリアの駐留フランス軍が半旗を翻し、政府を打倒しようとパリ侵攻を企てた。これに慌てた政府は、国民人気の高かったド・ゴールを再び政界に首相として呼び戻そうとした。ド・ゴールは、「半年間の全権委任」と「大統領の権限強化を盛り込んだ新憲法草案」を議会に認めさせる事を条件に首相就任を受け入れ、再び首相となりアルジェリア駐留軍の反乱を鎮めた。

反乱鎮圧後、ド・ゴールは大統領権限を強化した新憲法を制定し、新憲法下での初代大統領に就任した。その後は長きに渡り政権を維持し、フランスの高度経済成長や外交面での地位向上に貢献した。しかし、大統領就任から11年後の1969年に自身が提案した上院と地方行政の改革法案が国民投票で否決されたため辞任し、政界も引退した。

引退後は田舎で執筆活動をしていたが、政界引退から約1年後にこの世を去った。

ド・ゴールはフランス国民に強く印象付けられており、その功績を讃えて名前が国際空港空母バラの名前などに使われている。

余談

  • ド・ゴールの名は「ガリアの」という意味である。このガリアというのは現在のベルギーからスペイン北部にかけての地域を指すローマ帝国時代の地方名であり、後にこの地方の大半を支配したフランスも雅称として用いるようになっていた。この事をド・ゴール自身も意識しており、「私はフランスだ」という発言をよく口にしていたという。


関連項目

フランス 軍人 政治家 大統領 第二次世界大戦

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