アルジェリア
あるじぇりあ
首都 | アルジェ |
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面積 | 238万平方キロメートル |
人口 | 4560万人(2023年) |
建国 | 1962年7月5日(フランスから独立) |
公用語 | アラビア語・フランス語(事実上の第2公用語) |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 半大統領制 共和国 |
正式名称はアルジェリア民主人民共和国(アルジェリアみんしゅじんみんきょうわこく、アラビア語:الجمهورية الجزائرية الديمقراطية الشعبية、フランス語:République algérienne démocratique et populaire、英語:People's Democratic Republic of Algeria)。北アフリカのマグリブに位置する共和国。フランスの植民地だった為、フランス語が広く浸透しており、事実上の第2公用語として使用されているが、アルジェリア政府は公式承認していない。
スーダンから南スーダンが分離独立してからは、アフリカでは最大の面積の国となっている。
2022年1月の人口は4540万人であった。
イスラーム化
やがてイスラームの大征服に伴いこの地方もイスラーム化する。ベルベル人が多いこの沿岸一帯は対岸の人々からは「バルバリア」とも呼ばれたが、良港のうえ地中海の重要航路に近いこの地は、海賊のメッカとして知られることになる。特に16世紀には、オスマン帝国の勢力圏となったこの地で、オスマン帝国史上最も有名な海賊にして提督たるバルバロスがこの地で活躍し、時の神聖ローマ皇帝カール5世などを向こうに回し勝利を重ねた。
欧米介入
しかし18世紀に入り、徐々にヨーロッパ、アメリカ側にバランスが傾き、特にアメリカは2度の戦争で海賊の根拠地に対して勝利し、有利な条約を結ぶ。これを機に欧米諸国は強く出るようになっていった。
1830年6月にフランスはアルジェリアへの侵略を実行し、フランスの征服に対してアブド・アルカーディルが激しく抵抗した。1847年12月にアルジェリア全土を支配し、北岸にアルジェ県・オラン県・コンスタンティーヌ県が設置された。この3県はフランス本土と同等の扱いを受け、多くのヨーロッパ人がフランス領アルジェリアに入植した。1916年12月にトゥアレグ族の貴族であるカオセン・モハメッドが、トゥアレグ族居住地域内のアガデスで蜂起した。フランス軍が鎮圧したものの、第一次世界大戦が終結すると独立運動が激化し始めた。
独立
1942年11月に実行されたトーチ作戦以降は反ヴィシー政権の拠点となり、シャルル・ド・ゴールを首班とする臨時政府がアルジェで結成された。第二次世界大戦が終結すると独立運動が再び激化し始め、1954年11月に現地人と入植者の対立に火が付いてアルジェリア戦争が勃発し、戦争中の1960年2月にサハラ砂漠でフランスの核実験が実施され、100万人に及ぶ死者を出した。
1962年7月にアルジェリア民主人民共和国として独立し、同年8月に就任した初代のベン・ベラ大統領は社会主義政策を採った。
石油に天然ガスに石炭にリン鉱石などが取れる為、混乱を極めるアフリカ諸国の中では経済的には比較的まだ希望がある方である。農業も盛んであり、海外への輸出も行っている。一方で失業率が高いが、政府は何とか改善しようと努力を続けている。
遥か昔は一部が古代ローマの支配下にあった為、これらの証拠を示す遺跡が良好な状態で残っており、発掘・調査が実施されて同国の重要な観光資源ともなっている。
- フランス
1962年7月に外交関係を樹立し、両国関係は時には困難な状況になった時もあるが、長らく緊密なままだった。同年3月に締結されたエビアン協定の平和条約は、新たな両国関係の基礎を築いた。寛大な協力と引き換えに、フランスは多くの経済・軍事における特権を確保した。
1962年7月に外交関係を樹立し、独立戦争を支援した事を契機に友好的な外交関係にある。アルジェリアは日本企業に多くの開発事業を発注し、日本にとって最も関わりの深いアラブの国となった。2011年3月に発生した東日本大震災では、8億3510万円(世界6位)の義援金を日本に贈った。
2013年1月に天然ガスプラントを施工していた日揮の従業員が、イスラム系テロ組織に襲撃される事件が発生。この事件では37人が死亡、7人が日本人であった。
日本の外務省によると治安状況は改善しつつあるが、市街地から外れた地域(特に南部)はテロリストの潜伏の危険が高く、リビア・ニジェール・マリ・モーリタニアとの国境地帯は非常に危険なので近づかないようにと勧告。
ナイジェリアと間違われる事もあるが、あちらは近くを流れるニジェール川が由来。
一方、アルジェリアは首都のアルジェが名前の起源。アラビア語では国名も首都名も一般にالجزائر(アル=ジャザーイル)と呼んでいるが、これは元々1000年前にアルジェ沖に存在した「島々」に由来する名であるという(現在これらの島々は埋立により大陸と陸続きになっている)。
意味が共通するのは語尾の「-ia」であるが、これはラテン語で「~の土地」を示す言葉であり、アフリカの同じ地域で2つの国の発音が偶然似通ってしまっただけである。