概要
生没 | 1534年~1582年 |
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出身 | 尾張国(現在の愛知県西部) |
幼名 | 吉法師 |
「うつけ」「第六天魔王」などの渾名でも知られる尾張国出身の大名。豊臣秀吉・徳川家康と合わせ、天下(日本)を統一へと導いた「三英傑」の筆頭として数えられる。戦国時代を語る上では必ずと言ってもよいほど名前があげられる超有名人であり、創作作品においても頻繁に題材にされている。
家紋は「五木瓜(織田木瓜)」、旗印は「揚羽蝶」「永楽通宝」、印章として「天下布武」など。
生涯
誕生~家督相続
天文3年(1534年)5月12日、尾張国の戦国大名・織田信秀の次男(三男とも)として誕生。
幼名は吉法師(きっぽうし)。母が正室である土田御前であったことから、庶兄・織田信広を差し置いて嫡子として育てられた。誕生した場所は那古野城(現在の名古屋城の一部)と言われるが、那古野城(なごやじょう)を那古野今川家から信秀が手に入れた時期が信長の誕生より遅いとの説があり、その場合は勝幡城(しょばたじょう)で生まれたと考えられる。
室町時代、尾張国の8郡のうち、海東・知多を除く6郡(のちに海東郡を含む7郡)は、足利家の分家である斯波家が守護であり、越前国(現在の福井県の大半)織田を発祥とする織田一族が守護代として赴任していた。信長の父・信秀は下四郡(愛知郡を中心とする南部だが、実際に4つというわけではない)の守護代を務める織田大和守家(清須織田家)の分家兼家老・織田弾正忠家の当主である。ちなみに信長は平重盛の次男・平資盛の末裔を称し本姓に「平」を用いたが今日では仮冒説が強い。
幼少期から奇抜な言動・挙動が多く、周囲からは「尾張の大うつけ」と呼ばれた。また、身分にこだわりを持たず、同じ年代の若者と戯れることもあったという。
古渡城にて元服し、上総介(かずさのすけ)と称するが、これは朝廷の命を経ない僭称である。のちに名乗った「弾正忠(だんじょうちゅう)」は正式な任官を受けている。最終任官は右大臣で、亡くなった時点では官職を持っていなかったが「前右府」と名乗っていた。
敵対していた美濃国(現在の岐阜県南部)の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、道三の娘・帰蝶(濃姫)と政略結婚した。
天文20年(1551年)、父・信秀が急死すると信長が家督を継ぐが、弘治2年(1556年)、義父・斎藤道三が嫡男・斎藤高政(義龍)との戦いで戦死すると、翌弘治3年(1557年)、謀反を起こした同母弟・織田信勝との家督争いに勝利して家中を掌握した。
その後、宗家の大和守家、上四郡の守護代である伊勢守家(岩倉織田家)などの尾張国内の敵対勢力を次々と破っていき、永禄2年(1559年)までには尾張国をほぼ平定した。
桶狭間の戦い~上洛
永禄3年(1560年)5月、駿河の今川義元の大軍の侵攻を受けるが、田楽狭間で劣勢にもかかわらず奇襲を仕掛け、逆に義元を討ち取る。かの有名な「桶狭間の戦い」である。
永禄5年(1564年)、今川氏真から独立(三州錯乱)した三河の松平元康と「清洲同盟」を結ぶ。
永禄7年(1564年)、近江の浅井長政に妹のお市を輿入れし、同盟を結ぶ。
1564年には、滝川一益を伊勢方面に進出させ、同時に美濃国へ侵攻を開始。
永禄8年(1565年)、美濃国国人衆佐藤忠能の加治田衆を味方につけ、義弟斎藤利治を中心に各合戦に勝利し、永禄10年(1567年)には美濃を攻略し、斎藤龍興(義龍の子)を追放して斎藤氏を滅ぼし、この地を岐阜と命名した。
この頃から「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった。
永禄11年(1568年)、畿内を制圧していた三好三人衆が擁立していた室町幕府・14代将軍・足利義栄に対抗して、三人衆に暗殺された13代将軍・足利義輝の弟・足利義昭を擁して上洛、義栄らを京から追い、義昭を将軍職に就けた。近畿地方も攻略していった。
しかし、信長と義昭の間に徐々に政治対立が浮上し、義昭は信長に敵対する甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信、中国地方の毛利輝元、越前の朝倉義景などに書状を送り信長包囲網を形成。これに対し信長は朝倉討伐を企図するが同盟者である浅井長政の離反を招き、姉川の戦い(元亀元年(1570年))で朝倉・浅井連合軍との決戦に及び、その後近江小谷城の長政、越前一乗谷城の義景を相次いで滅ぼした。信玄の死後、長篠の戦い(天正3年(1575年))で鉄砲隊を本格的に使用して武田勝頼を破る。
元亀2年(1571年)には、敵対勢力と協力関係にあった比叡山延暦寺を焼き討ち(72年振り3度目)にして自らを第六天魔王と称している。また、最大の抵抗勢力であった大坂本願寺の顕如とは天正8年(1580年)に和睦するまで長く抗争を続けた(石山戦争)。本願寺と連動した伊勢長島・加賀の一向一揆、さらに謀反した荒木村重、紀伊雑賀衆など各地に存在する反信長勢力との戦いに明け暮れる。そして、元亀4年(1573年)、ついに信長は義昭を京都から追放し、室町幕府を終焉させた。しかし、その後も毛利家を頼った義昭との抗争は続いていく。
織田政権~最期
天正7年(1577年)、琵琶湖湖畔に安土城を完成させ、城下に楽市楽座を展開。残る越後の上杉景勝には柴田勝家、中国地方の毛利輝元には羽柴秀吉、四国の長宗我部元親には三男・織田信孝・丹羽長秀などが方面軍として派遣され、滅亡に追い込みつつあった。東国の北条氏政、東北の伊達輝宗・蘆名盛隆、九州の大友宗麟・島津義久・龍造寺隆信らと関係を密にして、事実上従属させた。天正10年(1582年)3月には嫡男織田信忠・滝川一益・森長可らが甲斐の武田勝頼を滅ぼし、天下統一は目前に迫っていた。
しかし、同年6月2日早朝、重臣・明智光秀の謀反に遭い、逗留していた京の本能寺で自害した(本能寺の変)。史料では本能寺の奥の部屋で人払いしたところで記述が締められており、これが信長生存説の一因にもなっている。同時に二条城で嫡男の信忠や京都所司代村井貞勝も討たれた。享年49。
信長の死後残された遺児たちは、羽柴秀吉・徳川家康といった群雄の勢力争いの中で互いに対立し、また家臣団の多くも独立、秀吉配下へと吸収され織田政権は信長一代限りで終止符を打たれることとなる。
人物
家族
なお、信長は嫡男だが長男ではない。影は薄いが織田信広という異母兄がおり、こちらとも地味な家督争いをしている。信広は安祥城で今川の軍師・太原雪斎に敗れ捕虜になり、松平竹千代と交換された話ばかり有名だが、信長に従ってからは武将として働き、長島一向一揆を騙し討ちして逆襲された際に、織田一族10人以上と共に戦死している。一揆の残りの構成員を信長が虐殺したのは、信広の死が原因である可能性が高いとされる。
子供は上の男子三人(信忠・信雄・信孝)が有名だが、他の息子や娘と合わせて21人、それに養女や猶子(養子の一種だが子と言うより被後見人に近い)、実在するか怪しい庶子を含めると26人兄妹とかなり子沢山である(前述の子孫は信長の七男・信高の末裔とされている)。子供に対して髪の生え際が茶筅に似てるから「茶筅」(後の信雄)、母の名前が「お鍋の方」だから「酌」など割とはっちゃけた名前もつけているため、たまにネタにされたりもする(もっとも、子供に妙な名前を付けるのは当時では彼に限った事ではなかったのだが)。
信長の正室で有名な濃姫との間に子は生まれず、嫁入り後の濃姫の動向はあまりわかっていない。上記の信忠や信雄は側室・吉乃(生駒吉乃)の子といわれ、信忠は濃姫の養子になったとも言われている。
なお、信長の遺体はついに見つからなかったのが定説となっているが、厳密には本能寺の変における大火による焼死体が多かった為、どれが信長の遺体なのかついにはわからなくなったというのが真相である様子。この事からも生存説が生まれたとも言える。
外見
織田家は美男美女の家系であり、信長も若い頃は美男子であったという。信長公記によると青年時代の信長は茶筅(ポニーテイル)のように髪を束ねていたようで、女性に見紛う容姿だったとされる。
身長はヨーロッパ宣教師に「中ぐらいの背丈」と言われる程度の高さで、この時代においてはかなり大柄だったらしく、おおよそ170cm前後ではないかと推測されている。(秀吉は「背が低い」と言われている)。また髭は少なく華奢な体躯で、声は「甚だ快調」=甲高い声をしていたという。
人柄
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」という落首が創作されていることから一般には残忍かつ苛烈な性格のイメージが強い。古来の価値観に縛られない合理主義と先見性、広い視野、決断力に秀でる一方、敵対者に対しては容赦ない所業が多く、その鮮烈な生き様によるカリスマ性は人々を魅了すると共に独裁者としての傲慢さを垣間見ることも出来る。
少年時代の信長は奇天烈な性格ゆえに周囲に理解されず、「尾張のうつけ者」と揶揄され、領民や家臣はもちろん実母からも疎まれていた。父・信秀の葬儀で位牌に向けて抹香を投げつけて家臣を唖然とさせた逸話は有名。
ルイス・フロイスの記録によれば睡眠時間は短いため早起きで、酒は好まず食事を節制していた。また潔癖症で身の回りはおろか市井の隅々まで掃き清められていなければ気が済まず、城下へ布告を出すことが度々であったという。身分にかかわらず相手を「わごれ」と呼び捨て、また迷信や伝統への拘泥を嫌う一方で、地球が丸いという事や時計の原理なども理屈さえあれば理解した。宣教師から黒人奴隷(弥助)を献上されたときには、体を洗っても色が落ちないことから初めてその存在を納得するなど、合理的精神の持主だった。
また女性を大切にし家臣に対しては夫婦円満を奨励して、浮気を繰り返した者を家臣団から追放したり、上洛した際に婦女と淫行した者を即刻処罰したり、本能寺の変の際も女衆を先に逃がしている。正室であった生駒吉乃には家柄から考えれば破格の厚遇を与えた他、秀吉の妻であるねねからの夫婦の悩みについて相談を受けて丁重に返事の手紙を書くなど細やかな心配りを見せている。
もっとも生涯側室を取らなかった明智光秀や黒田官兵衛、戦場から毎日愛妻に文を送り続けた島津義弘などの武将と比べ、多くの側室を抱えた信長が特に女性に対し丁重だったわけではない。
お気に入りの茶人を殺してしまった事から浪人に追い込んだ前田利家をその後の働きから許したり、家督相続後には敵対していたが柴田勝家を後に重臣として重用し、織田家に損害を与えた斎藤龍興は追放にとどめるなど寛容な面もある。
また対立した足利義昭は政治的なマイナス面(将軍暗殺の汚名)を考慮し、あえて京からの放逐のみで済ませるなど深慮を働かせることもできた。
しかし強大な実力を持った晩年の信長について、フロイスは「この不幸にして哀れな人物は、やがて途方もない狂気と盲目に陥り」とも評し、「悪魔的な傲慢さ」を抱くようになったという。
逸話ではあるが安土城を信長が留守にした際、城の侍女たちが無断で花見の宴を行ったことがあり、予想外に早く帰還した信長が激怒して侍女達を死罪に処してしまったという。
作家の池波正太郎は、「普通なら何というむごい殿さまだと言うだろう。しかし信長の真意は、『いつ襲われてもおかしくない戦国時代を生き抜くためには、女性に城や国をしっかり守ってもらわないといけない』というところにあり、女性も男同様の責任を取らせるべき、という理由からである。逆説的に言えば、それだけ女性を重視していた、少なくとも男と同様に買っていたということ」と著書「男の作法」の中で解説している。
しかし屋敷に侍女たちが戻ってくる毎にこれを待ち構えてなで斬りにし、噂を聞いて寺に逃げ込んだ侍女とその引き渡しを拒んだ住職までも寺ごと焼き殺すなど、単に責任意識を植え付ける事が目的にしては異常なほど執拗、偏執的な面も存在する。このように信長はしばしば度を過ぎた行動で人々を恐怖させることがあり、晩年にはその制御も効かなくなっていたようである。
このような性格が災いして明智光秀他多くの者の離反を招き、いわば自滅の呈で自らの天下に終止符を打つ事になったともいわれる。
精神医学的観点からの信長の人格について
信長の目的への強い集中力、困難な状況に対する粘り強さや自己の完全性への追求はクレッチマーの3気質における筋骨型に類似する。このタイプは粘着型とも呼ばれ、歯止めの効かない行き過ぎた正義感や執拗な人格にも繋がると言われる。
一方フロイスの記述には信長が現れると家臣たちは皆物音一つ立てないようにしたという記述がある。また当時の常識を超える信長のトリッキーな行動、家臣や支配下の武将の心を掴み切れずしばしば離反を招いたという事実から、現代の評価では一種の発達障害だったのではないかという説が存在する。
英雄、偉人の中には発達障害とみなされる人物もおり、必ずしもマイナス要素とは言えない。2020年に公開された大河ドラマ麒麟がくるに登場する織田信長は周囲の感情や情緒を理解できず、孤立してゆく様が描かれている。ただし脚本家やNHKの公式なコメントでは特に信長を発達障害とみなす発言は無い。
ただし、これらはあくまでも限られた文献をもとにした推測であるに過ぎず、実際の所はもはや誰にもわからないということも頭に入れておこう。
趣向
下戸で酒はあまり飲まず、貴族好みの味の薄い京料理は嫌いだったと伝わる。ただ京料理の名人に京風の料理を作らせたが口に合わず、それではと田舎風に味つけされた料理を褒めたたえたことで、その料理人に馬鹿にされたという逸話が残されているが、後世の創作である可能性がある。甘党だったとも伝わりフィクションではよく強調されるが、確証はない。(ただし「信長公記」などの資料には甘い物にまつわる記録が多いため可能性がないわけではない)
茶道や舞、囲碁、鷹狩りや刀剣の収集、駿馬などを好み、茶道具を町人から取り上げたり、家臣に恩賞として与えたりもしていた。これは領地には限りがあるが茶器ならば入手は容易である事、政治的な活動として茶会が重視されるようになった事が大きい。家臣も茶会を開くことを許され、茶道具を与えられる事に城や領地と同等の価値があるとみなすようになった。
幸若舞の『敦盛』の「人間五十年、下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也。一度生を稟け、滅せぬ物の有る可き乎。」の部分を舞った事が有名。相撲を好み、よく相撲大会を開いて楽しみ、お抱えの相撲取りもおり、自らも相撲をしたりした。これら以外にも小鼓や蹴鞠も嗜んだという。小鼓の腕は名手といわれ、蹴鞠では飛鳥井雅教の門弟となっている。
南蛮(ヨーロッパ)文化に強い関心を抱き、火縄銃を大量導入し、洋服を好んで着用し、地球儀を見て日本の小ささに衝撃を受けるとともに、時計を理解し、アフリカ人の小姓・弥助を置いた。甲冑も南蛮胴(スペインの一般兵の胴当てを日本風に改造した鎧)を愛用しており、戦国BASARAのデザインの服装は史実に近いものである。
信長と言えば南蛮文化というイメージは現在でもかなり根強く、大半の創作物において信長は南蛮胴を身に付け、私生活でも洋服を着こなすハイカラな男として描かれることが多い(もっとも、近年の作品では大河ドラマ『麒麟がくる』等、一部例外もあったりするが)。
駄洒落が好きだったらしく、桶狭間の戦い直前に加藤順盛という家臣の名字をかけて「戦に勝とう(加藤)!」と言ったという逸話や馬上でうたた寝をしていた時、目を覚まして何処かと尋ね「東福寺」と聞くと「あの白壁かや」(白壁は豆腐の異名で、東福寺=豆腐喰う寺という意味)と言った逸話などが残されている。
武将としての能力
軍事と政略
軍事面では鉄砲(火縄銃)の威力に注目し、発射準備に時間の掛かる欠点を三班制の導入(通称、三段撃ち)により克服、無敵を誇った武田の騎馬隊を撃破する(長篠の戦い)などの目覚ましい成果を上げ、日本の戦術に革命をもたらした。……と、言われてきたが鉄砲を大量採用していたのは今川氏や武田氏なども同様であり、信長も雑賀攻めでは相手の鉄砲隊により大敗している。
三段撃ちに関しては、幕末の会津戦争で当時の黒色火薬では熱膨張により部品の嵌合が悪くなると暴発の危険が高まり鉄砲の連続使用は困難という証言があり、また欧米や他の地域においてこのような戦法が採用された事績が見当たらないことから、近年では一律に交代して撃つのではなく、空いた場所に待機していた兵が入って撃っていたという説が有力になりつつある。
また歴史研究家の鈴木眞哉氏は近世ヨーロッパの歴史と関連させ、騎士階級と平民の格差を縮めた鉄砲がハンザ同盟などの自由都市の隆盛を招いたように、鉄砲により本願寺や雑賀党などの武装集団が各地に出現した結果、信長による天下統一のタイムスケジュールは大幅に遅延する結果となったと指摘している。もう一つの織田家の装備である鉄甲船については大砲を積んだということ以外は判っておらず、明確に鉄板貼りの船が登場するのは羽柴秀吉による朝鮮出兵の時期である。
信長や道三の発案とされてきた「楽市楽座」は六角定頼が先行しており、領内統治に関しては後北条氏の方が遥かに先進的であったなど、信長の革新性を見直し、将軍や天皇の権威を調停に用いるなど中世的なしきたりの中で己が力を発揮した武将という評価が主流化してきている。
信長の本領は政戦両略により戦乱の世を絶妙なバランスで勝ち上がった事にこそある。武田氏に美濃の東部を奪われながら長い間低姿勢だったり、本願寺と長期間にわたり戦いながら各地の末寺には中立が保証できれば手を出さないなど、華麗で豪快なイメージと裏腹にむしろ堅実な政策を地道に実行できる人物であった。
敵対する者ならばたとえ力のない相手にも容赦なく、門徒の軍事力が侮れない本願寺には慎重に対処して最終的に和睦しているのに、近所の雑賀一揆や根来寺に比べても微力な高野山が自分の意に反するという理由で、領内の高野聖を虐殺している。
一方で、江戸時代に一般化していく預治思想(天道委任論)の先駆けとして、家老衆の土着性を否定し、国替を行うなど、天下人の時代の幕開けとして再評価している研究者もいる(それが本能寺の変の遠因にもなるのだが……)。今後の動向が見ものであう。
人事
人事に関しては徹底した能力主義・実力主義で部下を競わせ実績を上げさせていた。百姓から天下人にまで登り詰めた豊臣秀吉などはその代表例である。「織田四天王」と言われた柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀等の軍団長や、河尻秀隆・前田利家・佐々成政・森長可などの尾張・美濃出身の武将を重要視する。
義父・斎藤道三の末子で濃姫の弟・斎藤利治に美濃斎藤家跡取りとして、要所の加治田城を継がせ、嫡男織田信忠の側近にするなど次期織田家の支配体制を固めて行った。一方では業績の低い佐久間信盛・林秀貞などの譜代の家臣を平気で切り捨てた。天王寺で戦死した原田直政に対本能寺戦線を崩壊させかかったことに激怒し家禄没収の末、一族を追放している。歴代の家臣の忠誠心を考えるとこれらは大きなマイナス要因となった(さすがに佐久間の処遇は行き過ぎであり、後に息子には帰参を許している)。
信長の死後、織田政権が短期間で解体されてしまったのはこの極端な実力主義にも一因がある。織田一門を重用し、柴田勝家や佐久間などの譜代武将が織田家の中枢におり、明智や羽柴がその配下に留まっていれば歴史はかなり異なったと思われる。
とはいえ意外と家臣を大事にする面もあり、秀吉の妻ねねに「秀吉にはお前さんは過ぎた嫁だ。だから、あいつの女関係に関してはちょっと言っておく。今後もなんかあったら俺に言ってくれ(意訳)」という手紙が現存している。一説には、この時に織田秀勝を秀吉、ねねの養子に送ることを考えたと言う。
信長に背いた武将
信長ほど家臣に背かれ、同盟者の離反を招いた武将は類を見ないもの事実である。織田家統一以後の人物だけでも、浅井長政、松永久秀、荒木村重、高山右近※、中川清秀※、別所長治、長曾我部元親、そして極めつけは明智光秀である。
※後に降伏
一応浅井長政に何度も降伏勧告を出したり、松永久秀の三度にわたる裏切りを許してはいる。しかし浅井長政は報復を恐れ降伏に応じることは無く、また松永との和睦も決して円満なものとは言えなかった。もっとも離反した側にも一切の非が無いとは言えない。
そして一度帰参した人物であっても林通勝のように過去の敵対を理由に追放したり、重臣でありながら働きの少なかった佐久間信盛を親子ともども追放するなど(普通は当主を引退させ息子にある程度の領地は残すものである)その行動には執拗、予測不能な面があり、家臣、また同盟者は相当な覚悟を強いられる事となった。
徳川家康は信長から自身の嫡男・松平信康の切腹を命じられ、逆らえない力関係からやむなくそれに応じたが、晩年信康の死を嘆く発言もしている(近年では織田派の家康と武田派の信康の対立があったという見方も出てきている)。もっとも織田家とは祖父・松平清康の代から因縁ある間柄でもあり、決して信頼のみによって築かれた同盟関係では無かったようである。
天下布武
信長が美濃攻略を完了した頃から掲げた印。「武力を以て天下を取る」という「天下統一」の意思を示すものだと解釈が多かったが、実はこの「天下」は日本全国ではなく、室町幕府の将軍と政治、そして京都周辺の畿内五か国を意味するものだった。信長の上洛目的も足利義昭の将軍擁立のためで、幕府と将軍から権力を委任された立場でその天下を平定する、という意味で掲げた。
しかし、信長と将軍義昭との関係が悪化・対立し、ついには幕府を終了にまで追い込んだことでその意味が変化し、自ら「天下人」として幕府が支配した天下の平和と秩序の維持を目的に戦いを続け、次第に全国規模の天下の統治へと変化したとされる。
宗教勢力との対立
延暦寺焼き討ちや高野聖の虐殺という所業から神仏に対して嫌悪感を抱いているような印象をもたれがちだが、実際は信仰心が篤く特に熱田神宮を始め織田家と関わりの深い神社に援助したり、法華経も信仰していたとみられる。あくまでも信長が嫌っていたのは、宗教団体が政治に関与するということで、特に寺社が政治力を付けることを毛嫌いした。
当時の時代において、主に寺院は政治にも関わりが深く、大名家と同等かそれ以上の強い権力を持っており、聖域を盗賊などから守るための戦力として僧兵が数多く存在し、軍事力をも有していた。それ故に寺院内の腐敗や、僧兵による暴行なども相次ぎ、仏法における教義の解釈を巡って宗派間で争われることもあった。
延暦寺は、当時もっとも強い権力を持っていた寺院の一つであり、上述した理由から腐敗も酷く、かつて後継者を巡った論争から分離した天台寺門宗の園城寺(三井寺)に圧力をかけていた。信長はこれを見かねて園城寺に協力を求め、応じた園城寺に陣を張らせてもらい延暦寺に横暴を止めるよう勧告を出し、これに延暦寺が応じなかったために攻め入ったのである。
織田一族は日蓮宗の信徒が多いが(本能寺も日蓮宗の寺院)、日蓮宗の僧が他の宗派を攻撃する行為が目に余ったため浄土宗と論争させ、他宗を批判しないことを認めさせた(安土問答)。
比叡山や本願寺といった宗教勢力を弾圧した織田信長は、仏敵を意味する「天魔」と評され、自ら「第六天魔王」と称したこともある。信長の残虐なイメージはここから来ているが、平安の時代から既得権を振りかざした寺社勢力との対決は中世的な権力構造から脱するためにはやむを得ないという見方もできる。
創作物ではこのことで明智光秀との対立が生じたと書かれることが多いが、近年見つかった書簡では寺社勢力との対決を積極的に進言していたのは光秀のほうであり、むしろ光秀のほうが信長以上に過激な改革主義者だったとの解釈もある。
実はこれらについて、以下のような説がある。
信長は延暦寺や本願寺という仏教勢力の大御所から腐敗因子を刈り取ってその横暴を止めたが、それ故に全国の仏教勢力から反感を買い「第六天魔王」と称され恨まれたため、彼らが各地で反乱を起こすのを防ぐために敢えて自らそう名乗ることで恨みを自身に集中させた。
その上で自分が誰かに討たれ彼らに「仏罰」と思わせることで大人しくさせられると考え、自分を討つ相手として選んだのが最も信頼を置ける重臣であった光秀であり、その光秀を裏切り者として討ち取り自身の意志を継ぐ者として秀吉を選んだのではないかとする説がある。
もし三人でそうした打ち合わせが成されていたのであれば、秀吉が中国大返しによりあり得ない速さで駆けつけられたことや、信長・光秀に生存説があることにも辻褄が合い納得がいく。
キリスト教は実利面から保護したが、その後キリスト教勢力が力を付けてきた場合どうなったかは全くわからない。実際、信長の死後天下統一を果たした秀吉や徳川幕府も当初はキリスト教の布教を黙認していたが、キリスト教勢力が一定の規模になると脅威と見做して弾圧する方針に転換している。
信長はこのように宗教による政治への干渉を嫌った反面、晩年は安土城内に置いた石を自分の身代わりとして拝ませていたとも言われており、自己神聖化の肥大によって単純に宗教権力からの解放者とは言い難い面も存在する。
創作物における織田信長
歴史小説の他、漫画・アニメ・ゲームなどの幅広いサブカルチャー作品においても、主人公または主要人物に何かしらの影響を与えた人物としてその名が取り上げられる機会が多い。
部下から悪郎(わろ)と呼ばれ親しまれ、その冷徹さやカリスマ性から有能な指導者として語られる一方、「第六天魔王」という異名を名乗ったことや、冷酷、残酷な独裁者といったイメージから主人公が反発する主君、悪役として描かれることもあり、ゲームではラスボス的立ち位置にいることが多い。
信長を主人公とした『信長の野望』では政治力、戦闘力が高い水準でバランスが取れており、公式チートと呼べる武将である。史料として遺る肖像画では頭頂部を剃髪した月代であるが、前述の『野望』シリーズをはじめ多くの作品で総髪(頭頂部にも髪の毛がある)、加えて茶筅髷で描かれることが多い。
また架空戦記やパラレルワールド物などでは、しばしば「もし信長が本能寺で死なずに天下統一を実現していたら」というモチーフが用いられる事がある。(『時空の旅人』、『ストライクウィッチーズ』など)
そして2019年――
余りの信長をモデルとしたキャラクターの多さから、とうとう『信長名鑑』(著:姫川劉禅/挿絵:みやま零/出版:太田出版)なる、信長による信長だらけの信長図鑑が登場した。その紹介数、本著だけでも585作品・703名と、凄まじい数な上に2人以上の信長が出ている作品が結構ある事が分かる。
どんだけ信長公好きなんだよ、日本人。
織田信長(創作)
IFの信長
「もし信長が本能寺で死ななかったら」の場合、光秀を倒して毛利攻めを済ませ、四国・九州も攻略し、東日本(北陸・関東・東北)も制覇し、天下統一を完遂。新しい支配体制を作り、ついに朝鮮半島へ攻め入り、明の北京にまで侵攻。東南アジア方面にも進出し、スペインやイギリスといずれ対決するだろう。
一方、同盟相手の家康らと対立し戦国時代を長引かせただけ(史実の関ヶ原の戦い、大坂の陣を陣営を変えて行うだけ)という意見もある。
他にも大陸よりも南方(フィリピン、インドネシアなど)に手を出したのではという説も存在する。
また、リアリストとして軍事ではなく貿易をもって国づくりを進めたという意見もあり、その場合、幕末の混乱も最小限に抑えられたとの主張もある。一方アジア進出により秀吉以上に破滅的な事態を招いたのではないかという意見もある。
大河ドラマ
その人気故、大河ドラマでも多くの出演を果たしている
初登場は『太閤記』(1965年)である。
その他
- 『天と地と』(1965年)
- 『国盗り物語』(1973年)
- 『黄金の日日』(1978年)
- 『徳川家康』(1983年)
- 『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年)※初の主役
- 『おんな太閤記』(1981年)
- 『武田信玄』(1988年)
- ※同作で信長を演じた石橋凌は『麒麟が来る』では武田信玄を演じた。
- 『春日局』(1989年)
- 『秀吉』(1997年)
- 『利家とまつ~加賀百万石物語~』(2003年)
- 『功名が辻』(2007年)
- 『天地人』(2009年)
- 『江~姫たちの戦国~』(2011年)
- 『軍師官兵衛』(2014年)
- 『真田丸』(2016年)
- 『おんな城主 直虎』(2017年)
- 『麒麟がくる』(2020年)前述したように非常にトリッキーかつ現代的な解釈の信長が登場する。
- 『どうする家康』(2023年)
映画やドラマも含めると多すぎてきりがない。中でも『麒麟がくる』では第7回の終盤で初登場。だが第6回からクレジットされているのだが、その役柄が雰囲気:織田信長という、大河でも史上初となる雰囲気出演である。
意味が分からないと言う方は、第6回を見てみよう。
また、『どうする家康』では、第1話のクライマックスで早速登場するや、竹千代(後の家康)のことを「俺の白兎」と呼び、視聴者に強烈なインパクトを残すことになった。
小説・ライトノベル
史実だけでなく歴史ifやラノベとして信長を取り上げている小説は多い。
- 異戦国志
- 仲路さとるによる歴史if小説。信長、秀吉、家康と三英傑による三つ巴の戦いを繰り広げる歴史が描かれる。戦乱は地方にも拡大し、伊達、北条、島津、長曾我部等が生き残りをかけ各地で離合集散を繰り返すバトルロイヤルである。信長は家康を従え秀吉を追い詰めるが・・そして意外な人物が天下を統一することとなる。
- 首の信長
- 信長は歴史上たぐいまれなる「強運」によって天下を獲った人物である。しかし歴史管理官が宇宙の歴史を記録した「アカシックレコード」を傷つけてしまった(フリスビーにして遊んでいた)ため、信長の強運は失われ管理官二人が歴史維持のため奔走することとなる。
- 今川の陣に突入して何度も討ち死にする信長を気象兵器による局所的暴風雨で支援し、長篠で武田に蹂躙されまくる織田軍のためにマシンガンを支給する。
- 果ては本能寺へ押し寄せてくる光秀、勝家、家康、秀吉、蘭丸、諸国の大名を次々と返り討ちにするが、信長の首が放つ甘美な誘惑は管理官二人の心を蝕んでいき、そして‥‥‥『玩具修理者』で知られる小説家、小林泰三による怪作である。
同作品の世界線では主人公の協力を得つつ、日本を平らげて世界の海へと漕ぎ出している。
ゲーム
アクションゲーム
CV:小杉十郎太(1~4)/島﨑信長(5)
織田軍の総大将。乱世の業を一人で背負い、天下統一を目指す「魔王」。
詳しくは織田信長(戦国無双)を参照。
CV:若本規夫
自らを「第六天魔王」を称し、恐怖によって天下を統一しようとする。キャッチコピーは「征天魔王」。
詳しくは織田信長(戦国BASARA)を参照。
アダルトゲーム
赤毛の爆乳美少女武将。想いもよらぬ発想と行動力で織田家を引っ張っていく。当主としての威厳を保とうとする一方で、自分の気持ちに素直になれない性格。
尾張の国を治める織田家当主にして、メインヒロインの一人。
詳しくは久遠(戦国†恋姫)の記事を参照。
アドベンチャーゲーム
CV:松風雅也
天下人に限りなく近い、織田家の総大将。
型破りな発想で人心を惹きつけるが、そのぶん敵も数知れず。傲岸不遜なカリスマで、生に対して享楽的な思考を持つ。
カードゲーム
CV:大久保瑠美
天下統一を目指す小悪魔王にして、ゲームの広告塔。
詳しくは小悪魔王・織田信長を参照。
キャッチコピーは「俺が乱世を打ち砕き新たな世を創る!」
織田家の当主として登場。このゲームの副題は『1560 尾張の風雲児』なので主人公とも言える。周囲から『うつけ』と呼ばれながらも野望に向けて邁進する若き日の姿が描かれている。彼固有の計略『天下布武』は範囲内にいる織田家の味方を全て強化する強力な物。バージョンアップ版である『1570 魔王上洛す』でも壮年期の姿で登場しているほか、ゆでたまご氏による別バージョンも存在する。こっちはまんまキン肉マンである。
このゲーム全般を通して主役に近い扱いをされており、『1582 日輪本能寺より出づる』までほぼ毎回何らかの形で織田信長のカードが追加されていた。そのため、通常排出での『天下布武(青年期)』、『三段撃ち(壮年期)』、『是非に及ばず(晩年)』の3枚に加え、コラボレーション企画の戦国数寄枠で『キン肉マン』、『まおゆう』、『尾張の最終兵器(漫画・いくさの子に登場した幼少のころの信長)』の3枚、雑誌の付録での『いくさの神(いくさの子に登場した青年期の信長)』、初期スターターパックのカードと戦国鬼札版(両方とも天下布武と同じイラスト)で、同名カードでは豊臣秀吉の10枚に次ぐ9枚を誇る。
ちなみに、前述の通り鉄砲による集団戦術を確立したということで彼率いる織田家には鉄砲隊が多いのだが、バージョンアップの度に本願寺(雑賀衆)や島津など、特技やシステムの面で優遇された鉄砲勢力が参入しており、このゲームにおける鉄砲の元祖とも言える織田家の鉄砲隊は非常に厳しい情勢に立たされていると言わざるを得ない。
覇王ノブナガ(または、うつけノブナガ)の名で登場。特定の装備アイテムの組み合わせで、魔王ノブナガに変身する。必殺技は【天下布武】(家紋ビーム)。
シミュレーションゲーム
CV:神奈延年(創造) / 杉田智和(大志以降)
メインプレイヤーキャラ。タイトルに名前が冠されているだけあって、「公式チート」と言われるほどシリーズを通じて高能力。初期は頭を月代にしていたが、三作目からは総髪の茶筅髷になった。髭を生やした凛々しくも厳めしい顔つきにはシリーズを通して変化なし。信長を題材にした作品の中でも特に歴史の長いシリーズであり、後年の作品ではこの信長像をベースにしたキャラクターも少なくない。
本能寺の変以降は登場しないが、自身や明智光秀、織田信忠を始めとした事件の関係者を
主人公にした際の行動次第で発生を回避し、生存させる事が可能。
ロールプレイングゲーム
リュウの国のブショーリーダー。突如ランセを滅ぼすと宣言し、次々と周りの国を制圧していく。ポケモンはサザンドラ、ゼクロム、黒いレックウザ。
詳しくはノブナガ(ポケナガ)を参照。
その他のジャンル
実況パワフルプロ野球2011決定版にある戦国サクセス編、実況パワフルプロ野球2013の戦国工業高校編にて登場。先発型の速球派投手で投手能力も野手能力も十分高いが、天下目前にして本能寺の変で死んだエピソードからか、終盤に味方が勝っていると能力が下がる寸前×という特殊能力をもっている。
計略「信長の威圧」は味方全員に「威圧感」(投手:リリーフ登板時打者のミート&パワーダウン、野手:相手投手のスタミナ消費量増加、球速&コントロールダウン)が付くというもの。相手投手からしてはスタミナ消費が一気に増えるためたまったものではない。
詳しくは織田信長(にゃんこ大戦争)を参照。
CV:鈴木達央
キャッチコピーは「第六天より蘇りし俺様系魔王」でメインシナリオキャラクター。
詳しくは織田信長(ラヴヘブン)を参照。
愛知県のextrabossであり水属性の超絶レア。
リーダースキルは「天下布武事業計画」、ゆるスキルは「ティロ本能寺」
詳細は英語物語登場人物一覧を参照。
漫画
宇宙戦艦を率いる「富嶽」の指導者。彼女以外にも「本能寺の変で死なず異世界に渡ったオダ・ノブナガ」「パラレルワールドと化したスペオペ江戸時代で本当に魔王になった織田信長」が確認されている(これらは歴史通りの男性)。また未確認ながら「本能寺の変で死亡し”魂の還る場所”に転生した織田信長」の存在が示唆されている。
黒装束の帽子とマントを身にまとった、目つきの恐ろしい、魔王っぽい武将。目標は世界で「スシ・テンプラ・ノブナガ」になるくらいの知名度向上。
CV:伊藤かな恵(アニメ版) / 皆口裕子(ドラマCD版)
史実の信長に相当する存在の女の子。
詳しくは織田信奈を参照。
CV:黒田崇矢
何でも焼き討ちしたがる破天荒な武将。漫画では白目で口が描かれない。容赦のない性格で、ほとんどの他人に高圧的態度で接する。台詞のフォントや吹き出しが他のキャラと違って怖い。お酒には弱い。
正式名として「織田前右府信長」を名乗る。ざんばら頭で、片目に眼帯をつけた姿が特徴。本能寺の変の中で何故か異世界へと飛ばされてしまうが、そこでの国盗りを開始する。
平成の世で信長が内閣総理大臣になっちゃった漫画。
詳しくは内閣総理大臣織田信長を参照。
CV:宮野真守((サブロー) / 梶裕貴(本物)
ドラマ版:小栗旬(サブロー・本物の二役)
平成の高校生・サブローはふとしたことで戦国時代にタイムスリップし、そこで自分とそっくりな顔の武士と出会う。彼こそ史実の信長で、信長から病弱な私に代わって信長になってほしいと頼まれ、サブローは信長として戦国を生きることとなる。勉強が苦手で、歴史も疎く、自然体で飄々と物事にあまりこだわらない性格。本物の信長は頭巾をかぶって別名として生き、各地を放浪した後にサブローに力を貸すため再び織田家に戻る。
自分の手で乱世を終わらせようという大志を持ち、技術革新と商業政策により戦国に覇を唱えている。果実やお菓子に目がない大の甘党で、酒一口で酔っぱらってしまう下戸。帰蝶やお市を溺愛し、優秀だが純朴な主人公であるくノ一の千鳥を可愛がっている。
詳しくは織田信長(信長の忍び)を参照。
CV:小山力也
豪壮な芸術を好む天下人。派手な洋服や西洋風甲冑を好み、ピアスをつけ、甲高い笑い方をする。古田織部の数寄振りを評価しており、彼の驚く顔を楽しんでいる。親族を可愛がりすぎる節が多い。世界制覇を目論み、風雲躍り華咲き乱るる世を目指すが、本能寺の変直前にある人物と手を組んだ信長家臣に襲われた。
ブラック君主・織田信長が本能寺で死ぬ運命を変えるためにタイムリープを繰り返す架空戦記ギャグ漫画。
アニメ
CV:千葉一伸
チーム雷門たちが出会った尾張の武将で、イレブン能力者。気だけで暴れ馬を追い返すなど、凄まじい覇気のオーラを持っている。信長のオーラを手に入れようとやってきたチーム雷門の神童拓人に「自分は天下を取れるのか」と聞き、「それはできません」と正直に答えた神童に興味を持つ。
そして蹴鞠戦(けまりいくさ)の時には、化身アームドにとらわれ過ぎてきちんと戦局が読めていない神童を見かね、フィールドに赴いて神童を叱責・助言して化身アームドを成功させ、更に神童とのミキシマックスを許可する。
奇抜な行動が目立つが、好奇心旺盛でとくに海外の珍品に目がない。織田家での複雑な境遇、終わらない戦国乱世。そんな中を仲間と独創性で切り抜けようとする。よくはだけた半裸な格好でおり、自室などプライベートでは眼鏡をかけている。親しい身内の前ではお国言葉で喋る。
本人が登場するのだが、この作品での戦国時代における真歴史は虫取り合戦だったという歴史となっていた?なお、中の人は戦国BASARAで無敵が口癖の戦国武将を演じていた。
特撮
仮面ライダースペクターの強化フォーム『ノブナガ魂』として登場。必殺技は長篠の戦いの三段撃ちを思わせる連続射撃「オメガスパーク」。
クリム・スタインベルトの祖先を守るべく、戦国時代へとタイムスリップした常磐ソウゴと明光院ゲイツが出会った人物。性格はとても軽く、武田軍との戦争そっちのけで異国の少女にうつつを抜かしていた。
ゲイツを自身の影武者に仕立てて、異国の少女と共に戦から抜け出そうとするが…今までのライダー作品に出た織田信長は、上述のパーカーゴーストだったり、遺体を利用したホムンクルスだったり、伊達明にそっくりな異世界の人物だったりしたが、歴とした本人が出るのはこの作品が初だったりする。
メディアミックス
CV:田村ゆかり(パチンコ版) / 豊口めぐみ(アニメ版)
赤毛ポニーテールで漆黒のビキニアーマーとマントを着る。煙管を咥えている。荒くれのお気楽な大胆不敵で、めんどくさがり屋。
詳しくは織田ノブナガを参照。
CV:宮野真守
東の星の小国オワリの跡取りで、「うつけ者」と呼ばれるが物事の本質を見極められる器の持ち主。西の星から来たレオナルド・ダ・ヴィンチとジャンヌ・カグヤ・ダルク、そして自機となった大イクサヨロイ「ザ・フール」と共に戦いの渦中に飛び込んでいく。
詳しくはオダ・ノブナガを参照。
漫画『コハエース』で初登場。通称は「魔人アーチャー」で、木瓜紋の軍帽と黒い軍服を纏った、長い黒髪の少女。
元々劇中劇『帝都聖杯奇譚』に登場するアーチャークラスのサーヴァントとして用意されたキャラクターだが、結局本編の方で散々振り回される羽目に陥り、真剣に『ちびちゅき!』への移籍を考えている。
スマートフォンゲーム『Fate/GrandOrder』ではイベント「ぐだぐだ本能寺」より参戦。以降も期間限定イベントでは「ぐだぐだシリーズ」を中心にちょくちょく出てくる。
また、2017年には水着ver、2019年には「織田信長」という概念の塊である魔王信長とバリエーションチェンジも登場している。
さらに、『帝都聖杯奇譚』のリメイク版である漫画『Fate/typeRedline』でも登場。
半ばギャグキャラが定着していた他とは全く異なり、冷徹な魔王としての本性が見られる。
この他、『オール信長総進撃_ぐだぐだファイナル本能寺2019』では本物信長なるキャラも登場。どこがどう本物なのかは該当記事を参照。
関連イラスト
関連人物
親族
父母 | 織田信秀(父)、土田御前(母) |
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兄 | 織田信広 |
弟 | 織田信行/信勝、織田信包、織田長益/有楽斎 |
妹 | お市の方、お犬の方 |
正室 | 濃姫/帰蝶 |
側室 | 生駒吉乃、お鍋の方 |
子供(男) | 織田信忠、織田信雄、織田信孝、織田秀勝 |
子供(女) | 徳姫、冬姫、秀子、永姫 |
子孫 | 織田信成 |
家臣
織田四天王/織田五大将 | 柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉 |
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著名な家臣 | 平手政秀、佐久間信盛、前田利家、九鬼嘉隆、佐々成政、河尻秀隆、森可成、森長可、森蘭丸、林通勝、池田恒興、荒木村重、弥助 |
関係者
武将 | 松平元康/徳川家康、浅井長政、姉小路頼綱、沢彦宗恩、千利休、今井宗久、足利義昭、松永久秀、武田信玄 |
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天皇 | 正親町天皇 |
関連タグ
総合 | 日本史、戦国時代、戦国武将、戦国大名 |
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創作 | 創作戦国、萌戦国武将 |
作品 | 信長の野望、戦国無双、戦国BASARA、戦国大戦、歴史大戦ゲッテンカ、殿といっしょ、へうげもの、戦国ランス、戦極姫、戦国乙女、戦国コレクション、コハエース、大河ドラマ |
二つ名 | 第六天魔王 |
出来事 | 本能寺の変 |
組 | 三英傑、織田夫婦 |