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海賊

かいぞく

海で強盗などの犯罪を行うもの。海上の盗賊。RPG等では職業(ジョブ)の一種。現在も一部の海域では海賊が跋扈している。
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概要:一般的海賊イメージと現実の海賊編集

海上における略奪行為を生業とするのこと。古くはヴァイキング、近世・大航海時代におけるフランシス・ドレイクなどの私掠船が挙げられる。


最も有名なのは大航海時代のカリブ海の海賊たちだろう。ドクロの旗を掲げ、と武勇を好んだ豪傑たちというイメージがある。現実での海賊全盛期が過ぎ去った19世紀に入ってから、既成体制から自由な海のアウトローにしてロマンチックなヒーローとしてのイメージが確立し、現代に至って映画・カウンターカルチャー・パンク・アートへと広がっていく(海野弘『海賊の文化史』)。pixivにおいても、こうしたイメージに基づいた豪奢な姿で描かれることが多い。


しかし、現実には専業海賊というものはなかなかおらず、漁民などの兼業や副業がむしろ普通である(普段は密輸に精を出し、略奪対象として手頃な相手を見つけたり、取引が不調になると海賊に変貌するわけである)。

果ては海軍までが副業として海賊行為に及んでいたとされる。上述の私掠船のように国家容認で敵国船舶を襲うように仕向けられた海賊も多い。

また、後述の歴史的経緯にあるように、近世の一定時期までは正規海軍よりも規律やモラルを重んじていたという史実も、海賊にまつわるロマンチックなイメージを増幅している。



歴史上の海賊編集

地中海の海賊編集

記録における最古の海賊は古代史における「海の民」であり、バルカン半島エーゲ海から地中海に現れて沿岸部各地を襲った(増田義郎『図説海賊』)。

続いてフェニキア人やギリシャ人が海賊として活動する。エーゲ海各地を略奪したサモス島のポリュクラテスをはじめ数多くの者たちが海を渡って略奪を行った。そしてヘロドトスやトゥキュディデスによればそれらは神に近しい力の発露、名声をもたらす行為として是認されていた。だが、ローマ時代に至るとキケロらによって海賊はローマの支配権を侮辱する行為、社会と共生を破壊する行為として法的に批判されるようになる。ローマ共和国はポンペイウスに大軍を預けて、地中海各地の海賊を討伐させている(桃井治郎『海賊の世界史』)。


東ローマ帝国の衰退に伴い、イスラム教徒が海賊の世界でも台頭してくる。特にスペインレコンキスタによって北アフリカに追われたイスラム教徒たちからはキリスト教徒への復讐と故郷イベリア半島の奪還という目的を兼ねて海賊が輩出したという(桃井治郎『海賊の世界史』)。

その中からバルバロッサ(赤髭)と呼ばれる兄弟が台頭して活躍した。兄のウルージは小型船のレイス(船長のこと)から身を立てて、ハフス朝スルタンと契約して上納と引き換えにチュニスを拠点に西地中海のキリスト教徒船舶を襲った。後には当時西地中海各地を征していたスペインに対するアルジェの反乱に援軍として介入し、さらには反乱軍のアルジェ太守を殺して自らアルジェ太守となり、スペイン海軍も破ってマグリブ地方を征服した。バルバリア海賊の起こりである。

ウルージは後にアルジェの民衆反乱とスペインの反撃によって殺され、弟のハイレッディンが後継者となった。ハイレッディンはオスマン帝国皇帝セリム一世と続くスレイマン大帝に忠誠を誓ってその支援を得る。エーゲ海からバレアス諸島やスペイン東岸に至るまでの地中海全域を襲い、財貨ばかりか多数の男女を誘拐して奴隷として売りさばいた(海野弘『海賊の文化史』)。これに対しヴェネツィアやスペインなどのキリスト教徒諸国は、海賊としても活躍していたジェノバ提督アンドレア・ドーリア教皇と連合する。トルコ海軍の総帥となったハイレッディンは、1538年にプレヴェザの海戦でヴェネツィアやスペインなどのキリスト教徒連合艦隊を打ち破った。

こうして、18世紀いっぱいまで続くバルバリア海賊の黄金時代が始まり、地中海を通航する船がある十分な護衛を付けられない国は上納金をバルバリア海賊へ納めて航海の安全を図ろうとした。

19世紀に入るとバルバリア海賊にアメリカ合衆国という強力な敵が立ちはだかった。アメリカ合衆国は1775年の独立以来、財政的に苦しいにもかかわらず、彼らの要求に従って上納金と身代金を差し出してきたが、その経費が財政を圧迫して限界に達したため、値引き交渉を行おうにも相手にしてもらえなかったことで、実力による解決を望んだのである。1801年に始まった戦争は4年間続き、アメリカ合衆国の戦勝で戦争を終結に導く戦果を挙げたのは、1805年に7人で数千人のバルバリア海賊に立ち向かっていったアメリカ海兵隊であった。この時の戦争でトリポリのバルバリア海賊は和平に応じたが、アルジェのバルバリア海賊はこれに応じず、1815年にはアルジェのバルバリア海賊との間で戦争が勃発し、こちらは地中海に派遣されたアメリカ海軍がアルジェのバルバリア海賊の船を複数拿捕して交渉に臨み、要求を突き通した。

次に立ちはだかったのがイギリスオランダである。この2か国はアメリカ合衆国による実力による解決の結果を見て交渉の艦隊を1816年にアルジェへ派遣し、交渉が滞ると見るやアルジェの街に艦砲射撃を食らわせて要求を突き通した。

その次はフランスであった。これはアルジェの太守が謁見したアルジェ駐在フランス領事が自分を愚弄したとして、この領事の頬を扇で叩いた『扇の一打事件』というのが発端である。このときフランスは謝罪を要求したもののアルジェの太守は拒否、これに対してフランスは地中海沿岸の港町に対して海上封鎖を行ったもののアルジェのバルバリア海賊は海上封鎖をかいくぐって貿易を継続、さらに交渉がこじれたため、フランスは1830年にアルジェリアの侵略を決行、1847年まで戦役が続き、最終的にアルジェリアをフランスの植民地とした。この戦争の初期、派遣されたフランス国民から編成される軍に多大な損害を出したことで、今日に続くフランス外人部隊が1831年に創設されるきっかけとなった。

このような経緯で地中海の海賊は拠点を失い、活動が下火になっていったのである。


北欧の海賊編集

増田義郎(『図説海賊』)によると、紀元789年のイングランド南西部のドーセットを三隻の帆船が襲ったのが、北欧の海賊・ヴァイキング来襲の最初の記録である。ヴァイキングとは本来スカンディナビア半島の商人であり、西南のローマ帝国から剣や金属を入手して毛皮や琥珀・奴隷等と交換し、東方のロシアを経てアッバース朝とも交易をして大量のアッバース朝銀貨を西ヨーロッパにもたらしていた。彼らが略奪、征服、定住化を活発化させた原因は、銀交易路を抑えるサーマン朝の独立によりアッバース朝から銀貨を入手できなくなったことにあるという。ヴァイキングの船は40人~60人もの乗員を載せられるも吃水が1メートル程度しかなく、外洋から河川に入って内陸の都市も容易に襲った。イングランド、スコットランドアイルランドフランク王国が次々と襲われ、1014年の侵攻をヨークの大司教は「神の怒りと同意を受けた海賊たちがイギリス人を絶望の淵に追いやった」と、この異教徒への恐怖を書き記している。しかしノルマンディーフランス王から与えられたころには、ヴァイキングも征服地に定住しフランス語を話す西欧人となっていった。ヴァイキングはまた、アイスランドグリーンランドにまで至って植民地を築いた偉大な航海者であった(増田義郎『図説海賊』)。


増田によれば、ヴァイキングの活動時代の終わりごろには、北欧は商業が活発化していた。毛皮、コムギ、チーズ、魚、木材といった日用品を中心とするこの交易圏は、なお続くスラブ人ゲルマン人の海賊の脅威に対処する必要に迫られた。こうして北欧諸都市が加入するハンザ同盟が成立し、数百の都市が同盟して海賊対策にかなりの成果をおさめた。しかしハンザ同盟の船が諸政治勢力との関係次第で海賊行為に走ることも珍しくなかった。シュテルドベーカー率いるエンブリューダーは、ハンザ同盟から敵に包囲されたストックホルムへの食糧供給を請け負ってこの名を得た。しかし後にエンブリューダーはハンザ同盟所属の船を襲撃する海賊団となり、シュテルドベーカーの処刑による壊滅まで沿岸住民の恐怖の的となった(増田義郎『図説海賊』)。


大航海時代の海賊、カリブの海賊編集

地中海をオスマン帝国が抑えることでヨーロッパ諸国の地中海交易は停滞し、独自の東方貿易路が模索されるようになった(桃井治郎『海賊の世界史』)。この欧州からインドまでの新航路探検が大航海時代のはじまりである。スペインの援助を得たコロンブスはインドへの西回り航路を求めて、新大陸アメリカ大陸を発見する。この新大陸は主にスペインの植民地となり、次の海賊の主な舞台となった。新大陸では、カリブ海の島々で砂金が算出し、ペルーのポトシ銀山など各地で豊富な銀鉱が発見されてスペインに空前の富をもたらす(桃井、同書)。増田義郎(『図説海賊』)によると当時のヨーロッパではほとんど金銀は産出せず、このスペインによる新大陸からの金銀輸送船が諸国の垂涎の的となり、後に海賊に襲われるようになる。


桃井によると、海洋進出を考えていたイギリスでは当時新大陸貿易を独占して莫大な富を蓄えるスペインにジョン・ホーキンズが挑戦し、奴隷や砂糖などの密貿易に成功して莫大な利益を得る(桃井、同書)。スペインはホーキンズが繰り返す密貿易を武力で潰す。1568年にサン・ファン・デ・ウルーアでスペイン艦隊が襲い掛かり、イギリス船団は壊滅的な打撃を受けた。ホーキンズやこの戦いで敗走した船長の一人であったフランシス・ドレイクらは復讐の為、スペイン船を略奪する海賊を専らにすることになった。スペインと友好的でない諸国は国王や貴族の名において私掠船の免許状を発行し、スペインからすれば各国政府公認の海賊が金銀輸送船に襲い掛かった(増田、同書)。桃井によると特にドレイクは1573年にパナマ地峡でスペインの輸送隊を襲って莫大な金銀を得ると、さらに王室の出資を得て野心的な航海を開始する。1577年以来南米を周航して太平洋岸に出て、まさかここまでイギリス船がたどり着くと思っていない手薄なスペイン植民地を次々と奇襲した。金銀宝石などを積み上げて太平洋を横断し、モルッカ諸島でチョウジと交易した。そしてアフリカを廻って、マゼランに続く史上二度目の世界周航を成し遂げた。その収益は女王エリザベス1世の対外債務を返済させたばかりか、レヴァント会社設立の原資となるほどであったという。またドレイクは無敵艦隊とのアルマダの海戦でも指揮官の一人として活躍し、イギリスでは英雄視されている。女王エリザベス1世はホーキンズやドレイクらをスペイン外交官の抗議から保護し、収益を受け取って大英帝国の発展をもたらした(桃井治郎『海賊の世界史』)。


海野弘(『海賊の文化史』)によると、ドレイクに限らず16世紀の新大陸は海賊の主な舞台となった。そして特に盛んであったのはカリブ海である。まず1554年にフランスフランスワ・レクレルクという海賊がスペイン植民地のヒスパニオラ島プエルトリコを襲い、翌年以降もハバナジャマイカを攻撃する(海野弘『海賊の文化史』)。続いて先述のホーキンズやドレイクらイギリス海賊が活躍する。17世紀に入るとオランダの私掠船活動が活発化し、ビート・ハインが1626年に貴金属や香料を積んだ大型船九隻を拿捕した事件はスペインの輸送船団貿易そのものを存亡の危機に追い込んだ(増田義郎『図説海賊』)。


海野によると、1630年代からカリブ海にバッカニアと呼ばれる海賊集団が出現する。中南米で獣の燻製肉を作るブカンという道具があり、燻製肉を供給する猟師をブカニエ(バッカニア)と呼んだ。カリブ海の島々は当初スペインが植民したが間もなく大陸の金銀鉱山へと去り、牛豚などの家畜が残されたという。これら半野生化した家畜を薫製肉にして暮らす欧州の異端者、犯罪者、亡命者、あるいは追われたインディオの子孫が次第に増えて来る。彼らは農業や商業、そして海賊に携わるようになる。バッカニアの誕生である(海野弘『海賊の文化史』)。海野によれば、フランス生まれのフランソワ・ロロノアはカリブ海の下層社会から海賊に転身し、1667年に8隻の船でベネズエラのマラカイボとジブラルタルを占領、略奪した。ロロノアが根拠地としていたのはヒスパニオラ島の北にあったトルトゥガ島という島で、ここがバッカニアの根拠地の一つである。トルトゥガ島のバッカニアは財産を共有し共同ルールによって仲間意識を共有していたが、特に多かったフランス人とイギリス人の海賊の間で激しい抗争も繰り返されている(海野弘『海賊の文化史』)。増田によれば、スペインはいったんトルトゥーガ島を陥落させて捕えたバッカニアを全員縛り首にしたが、これを恨んだバッカニアの襲撃は獰猛を極めた。ほどなくトルトゥーガ島は奪還され、バッカニアはスペインの住民を捕えては男女子供を問わず拷問し、財宝の在りかを聞き出した上で乱暴・虐殺するなどその手口は凄惨になっていく(増田義郎『図説海賊』)。海野によると、トルトゥガ島に匹敵するバッカニアの根拠地はもう一つある。ジャマイカのポート・ロイヤルである。1655年にイギリスがスペインから奪ったこの港町には王立アフリカ会社が設立され、黒人奴隷貿易が行われた。同時に海賊の溜まり場にもなり、略奪品の交易も行われた。悪徳と富が世界から集ったこの街で最も悪名が高かったのが、イギリス生まれのヘンリー・モーガンである。カリブに売られた後に船長に成り上がり、1655年にグラナダを襲って略奪、名を挙げる。1668年にコスタリカのポルト・ベリヨ、1670年にパナマを占領、略奪した。しかしイギリスとスペインの和平条約が成立したのでモーガンは多くの仲間を置き去りに帰国、海賊としての糾弾を逃れて高官の座に収まった(海野弘『海賊の文化史』)。


増田によると、17世紀末にかけて、諸国がカリブ海に植民地を持つようになると、私掠船の活動はむしろ邪魔と見なされるようになってきた。18世紀に入ってイギリスは1721年に海賊取締法を成立させ、名だたる海賊たちは続々とイギリス海軍に捕えられ絞首刑となった。それまでの私掠船の船員たちはそのまま非公認の海賊となって活動を続けるケースが多かったが、次第にその活動は衰退していった。当時の海賊社会を調べてみると、意思決定は船員の多数決が多く、儲けも船員たちに配分され、また戦闘で負傷すると多額の補償金を得て再雇用の道も開かれる規定がみられた。当時の海軍や商船では船長の権力が絶対的で船員も港街にて誘拐同然の方法で集められるなど待遇は悪く、海賊に捕まった被害船の船員たちが海賊に雇用される事例も多かった。捕われた医師航海士といった特殊技能者は海賊への参加を強制されることもあったが、彼らの側も後に政府に捕まった時に備えて強制加入であることの証明書を要求した事例がしばしばみられる。特殊技能を持たず海賊への雇用を希望しない一般船員たちへの扱いは寛大で、希望する場所で降ろしてもらえるのが原則であったとのこと。海賊社会での掟破りは厳しく罰せられた。逃亡、臆病、掠奪品の個人的隠匿等には特に厳しく、銃殺されたり、岩礁に放置して餓死させるといった罰が普通であった(増田義郎『図説海賊』)。



日本における海賊編集

日本でも海賊は古代から存在し、時の権力の悩みの種だった。平安時代藤原純友瀬戸内海の海賊を討伐するはずが逆に海賊を率いて決起した。ただし、これらの海賊行為は必ずしも単なる無法行為ではなく、「寄船」「津料」「上乗」といった慣習によって正当化されていた(黒嶋敏『海の武士団』)。寄船とは、難破した船や水に濡れた積荷は漂着物とされ、地元の船乗りたちに処分権が与えられるという慣行であり、津料とは「置石」「勝載料」等とも呼ばれた港が船に課す入港料金である。また海域を通過するには「上乗」という水先案内人を雇って安全航行が保証された。津料を払わなければ、港にあれこれと口実を作られて船や積み荷を寄船とされて海賊に襲われ、上乗を雇わなければこれも海賊が襲ってくるのである。


鎌倉幕府は寛喜三年(1231)年の法令と翌年の御成敗式目で寄船や海賊を禁止し彼らを指揮下に治めようとしていく。しかし幕府に従う地頭たちも現地では寄船や海賊の慣習に手を染めており、幕末にかけて幕府に従わない悪党としての海賊の活動が活発化していった(黒嶋敏、同書)。黒嶋によれば、室町幕府はむしろこれら地方の海の勢力の活動を公認し、その慣習を利用して海上交通や交易の支配を狙った。幕府に従う守護が海賊たちを従え、日明貿易や国内の交易を警護させた。しかし、幕府と現地の守護の関係が悪化すれば、交易船は寄船や海賊の脅威にさらされることにもなった(黒嶋敏、同書)。かくして海賊は同時に船舶の護衛水先案内をする存在ともなり、「水軍」と呼ばれた。室町時代には東シナ海で「倭寇」と呼ばれる武装商人が広域に多数出没し、明朝朝鮮に経済的打撃を与えた。


戦国時代には、商船の性能が向上して頻繁に港に停泊せずとも持続航行が可能となり、地方の港が衰退して港を根城とする海賊に打撃を与えた(黒嶋敏、同書)。黒嶋によれば戦国大名たちは海賊禁止令を出すようになり、追い詰められた海賊たちは大名の水軍としての働きに活動の重点を移していき、後には天下人に海軍力として協力した。有名なのが毛利氏に従った村上水軍や織田信長に仕えた九鬼嘉隆である。海賊は近世にもいたが数はずっと減り、近代にはほとんど消滅。最後に確認されたのは終戦直後の混乱した占領期である。



現代の海賊編集

現在でも東シナ海南シナ海インド洋アフリカ近海で海賊行為が横行している。銃火器による武装化が充実し、最新の通信機器を装備した高速小型ボートによる少数で 大型船を襲撃している。

彼らにはやはり元漁民が多く、紛争自然環境の悪化による貧困が背景にある。苦しい生活の中では、海賊というのもリスクはあっても豊かな生活を得る選択肢たりえているのだ。

しかし、元漁民とは思えない高度な装備を持ち組織化されているなど、武装組織が資金稼ぎとして海賊行為を行っていると見られる例もある。一部では国際的テロ組織と通じた者も存在するようだ。

またエコテロリストと目される場合のあるシーシェパードによる捕鯨妨害行為もまた海賊行為の一つとみなされることがある。


なお国連海洋法条約では、公海上の海賊は旗国(その船の犯罪を取り締まる管轄国)が存在しない為、遭遇した艦船が国籍を問わず臨検、拿捕、逮捕、自国における海賊容疑者の訴追を行うことが認められている。

同条約での海賊の定義は101条で公海における他の船舶若しくは航空機又はこれらの内にある若しくは財産に対して私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為を海賊行為と定めている。

更にはこの様な海賊行為をするという事実を知って船舶・航空機の運航に自発的に参加する行為、海賊行為の扇動・故意の助長も、海賊行為に含まれるとしている。


一方、高度な情報化社会となっている現在は、海賊達にとって思わぬ痛手となっている。

その代表的な理由が電子マネー…所謂「キャッシュレス化」であり、これによって主に現金を狙って襲撃を行っていた海賊達は肝心の現金を直接的に強奪する事が不可能となり、襲撃によって得られる利益は大幅に減るどころか、むしろリスクの方が高まる事になっている。

ただし、何が何でも利益を得ようと躍起になる海賊側は、金目の物を得ようと船舶のエンジン等を強引に奪っていったり、あるいは乗員達を拉致し、現金による身代金の要求や人身売買組織への売却といった方針で利益を得ようと目論む者もいる。


ジョリー・ロジャー(海賊旗)編集

髑髏に交差した骨」が典型的な海賊旗マークであるが、実際には交差したであったり様々なバリエーションが存在する。


なお、現代においてもこの海賊旗を掲げて航行した場合は国によっては海賊と看做される危険性がある。その為、ネタでも掲げてはならない。ちなみに海上保安庁等の海上訓練では海賊船もしくはそれに準ずるテロリスト船役の船は訓練上の識別の為に掲げる場合がある。


海賊を題材とした作品編集

…etc.


実在した海賊編集

海賊をモチーフとしたキャラクター編集

特撮編集

アニメ編集

文学編集

漫画編集

ゲーム編集

その他編集

キャラクターのモチーフとしての扱い編集

おおかた船長の姿の者が多い。

関連タグ編集

職業 ファンタジー職業

パイレーツ バイキング バッカニア 盗賊 山賊 空賊 宇宙海賊

海賊船 海賊旗 髑髏 / ドクロ 眼帯 海賊帽

海賊パラレル

海賊版

Pirates ?? 海盗

他の記事言語

Pirate

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