概要
正式名称はソマリア連邦共和国。
面積63万8000平方km、人口1760万人(2022年)首都はモガディシュ(モガディシオ)。
北西はジブチ、西はエチオピア、南西はケニアと接し、インド洋に面する。
イギリス、イタリアの植民地だった地域が合わさり1960年にソマリア共和国として発足。
1977年から1988年にかけて、エチオピアとオガデンの地を巡っての戦争が勃発(オガデン戦争)。オガデンは、もともとソマリ人が多く住んでいたが、1890年代にエチオピアが併合して以来、領内のソマリ人はエチオピアに弾圧されていた。この事から、オガデンのソマリ人もソマリア本国に合流する運動が起こり、これをソマリア政府が支援したことが切っ掛けである。この戦争ではエチオピアが勝利し、オガデンは改めてエチオピア領と確定した。
1991年からは、内戦が勃発。政府の統治は崩壊。軍閥が抗争を続け、長年無政府状態だった。また、2009年頃からは南部で、イスラム法廷会議やアル・シャバブなどのイスラム過激派が多くの土地を占領するなど、苦難に見舞われる。
しかし、2012年頃にはイスラム過激派を追い出すことに成功し、連邦制を採用し統一政府が樹立、国際社会の協力を得て国造りに励んでいる。
国家の基盤は徐々に整いつつあり、2023年頃から、国連は、ソマリアを「失敗国家」から「脆弱国家」に表現を改めるようになった。
日本との関係
1960年の独立と同時に国家承認、1982年10月に駐日大使館が開設されたが1990年7月に閉鎖。
日本大使館はケニアが兼轄。
ソマリアに面するアデン湾で跋扈する海賊の対処のため、海上自衛隊の護衛艦と、陸上自衛隊の航空隊が派遣されている。隣国ジブチに、自衛隊の基地が設けられている。
情勢
治安は世界最悪の部類に入り、イスラム原理主義や土着の迷信などが相まって女性の扱いは非常に悪い国でありブラジャーをしただけで鞭打ちの刑。近辺の海域では海賊行為も頻発しておりソマリアといえば海賊というイメージが定着。さらに内戦により経済基盤が崩壊、長年医療支援をしてきた国境なき医師団も職員が度々殺害されているため撤退、そのため失敗国家と称される。日本の外務省も全域に退避を勧告。
氏族国家
アフリカの多くの地域は、欧米の旧宗主国が、自国に都合の良いように地図上に線を引いて国境を作ったため、伝統的に敵対関係にある民族が1つの国内に押し込められてしまい、民族紛争が絶えない状態になってしまった国が非常に多い。しかし、ソマリアは例外的に、国内がほぼソマリ人という民族で構成されている(ソマリ人の割合は85%ほど)。
ソマリ人は、文化、言語、宗教の均質性が高い。しかし、ソマリ人は、伝統的に「氏族」に対して帰属意識が強く、氏族への権益から、同じソマリ人で争うことが多い。五大氏族として、ダロッド、ディル、ハウィエ、イサック、ラハンウェインがあり、その五大氏族の下に細かい氏族が連なっている。また、五大氏族に属さない少数氏族もいる等、氏族間の関係は複雑である。
内戦の原因もこの氏族対立が一つとされている、当時の大統領モハメド・シアド・バーレは、ダロッド氏族出身であったことから、露骨なダロッド優遇政策を取ったためとされている。
前述のエチオピアの戦争では、オガデンの地にいたオガデン氏族(ダロッドに属する)が大量に難民としてソマリアに流入したが、その流入先はイサック氏族が多い北部であった。オガデンからの難民の数は140万とも言われ、当時400万程度だったソマリアに、彼らを受け入れられる余裕は無く、オガデン難民とイサックの対立は激化の一途を辿った。バーレ政権は、このオガデン氏族を徴兵し、「ダバール・ゴインタ・イサーク(直訳すると、イサーク人駆除部隊)」を創設。イサック人は大量虐殺(一説には10万人が殺されたとされる)の憂き目にあった。これがソマリア内戦のきっかけとなり、またソマリランド独立に繋がっていく。
内戦の終結後は、氏族の勢力バランスを保つため、大統領、首相、議会議長は、それぞれハウィエ、ダロッド、ラハンウェインの者が就任する取り決めがなされている。
連邦制
首都モガディシオを中心とするバナディール州と、6つの連邦構成国(FMS、連邦自治国、あるいは自治州とも)の合計7地域で、一つの国となっている。ただし、ソマリランドは事実上の独立状態にあり、プントランドも独立の動きを見せている。また、ソマリランドからはチャツモが離反し、ソマリア本国に合流する動きがある。
連邦構成国(FMS)
連邦構成国(Federal Member States)は、ソマリアで連邦を構成する自治体のことである。ソマリアの憲法では、1991年の内戦より前の行政区域において、2つ以上の州が合意すれば、連邦構成国となることが可能である。
ただ、このうちの一つガルムドゥグは、「ガルグドゥード州」と「ムドゥグ州」を統合する国とされるが、ムドゥグ州はの多くの地はプントランドの支配下にあり、実質はこの要件を満たしていない。しかし、連邦構成国として認められている。
- バナディール州
ソマリアの首都でもあるモガディシオ(モガディシオはイタリア語。英語ではモガディシュになる)を抱えるソマリアの行政、商業の中心地。南西ソマリアの「下部シェベリ州」と、ヒーシェベリの「中部シェベリ州」に接し、インド洋に面する。
バナディールは、「波止場」の意味を持ち、その名の通りこの周辺は良港が多く、他国との貿易で発展した歴史を持つ。
首都モガディシオとその近郊のみを領域とする州で、面積はソマリア18州のうちで最小である。
しかし人口は増加の一途を辿っており、2014年には165万人だった人口は、わずか2年後の2016年には226万人に増加(ソマリア全土の人口の10%超が、この地に集中している)。2050年には、657万人に到達するとの予想もある。
内戦時は激戦地の一つであり、映画「ブラックホーク・ダウン」の元となり、アメリカ軍と国連軍が撤退する原因となった「モガディシュの戦闘」も発生した。
2012年以降、国外に逃れていた暫定政府が改めて発足し、首都として機能するようになっている。
- ソマリランド
北部の地域は、元はソマリアの一部であったが、1991年の内戦以降は「ソマリランド共和国」と名乗っている。この地域は、イサック氏族が多数派である。
前述のように、イサック氏族は、ソマリア政府から集中的に弾圧・虐殺された経験があり、ソマリア本国への反発が強く、ソマリア政府の主権を拒否、実質的に独立国となっている。しかし、国連加盟国のうち、正式に承認した国は存在しない。
「国際社会において国として認められていないが、実質的に独立を達成した地域」としては、世界最大の面積を持つ。
また、国連加盟してない国としては、台湾(中華民国)が2020年より、世界で唯一、国家承認している。
他、隣国エチオピアやジブチ、ソマリ人の多くが移民をしているイギリスやスウェーデンとは、一定の政治関係を築いており、駐在員を置くなど、実質的な外交関係を有している。
特にエチオピアは、海に面した地域がエリトリアとして独立し、内陸国となってしまい、製品の輸出に打撃を受けた。この時、ソマリランドは自国の港の使用権をエチオピアに与えた事から、両国は緊密な友好関係にある。(ちなみに、ソマリア本国はエチオピアとは長年敵対している)
ソマリランド国民は、ソマリア本国の長年の内戦や腐敗しきった政治に疲弊・失望した人々が集まっており、同じ轍は踏むまいと努力しているようで、治安や情勢は比較的安定しており、政府や経済も今のところきちんと機能しているなど「元々はソマリアの一部でありながら、国情はソマリア本国よりも安定している」という状態が現在も続いている。
ただ、あくまで「ソマリアと比較して安定している」だけであり、ソマリランド単体で見るなら、やはり世界最貧国の一つであり、また人権状況も悪い国家である。
また、ソマリランド国内も一枚岩ではなく、2023年からはドゥルバハンテ氏族が多数派を占める東部にて反乱が発生(ラス・アノド紛争)。ドゥルバハンテは、イサックではなくダロッドに属する氏族であり、ダロッドが多数派を占めるソマリア本国との合流を望む勢力が強い。このため、ソマリランド内では長年に渡り差別、弾圧をされており、2023年2月、ソマリランド軍がドゥルバハンテの政治デモを暴力的に鎮圧したことから戦闘状態になった。
この反乱鎮圧のため、ソマリランド軍は学校や病院、モスクを含む無差別攻撃を行い、一時は10万人を超える難民が発生した。しかし、ドゥルバハンテは「チャツモ(SSC-Khaatumo)」を名乗り、東部をほぼ勢力下に起き、2024年現在、ソマリランド軍を東部からほぼ駆逐した状態にある。
これに触発され、ディル氏族に属するガバドゥルシ氏族が多数派を占める西部の都市アウダルでも、反乱が起こる可能性が指摘されている。実際、この地域では、死者が出る激しいデモが長年に渡って続いている。
2023年9月には、アウダル国家運動(ASM)が結成され、ソマリア本国への合流を主張している(ただし、2024年現在、西部では反乱のような激しい動きには至っていない)
これらの騒乱により、ソマリランドの「ソマリアよりも安定した国家」という評価は崩れつつある。
- プントランド
北東部に位置した国家である。西にソマリランド、南西にエチオピアと接している。「プント」の名は、古代エジプトの文献でこの地を指す言葉が由来である。
1991年のソマリア内戦をきっかけに、崩壊した中央政府に変わってこの地を安定させるため、1998年に事実上の独立国家となった。経緯としてはソマリランドと似ているが、プントランドはソマリランドと異なり、独立を主張していない。あくまで無政府状態から一時的に住民を守るために発足した自治州という立場であり、ソマリア本国の主権を認めている。ただし、ソマリアに戻るときは、強い自治権の付与を条件としている。
プントランドの多数派は、ハルティ氏族であり、この氏族はダロッドに属している。
経済的には、ソマリアやソマリランドよりも安定しており、貧困率はソマリアで最も低く、27%である(ソマリア、ソマリランドとも、貧困率は50%を超えている)。他、就学率や識字率なども、ソマリアで最も高い。
プントランドはソマリアに合流することを否定しておらず、2014年頃からは「ソマリア連邦内の構成国」として行動していたが、2024年、ソマリア本国で行われた憲法改正をきっかけに、ソマリア政府を否定し、独立国家となる宣言をした。
理由として、新憲法の採択に対し、プントランドとの合意を取らなかったことと、新憲法が中央集権の色が強い内容になっていることが理由である。
ソマリランドとガルムドゥグとは、しばしば国境紛争を起こしており、ガルムドゥグが自国領と主張しているムドゥグ州の北半分は、プントランドが実効支配している。
- ガルムドゥグ
国名は、内戦前の行政区域である「ガルグドゥード州」と「ムドゥグ州」を合わせたものである。ソマリアの中央部に位置しており、北はプントランド、南はヒーシェベリと接している。
主要氏族はハウィエ。ただし、ダロッド氏族とディル氏族の人口も多い。プントランドとは関係が良くなく、ガルムドゥグ領内でもプントランドが実効支配している都市が入り乱れている状態である。特にムドゥグ州は、北半分をプントランドに実効支配されている。
2015年には、プントランドとガルムドゥグとの間で戦闘が起き、ガルムドゥグの議員が銃殺される事件が起きている。
ソマリアからの独立は主張しておらず、ソマリアの構成国として活動している。
- ヒーシェベリ
ガルムドゥグの南にある自治国。ガルムドゥグと同様に、独立は主張しておらず、ソマリアの構成国として活動している。
国名は、「ヒーラーン州」と「中部シャベリ州」を組み合わせたもの。
もともと、氏族間の協調をせず、一部の武装勢力が強引に設立した州のため、政情がかなり不安定であり、ソマリア内でも治安が安定しない区域である。さらにヒーシェベリ政府は、「中部シャベリ州」に当たる地域を重視する政策が多いことから、ヒーラーン州の住民は、ヒーシェベリに反対する者が多い。
2023年からは、ヒーシェベリ大統領の他に、ヒーラーン州住民が押し立てたヒーラーン州暫定大統領が登場し、国内に2つの政治勢力が併存する事態となっている。
- 南西ソマリア
主要氏族はラハンウェイン。2002年に成立。プントランドと同様に、ソマリア本国の主権は認めていた。また、南西ソマリア大統領ハサン・ムハンマド・ヌール・シャティグドゥドは、当時、ケニアに逃れていたソマリア暫定政府にも参加しており(職務は農務大臣)、発足当初から、ソマリア本国に近い立ち位置にあった。
領内は安定せず、イスラム過激派「イスラム法廷会議」が跋扈していた。暫定政府を支援するアフリカ連合軍により、2006年にはイスラム法廷会議は駆逐され、また南西ソマリアもソマリア本国に吸収されて消滅した。
2013年、ソマリア本国と、地元の有力者の間で会議が開かれ、該当地域の自治権を引き上げることが合意された。その結果、2014年に南西ソマリアは連邦内の自治国として復活した。
- ジュバランド
ソマリアで最も南に位置する自治国であり、北西は南西ソマリアに接し、南西はケニア、エチオピアに国境を接する。
ソマリア第3代大統領バーレの婿養子で、バーレの政権では国防大臣を務めたモハメド・サイド・ヘルシ・モルガンが、内戦時に独立を主張して成立した。
しかし、独立後もほとんど国家としても自治州としても実態が伴っておらず、ジュバランドは様々な勢力に蹂躙されることとなる。
ジュバランドは、内戦において最も戦闘が酷かった地域であり、内戦後もイスラム法廷連合やアル・シャバブなどのイスラム過激派が跋扈する状態が続いた。しかし、2010年から、イスラム過激派の一派がソマリア政府に寝返り、ソマリア政府軍と共に次々とジュバランド内の都市を奪い返し、イスラム過激派を追い出すことに成功する。
2014年、ジュバランドはソマリア本国と和解し、自治国としてソマリア連邦に復帰した。
- チャツモ(SSCチャツモ)
ソマリランドから独立を目指している地域である。チャツモは、地名ではなくアラビア語の単語で「肯定的な結論」を意味する。
チャツモ近辺は、ソマリランドとプントランドのちょうど中間に位置し、そのためこの地はいくつかの独立を宣言した地域がある。ほとんどはソマリランドとプントランドの紛争により消滅し、チャツモもソマリランドに実効支配されていた。
しかし、ソマリランドはイサック氏族が中心の国であり、一方でチャツモの住民はダロッド氏族が中心である。このため、チャツモではソマリランドよりも、ソマリア本国に合流すべきとの考えが根強く、ソマリランドからは弾圧を受けていた。
2017年には、ソマリランドとチャツモの代表の間で会談が行われ、ソマリランドへの統合が合意された。しかし一部の住民はこれを認めず、独立運動が続いた。
2022年に入り、ソマリランドでは大統領選挙を巡って与党と野党が対立し、政治的に不安定となった。この野党に所属していたチャツモ出身の議員が、2022年12月26日、何者かに殺害されたため、チャツモでは大規模な抗議行動がおきた。ソマリランド軍は、この抗議活動を強力に弾圧し、死者が発生。これにより、武装蜂起が起き、ソマリランド軍はチャツモから駆逐され、チャツモは実質的に独立を達成した。
チャツモ大統領のアブディハディール・アハメド・アウ=アリは、ソマリア大統領ハッサン・シェイク・モハムドと会談し、2023年10月19日、チャツモは正式にソマリアの中の自治政府として認定された。
チャツモは「連邦構成国」での連邦入りを目指しているが、支配領域は前述の条件である「複数の州」に達していないため、現在のところは自治体の一つに過ぎない。しかし、構成国の1つガルムドゥグは、実質的には1州しか支配してないにもかかわらず、国として認められているため、チャツモも構成国として認められる余地があるとされる。