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『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』

概要編集

生没1534年~1582年
出身尾張国(現在の愛知県西部)
幼名吉法師

「うつけ」「第六天魔王」などの渾名でも知られる尾張国出身の大名。豊臣秀吉徳川家康と合わせ、天下(日本)を統一へと導いた「三英傑」の筆頭として数えられる。戦国時代を語る上では必ずといっても良い程名前があげられる超有名人であり、創作作品においても頻繁に題材にされている。


家紋は「五木瓜(織田木瓜)」、旗印は「揚羽蝶」「永楽通宝」、印章として「天下布武」など。


生涯編集

誕生 - 家督相続編集

天文3年(1534年)5月12日、尾張国戦国大名・織田信秀の次男(三男とも)として誕生。

幼名は吉法師(きっぽうし)。母が正室である土田御前であったことから、庶兄・信広を差し置いて嫡子として育てられた。誕生した場所は那古野城(現在の名古屋城の一部)と言われるが、那古野城(なごやじょう)を那古野今川家から信秀が手に入れた時期が信長誕生より遅いとの説があり、その場合は勝幡城(しょばたじょう)で生まれたと考えられる。


室町時代、尾張国の8郡のうち、海東・知多を除く6郡(後に海東郡を含む7郡)は、足利家分家である斯波家が守護であり、越前国(現在の福井県の大半)織田を発祥とする織田一族が守護代として赴任していた。信長の父・信秀は下4郡(愛知郡を中心とする南部であるが、実際に4つという訳ではない)の守護代を務める織田大和守家(清須織田家)の分家兼家老・織田弾正忠家当主である。ちなみに、信長は平重盛の次男・資盛の末裔を称し本姓に「」を用いたが今日では仮冒説が強い。


幼少期から奇抜な言動・挙動が多く、周囲からは「尾張の大うつけ」と呼ばれた。また、身分にこだわりを持たず、同じ年代の若者と戯れることもあったという。


古渡城で元服し、上総介(かずさのすけ)と称するが、これは朝廷の命を経ない僭称である。後に名乗った「弾正忠(だんじょうちゅう)」は正式な任官を受けている。最終任官は右大臣で、亡くなった時点では官職を持っていなかったが「前右府」と名乗っていた。


敵対していた美濃国(現在の岐阜県南部)の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、道三の娘・帰蝶濃姫)と政略結婚した。


天文20年(1551年)、父・信秀が急死すると信長が家督を継ぐが、弘治2年(1556年)、義父・斎藤道三が嫡男・斎藤高政(義龍)との戦いで戦死すると、翌弘治3年(1557年)、謀反を起こした同母弟・織田信勝との家督争いに勝利して家中を掌握した。

その後、宗家の大和守家、上四郡の守護代である伊勢守家(岩倉織田家)などの尾張国内の敵対勢力を次々と破って行き、永禄2年(1559年)までには尾張国をほぼ平定した。


桶狭間の戦い - 上洛編集

永禄3年(1560年)5月、駿河の今川義元の大軍の侵攻を受けるが、田楽狭間で劣勢にもかかわらず奇襲を仕掛け、逆に義元を討取る。かの有名な「桶狭間の戦い」である。

永禄5年(1564年)、今川氏真から独立(三州錯乱)した三河の松平元康と「清洲同盟」を結ぶ。


永禄7年(1564年)、近江の浅井長政に妹・お市を輿入れし、同盟を結ぶ。

1564年には、滝川一益を伊勢方面に進出させ、同時に美濃国に侵攻を開始。

永禄8年(1565年)、美濃国国人衆・佐藤忠能加治田衆を味方に付け、義弟・斎藤利治を中心に各合戦に勝利し、永禄10年(1567年)には美濃を攻略し、龍興(義龍の子)を追放して斎藤氏を滅ぼし、この地を岐阜と命名した。

この頃から「天下布武」の朱印を用いる様になり、本格的に天下統一を目指す様になった。


永禄11年(1568年)、畿内を制圧していた三好3人衆が擁立していた室町幕府・14代将軍・義栄に対抗して、3人衆に暗殺された13代将軍義輝の弟・義昭を擁して上洛、義栄らを京から追い、義昭を将軍職に就けた。近畿地方も攻略していった。


しかし、信長と義昭の間に徐々に政治対立が浮上し、義昭は信長に敵対する甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信、中国の毛利輝元、越前の朝倉義景などに書状を送り信長包囲網を形成。これに対し信長は朝倉討伐を企図するが同盟者である浅井長政の離反を招き、姉川の戦い(元亀元年(1570年))で朝倉・浅井連合軍との決戦に及び、その後近江小谷城・長政、越前一乗谷城・義景を相次いで滅ぼした。信玄死後、長篠の戦い(天正3年(1575年))で鉄砲隊を本格的に使用して勝頼を破る。


元亀2年(1571年)には、敵対勢力と協力関係にあった比叡山延暦寺を焼き討ち(72年振り3度目)にして自らを「第六天魔王」と称している。また、最大の抵抗勢力であった大坂本願寺顕如とは天正8年(1580年)に和睦するまで長く抗争を続けた(石山戦争)。本願寺と連動した伊勢長島・加賀の一向一揆、さらに謀反した荒木村重、紀伊雑賀衆など各地に存在する反信長勢力との戦いに明け暮れる。そして、元亀4年(1573年)、遂に信長は義昭を京都から追放、室町幕府を終焉させた。しかし、その後も毛利家を頼った義昭との抗争は続いていく。


織田政権 - 最期編集

天正7年(1577年)、琵琶湖湖畔に安土城を完成させ、城下に楽市楽座を展開。残る越後上杉景勝には柴田勝家、中国の毛利輝元には羽柴秀吉四国長宗我部元親には3男・信孝丹羽長秀などが方面軍として派遣され、滅亡に追い込みつつあった。東国の北条氏政、東北の伊達輝宗蘆名盛隆、九州の大友宗麟島津義久龍造寺隆信らと関係を密にして、事実上従属させた。天正10年(1582年)3月には嫡男織田信忠・滝川一益・森長可らが甲斐の武田勝頼を滅ぼし、天下統一は目前に迫っていた。


しかし、同年6月2日早朝、重臣・明智光秀の謀反に遭い、逗留していた京の本能寺で自害した(本能寺の変)。史料では本能寺の奥の部屋で人払いしたところで記述が締められており、これが信長生存説の一因にもなっている。同時に二条城で嫡男・信忠や京都所司代・村井貞勝も討たれた。享年49


信長の死後残された遺児達は、羽柴秀吉・徳川家康といった群雄の勢力争いの中で互いに対立し、また家臣団の多くも独立、秀吉配下へと吸収され織田政権は信長一代限りで終止符を打たれることとなる。


人物編集

家族編集

なお、信長は嫡男であるが長男ではない。影は薄いが信広という異母兄がおり、こちらとも地味な家督争いをしている。信広は安祥城で今川の軍師・太原雪斎に敗れ捕虜となり、松平竹千代と交換された話ばかり有名であるが、弟に従ってからは武将として働き、長島一向一揆を騙し討ちして逆襲された際に、織田一族10人以上と共に戦死している。一揆の残りの構成員を信長が虐殺したのは、兄の死が原因である可能性が高いとされる。


子供は上の男子3人(信忠・信雄・信孝)が有名であるが、他の息子や娘と合わせて21人、それに養女や猶子(養子の一種であるが子というより被後見人に近い)、実在するか怪しい庶子を含めると26人兄妹とかなり子沢山である(前述の子孫は信長の7男・信高の末裔とされている)。子供に対して髪の生え際が茶筅に似てるから「茶筅」(後の信雄)、母の名前が「お鍋の方」だから「酌」など割とはっちゃけた名前もつけているため、たまにネタにされたりもする(もっとも、子供に妙な名前を付けるのは当時では彼に限った事ではなかったのだが)。


信長の正室で有名な濃姫との間に子は生まれず、嫁入り後の濃姫の動向はあまりわかっていない。上記の信忠や信雄は側室・吉乃生駒吉乃)の子といわれ、信忠は濃姫の養子になったとも言われている。


なお、信長の遺体は遂に見付からなかったのが定説となっているが、厳密には本能寺の変における大火による焼死体が多かったため、どれが彼の遺体なのか遂には分からなくなったというのが真相である様子。このことからも生存説が生まれたともいえる。


外見編集

織田家は美男美女家系であり、信長も若い頃は美男子であったという。信長公記によると青年時代の信長は茶筅(ポニーテイル)の様に髪を束ねていた様で、女性に見紛う容姿であったとされる。実際、祭りで女装して踊ったことがあるらしい。


身長はヨーロッパ宣教師に「中ぐらいの背丈」といわれる程度の高さで、この時代においてはかなり大柄だったらしく、約170cm前後ではないかと推測されている。(秀吉は「背が低い」といわれている)。また髭は少なく華奢な体躯で、声は「甚だ快調」=甲高い声をしていたという。


人柄編集

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」という落首が創作されていることから一般には残忍且つ苛烈な性格のイメージが強い。古来の価値観に縛られない合理主義と先見性、広い視野、決断力に秀でる一方、敵対者に対しては容赦ない所業が多く、その鮮烈な生き様によるカリスマ性は人々を魅了すると共に独裁者としての傲慢さを垣間見ることも出来る。


少年時代の信長は奇天烈な性格故に周囲に理解されず、「尾張のうつけ者」と揶揄され、領民や家臣は勿論実母からも疎まれていた。父・信秀の葬儀で位牌に向けて抹香を投げつけて家臣を唖然とさせた逸話は有名。


ルイス・フロイスの記録によれば睡眠時間は短いため早起きで、酒は好まず食事を節制していた。また潔癖症で身の回りは愚か市井の隅々まで掃き清められていなければ気が済まず、城下に布告を出すことが度々であったという。身分にかかわらず相手を「わごれ」と呼び捨て、また迷信や伝統への拘泥を嫌う一方で、地球が丸いということや時計の原理なども理屈さえあれば理解した。宣教師から黒人奴隷弥助)を献上された時には、体を洗っても色が落ちないことから初めてその存在を納得するなど、合理的精神の持主だった。


また女性を大切にし家臣に対しては夫婦円満を奨励して、浮気を繰り返した者を家臣団から追放したり、上洛した際に婦女と淫行した者を即刻処罰したり、本能寺の変の際も女衆を先に逃がしている。正室・生駒吉乃には家柄から考えれば破格の厚遇を与えた他、秀吉の妻であるねねからの夫婦の悩みについて相談を受けて丁重に返事の手紙を書くなど細やかな心配りを見せている。


もっとも、生涯側室を取らなかった明智光秀黒田官兵衛、戦場から毎日愛妻に文を送り続けた島津義弘などの武将と比べ、多くの側室を抱えた信長が特に女性に対し丁重であった訳ではない。


お気に入りの茶人を殺してしまったことから浪人に追込んだ前田利家をその後の働きから許したり、家督相続後には敵対していたが柴田勝家を後に重臣として重用し、織田家に損害を与えた斎藤龍興は追放に留めるなど寛容な面もある。

また対立した足利義昭は政治的なマイナス面(将軍暗殺の汚名)を考慮し、敢えて京からの放逐のみで済ませるなど深慮を働かせることも出来た。


しかし、強大な実力を持った晩年の信長について、フロイスは「この不幸にして哀れな人物は、やがて途方もない狂気と盲目に陥り」とも評し、「悪魔的な傲慢さ」を抱く様になったという。


逸話ではあるが、安土城を信長が留守にした際、城の侍女達が無断で花見の宴を行ったことがあり、予想外に早く帰還した信長が激怒して侍女達を死罪に処してしまったという。

作家・池波正太郎は、「普通なら何というむごい殿さまだというであろう。しかし信長の真意は、『いつ襲われてもおかしくない戦国時代を生き抜くためには、女性に城や国をしっかり守ってもらわないといけない』というところにあり、女性も男同様の責任を取らせるべき、という理由からである。逆説的にいえば、それだけ女性を重視していた、少なくとも男同様買っていたということ」と著書「男の作法」の中で解説している。


しかし、屋敷に侍女達が戻って来る毎にこれを待ち構えて撫で斬りにし、噂を聞いて寺に逃げ込んだ侍女とその引渡しを拒んだ住職までも寺ごと焼き殺すなど、単に責任意識を植え付けることが目的としては異常な程執拗、偏執的な面も存在する。この様に信長はしばしば度を過ぎた行動で人々を恐怖させることがあり、晩年にはその制御も効かなくなっていた様である。


この様な性格が災いして光秀他多くの者の離反を招き、いわば自滅の呈で自らの天下に終止符を打つこととなったともいわれる。

一方で秀吉が覇権を握った際、脇坂安治に送った「わしは信長の様に甘くない。(追放した者達を匿うな、という)わしの指示を守らずとも許されると思うなら大間違いだ」という内容の手紙が残っており、当時の人々の価値観では信長が特に苛烈で厳しい人物でなかった可能性もある。


精神医学的観点からの信長の人格について編集

信長の目的への強い集中力、困難な状況に対する粘り強さや自己の完全性への追求はクレッチマーの3気質における筋骨型に類似する。このタイプは粘着型とも呼ばれ、歯止めの効かない行き過ぎた正義感や執拗な人格にも繋がると言われる。


一方フロイスの記述には信長が現れると家臣達は皆物音1つ立てない様にしたという記述がある。また当時の常識を超える信長のトリッキーな行動、家臣や支配下の武将の心を掴み切れずしばしば離反を招いたという事実から、現代の評価では一種の発達障害であったのではないかという説が存在する。


英雄、偉人の中には発達障害と見なされる人物もおり、必ずしもマイナス要素とはいえない。2020年に公開された大河ドラマ麒麟がくる』に登場する信長は周囲の感情や情緒を理解出来ず、孤立して行く様が描かれている。ただし、脚本家やNHKの公式なコメントでは特に信長を発達障害と見なす発言はない。


ただし、これらはあくまでも限られた文献を元とした推測であるに過ぎず、実際の所は最早誰にも分からないということも頭に入れておこう。


趣向編集

下戸では余り飲まず、貴族好みの味の薄い京料理は嫌いであったと伝わる。ただ京料理の名人に京風の料理を作らせたが口に合わず、それではと田舎風に味つけされた料理を褒め称えたことで、その料理人に馬鹿にされたという逸話が残されているが、後世の創作である可能性がある。甘党であったとも伝わりフィクションでは良く強調されるが、確証はない(ただし、「信長公記」などの資料には甘い物に纏わる記録が多いため可能性がない訳ではない。甘味、特に砂糖は当時、最高の贅沢品の1つであり、権力の裏付けの意味でも賓客などに振る舞われたようである)。


茶道囲碁鷹狩り刀剣の収集、駿馬などを好み、茶道具を町人から取り上げたり、家臣に恩賞として与えたりもしていた。これは領地には限りがあるが茶器ならば入手は容易である事、政治的な活動として茶会が重視される様になったことが大きい。家臣も茶会を開くことを許され、茶道具を与えられることに城や領地と同等の価値があると見なす様になった。


幸若舞の『敦盛』の「人間五十年、下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也。一度生を稟け、滅せぬ物の有る可き乎」の部分を舞ったことが有名。囲碁・将棋では本因坊算砂を始めとする名手を保護し、算砂を「名人」と讃えたとも。相撲を好み、良く相撲大会を開いて楽しみ、お抱えの相撲取りもおり、相撲での好成績をキッカケに家臣に取立てられた者もいる、また特に若い時は自らも相撲をしたりした。これら以外にも小鼓蹴鞠も嗜んだという。小鼓の腕は名手といわれ、蹴鞠では飛鳥井雅教の門弟となっている。


南蛮ヨーロッパ)文化に強い関心を抱き、火縄銃を大量導入し、洋服を好んで着用し、地球儀を見て日本の小ささに衝撃を受けると共に、時計を理解し、アフリカ人の小姓・弥助を置いた。甲冑も南蛮胴(スペインの一般兵の胴当てを日本風に改造した鎧)を愛用しており、戦国BASARAのデザインの服装は史実に近いものである。

信長と言えば南蛮文化というイメージは現在でもかなり根強く、大半の創作物において信長は南蛮胴を身に付け、私生活でも洋服を着こなすハイカラな男として描かれることが多い(もっとも、近年の作品では大河ドラマ『麒麟がくる』等、一部例外もあったりするが)。


駄洒落が好きであったらしく、桶狭間の戦い直前に加藤順盛という家臣の名字をかけて「戦に勝とう(加藤)!」といったという逸話や馬上でうたた寝をしていた際、目を覚ましてここは何処かと尋ね、「東福寺」と聞くと「あの白壁かや」(白壁は豆腐の異名で、東福寺=豆腐喰う寺という意味)といった逸話などが残されている。


武将としての能力編集

軍事と政略編集

軍事面では鉄砲火縄銃)の威力に注目し、発射準備に時間が掛かる欠点を3班制導入(通称「3段撃ち」)により克服、無敵を誇った武田騎馬隊を撃破する(長篠の戦いなどの目覚ましい成果を上げ、日本の戦術に革命をもたらした。……と、いわれて来たが鉄砲を大量採用していたのは今川氏や武田氏なども同様であり、信長も雑賀攻めでは相手の鉄砲隊により大敗している。


3段撃ちに関しては、幕末の会津戦争で当時の黒色火薬では熱膨張により部品の嵌合が悪くなると暴発の危険が高まり鉄砲の連続使用は困難という証言があり、また欧米や他地域においてこの様な戦法が採用された事績が見当たらないことから、近年では一律に交代して撃つのではなく、空いた場所に待機していた兵が入って撃っていたという説が有力となりつつある。


また、歴史研究家・鈴木眞哉氏は近世ヨーロッパの歴史と関連させ、騎士階級と平民の格差を縮めた鉄砲がハンザ同盟などの自由都市の隆盛を招いた様に、鉄砲により本願寺や雑賀党などの武装集団が各地に出現した結果、信長による天下統一のタイムスケジュールは大幅に遅延する結果となったと指摘している。もう1つの織田家装備である鉄甲船については大砲を積んだということ以外は分かっておらず、明確に鉄板貼りの船が登場するのは羽柴秀吉による朝鮮出兵の時期である。


信長や義父・道三発案とされて来た「楽市楽座」は六角定頼が先行しており、領内統治に関しては後北条氏の方が遥かに先進的であったなど、信長の革新性を見直し、将軍や天皇の権威を調停に用いるなど中世的なしきたりの中で己が力を発揮した武将という評価が主流化して来ている。


信長の本領は政戦両略により戦乱の世を絶妙なバランスで勝ち上がったことにこそある。武田氏に美濃国東部を奪われながら長い間低姿勢であったり、本願寺と長期間に渡り戦いながら各地の末寺には中立が保証出来れば手を出さないなど、華麗で豪快なイメージと裏腹に寧ろ堅実な政策を地道に実行出来る人物であった。


敵対する者ならば例え力がない相手にも容赦なく、門徒の軍事力が侮れない本願寺には慎重に対処して最終的に和睦しているのに、近所の雑賀一揆や根来寺と比べても微力な高野山が自分の意に反抗するという理由で、領内の高野聖を虐殺している。


一方で、江戸時代に一般化して行く預治思想(天道委任論)の先駆けとして、家老衆の土着性を否定し、国替を行うなど、天下人時代幕開けとして再評価している研究者もいる(それが本能寺の変の遠因にもなるが……)。今後の動向が見ものであう。


人事編集

人事に関しては徹底した能力主義・実力主義で部下を競わせ実績を上げさせていた。百姓から天下人にまで登り詰めた豊臣秀吉などはその代表例である。「織田四天王」と呼ばれた柴田勝家丹羽長秀滝川一益・明智光秀等の軍団長や、河尻秀隆前田利家佐々成政森長可などの尾張・美濃出身の武将を重要視する。


義父・斎藤道三の末子で濃姫の弟・利治に美濃斎藤家跡取りとして、要所の加治田城を継がせ、嫡男・信忠の側近とするなど次期織田家の支配体制を固めて行った。一方では業績の低い佐久間信盛林秀貞などの譜代家臣を平気で切り捨てた。天王寺で戦死した原田直政が対本能寺戦線を崩壊させかかったことに激怒し家禄没収の末、一族を追放している。歴代の家臣の忠誠心を考えるとこれらは大きなマイナス要因となった(流石に佐久間の処遇は行き過ぎであり、信長も後に息子には帰参を許している)。


信長死後、織田政権が短期間で解体されてしまったのはこの極端な実力主義にも一因がある。織田一門を重用し、柴田勝家や佐久間などの譜代武将が織田家中枢におり、明智や秀吉がその配下に留まっていれば歴史はかなり異なったと思われる。


とはいえ意外と家臣を大事にする面もあり、秀吉の妻・ねねに「秀吉にはお前さんは過ぎた嫁だ。だから、あいつの女関係に関してはちょっと言っておく。今後もなんかあったら俺に言ってくれ(意訳)」という手紙が現存している。一説には、この時に秀勝を秀吉、ねねの養子に送ることを考えたと言う。


信長に背いた武将編集

信長程家臣に背かれ、同盟者離反を招いた武将は類を見ないもの事実である。織田家統一以後の人物だけでも、浅井長政松永久秀荒木村重高山右近※・中川清秀※・別所長治波多野秀治長曾我部元親、そして極めつけは明智光秀である。

※後に降伏


一応、浅井長政に何度も降伏勧告を出したり、松永久秀の3度に渡る裏切りを許してはいる。しかし、長政は報復を恐れ降伏に応じることはなく、また松永との和睦も決して円満なものとはおえなかった。もっとも、離反した側にも一切の非がないとはいえない。


そして1度帰参した人物であっても林通勝の様に過去の敵対を理由に追放したり、重臣でありながら働きが少なかった佐久間信盛を親子共々追放するなど(普通は当主を引退させ息子にある程度の領地は残すものである。実際、信長本人もやり過ぎたと思ったのか、上述の様に信盛死後に息子・信栄を赦した)その行動には執拗、予測不能な面があり、家臣、また同盟者は相当な覚悟を強いられる事となった。


徳川家康は信長から自身の嫡男・信康の切腹を命じられ、逆らえない力関係からやむなくそれに応じたが、晩年信康の死を嘆く発言もしている(近年では織田派の家康と武田派の信康の対立があったという見方も出て来て

いる)。もっとも、織田家とは祖父・清康の代から因縁ある間柄でもあり、決して信頼のみによって築かれた同盟関係ではなかったようである。




天下布武編集

信長が美濃攻略を完了した頃から掲げた印。「武力を以て天下を取る」という「天下統一」の意思を示すものであるとの解釈が多かったが、実はこの「天下」は日本全国ではなく、室町幕府将軍と政治、そして京都周辺畿内5ヶ国を意味するものであった。信長の上洛目的も足利義昭将軍擁立のためで、幕府と将軍から権力を委任された立場でその天下を平定する、という意味で掲げた。


しかし、信長と将軍・義昭との関係が悪化・対立し、遂には幕府を滅亡にまで追込んだことでその意味が変化し、自ら「天下人」として幕府が支配した天下の平和と秩序維持を目的に戦いを続け、次第に全国規模の天下の統治へと変化したとされる。


宗教勢力との対立編集

延暦寺焼き討ちや高野聖虐殺という所業から神仏に対して嫌悪感を抱いている様な印象を持たれがちであるが、実際は信仰心が篤く、特に熱田神宮を始め織田家と関わりが深い神社に援助したり、法華経も信仰していたと見られる。あくまでも信長が嫌っていたのは、宗教団体が政治に関与するということで、特に寺社が政治力を付けることを毛嫌いした。


当時の時代において、主に寺院は政治にも関わりが深く、大名家と同等かそれ以上の強い権力を持っており、聖域を盗賊などから守るための戦力として僧兵が数多く存在し、軍事力をも有していた。それ故に寺院内腐敗や、僧兵による暴行なども相次ぎ、仏法における教義の解釈を巡って宗派間で争われることもあった。


延暦寺は、当時最も強い権力を持っていた寺院の1つであり、上述した理由から腐敗も酷く、かつて後継者を巡った論争から分離した天台寺門宗園城寺三井寺)に圧力を掛けていた。信長はこれを見兼ねて園城寺に協力を求め、応じた園城寺に陣を張らせて貰い延暦寺に横暴を止めるよう勧告を出し、これに延暦寺が応じなかったために攻め入ったのである。


織田一族は日蓮宗信徒が多いが(本能寺も日蓮宗の寺院)、日蓮宗の僧が他の宗派を攻撃する行為が目に余ったため浄土宗と論争させ、他宗を批判しないことを認めさせた(安土問答)。


比叡山や本願寺といった宗教勢力を弾圧した信長は、仏敵を意味する「天魔」と評され、自ら「第六天魔王」と称したこともある。信長の残虐なイメージはここから来ているが、平安の時代から既得権を振りかざした寺社勢力との対決は中世的な権力構造から脱するためにはやむを得ないという見方も出来る。


創作物ではこのことで光秀との対立が生じたと書かれることが多いが、近年見付かった書簡では寺社勢力との対決を積極的に進言していたのは光秀の方であり、寧ろ光秀の方が信長以上に過激な改革主義者であったとの解釈もある。


実はこれらについて、以下の様な説がある。

信長は延暦寺や本願寺という仏教勢力大御所から腐敗因子を刈り取ってその横暴を止めたが、それ故に全国の仏教勢力から反感を買い「第六天魔王」と称され恨まれたため、彼らが各地で反乱を起こすのを防ぐために敢えて自らそう名乗ることで恨みを自身に集中させた

その上で自分が誰かに討たれ、彼らに「仏罰」と思わせることで大人しくさせられると考え、自分を討つ相手として選んだのが最も信頼を置ける重臣であった光秀であり、その光秀を裏切り者として討取り、自身の意志を継ぐ者として秀吉を選んだのではないかとする説がある。

もし3人でそうした打合わせが成されていたのであれば、秀吉が中国大返しによりあり得ない速さで駆け付けられたことや、信長・光秀に生存説があることにも辻褄が合い納得が行く。無論、何ら根拠はないが…。


キリスト教は実利面から保護したが、その後キリスト教勢力が力を付けて来た場合どうなったかは全く分からない。実際、信長の死後天下統一を果たした秀吉や徳川幕府も当初はキリスト教布教を黙認していたが、キリスト教勢力が一定規模となると脅威と見做して弾圧する方針に転換している。


信長はこの様に宗教による政治への干渉を嫌った反面、晩年は安土城内に置いた石を自分の身代わりとして拝ませていたともいわれており、自己神聖化肥大によって単純に宗教権力からの解放者とは言い難い面も存在する。尚、上述の石を拝ませたという自己神聖化が仮に事実であったとしても、天下人の神聖化は秀吉や家康の政権も行っている事であり、信長が特異であった訳でもない。


伝説における信長編集

信長となった鬼編集

市原麟一郎『土佐の妖怪』にある高知県の昔話によれば、信長は鬼の生まれ変わりであるという。

ある山寺に1人の和尚が住んでおり、その後ろにある奥山に1人の鬼が住んでいた。

大金持ちであった鬼は、寺修理などで大金が必要となったので借金させて欲しいと和尚に頼み込まれた。

鬼は快く金を貸すこととし、和尚は「10年後に返す」という証文を書いた。

10年後、鬼は金を返して貰うために寺に向かったが、和尚の証文には「1000年後に返す」と書いてあった。

なので、和尚からは「そりゃ約束が違うじゃないかよ。まだ早いぜよ、この証文にゃほら1000年後に返すと書いてあるろうがよ」といわれ、最終的に貸した金は返して貰えず、鬼はガッカリしてとぼとぼ山へ帰るしかなかった。

実は、鬼から借りた金を返金出来そうになくて困った和尚が、証文の「十年後に返す」の十の字の上に「ノ」を書き加えることで「千年後に返す」に書き換えていたのだ。

そして、和尚に騙されたような気がした鬼は、和尚より偉い人間に生まれ変わって仇討ちしようと考えながら亡くなった。

だが、それを知った和尚も仕返しされない様な人間に生まれ変わるために自ら命を絶っていた。

数百年後、鬼は信長という人間に生まれ変わり、和尚は光秀に生まれ変わった。

なので、信長は光秀を家来として「こりゃ、キンカン頭、何をボヤボヤしよる」と苛め、光秀は本能寺で謀反を起こし信長を襲撃したという。


大蘇鉄編集

ある時、大阪府妙国寺の大蘇鉄が信長によって安土城に移植された。

すると、夜に大蘇鉄が「妙国寺に帰りたい」と呻き声を上げる様になった。

信長の指示で臣下が大蘇鉄を斬りつけると、大蘇鉄は鮮血を噴き出し、相変わらず「妙国寺に帰りたい」と言い続けていた。

怖気付いた信長は急いで大蘇鉄を妙国寺に返還したという。その大蘇鉄は今現在も妙国寺に植えられている。


大蛇編集

『信長公記』にある話。

佐々成政の居城・比良城近くの池に大蛇が現れた。

それを聞いた信長は大蛇を捕らえるため池の水を全て掻き出すように命じた。

すると、途中から池の水が減らなくなるという怪奇現象が発生した。

なので脇差を口に咥えた信長が池の中に潜って大蛇を探したが、それでも大蛇は見付からなかった。


創作物における信長編集

歴史小説の他、漫画・アニメ・ゲームなどの幅広いサブカルチャー作品においても、主人公または主要人物に何かしらの影響を与えた人物としてその名が取上げられる機会が多い。


部下から「悪郎(わろ)」と呼ばれ親しまれ、その冷徹さやカリスマ性から有能な指導者として語られる一方、「第六天魔王」という異名を名乗ったことや、冷酷・残酷な独裁者といったイメージから主人公が反発する主君・悪役として描かれることもあり、ゲームではラスボス的立ち位置にいることが多い。


信長を主人公とした『信長の野望』では政治力、戦闘力が高い水準でバランスが取れており、公式チートと呼べる武将である。史料として遺る肖像画では頭頂部を剃髪した月代であるが、前述の『野望』シリーズを始め多くの作品で総髪(頭頂部にも髪の毛がある)、加えて茶筅髷で描かれることが多い。


また、架空戦記パラレルワールド物などでは、しばしば「もし信長が本能寺で死なずに天下統一を実現していたら」というモチーフが用いられることがある。(『時空の旅人』、『ストライクウィッチーズ』など)


そして2019年――

余りの信長をモデルとしたキャラクターの多さから、とうとう信長名鑑(著:姫川劉禅/挿絵:みやま零/出版:太田出版)なる、信長による信長だらけの信長図鑑が登場した。その紹介数、本著だけでも585作品・703名と、凄まじい数な上に2人以上の信長が出ている作品が結構ある事が分かる。


どんだけ信長公好きなんだよ、日本人


織田信長(創作)編集

個別記事有り編集

  1. ゲーム『戦国無双シリーズ』のキャラクター。→織田信長(戦国無双)
  2. ゲーム『戦国BASARAシリーズ』のキャラクター。→織田信長(戦国BASARA)
  3. ゲーム『戦国†恋姫』のキャラクター。「久遠(戦国†恋姫)」を参照。
  4. ゲーム『にゃんこ大戦争』のキャラクター。→織田信長(にゃんこ大戦争)
  5. ゲーム『戦国 A LIVE』のキャラクター。→織田信長(戦国ALIVE)
  6. 漫画『信長の忍び』のキャラクター。→織田信長(信長の忍び)
  7. メディアミックス『戦国乙女』のキャラクター。→織田ノブナガ
  8. メディアミックス『ノブナガ・ザ・フール』のキャラクター。→オダ・ノブナガ

IFの信長編集

もし信長が本能寺で死ななかったら」の場合、光秀を倒して毛利攻めを済ませ、四国九州も攻略し、東日本北陸関東東北)も制覇し、天下統一を完遂。新しい支配体制を作り、ついに朝鮮半島へ攻め入り、北京にまで侵攻。東南アジア方面にも進出し、スペインイギリスといずれ対決するだろう。


一方、同盟相手の家康らと対立し戦国時代を長引かせただけ(史実の関ヶ原の戦い大坂の陣を陣営を変えて行うだけ)という意見もある。

他にも大陸よりも南方(フィリピン、インドネシアなど)に手を出したのではという説も存在する。


また、リアリストとして軍事ではなく貿易をもって国づくりを進めたという意見もあり、その場合、幕末の混乱も最小限に抑えられたとの主張もある。一方アジア進出により秀吉以上に破滅的な事態を招いたのではないかという意見もある。


大河ドラマ編集

その人気故、大河ドラマでも多くの出演を果たしている。

タイトル放送年信長の演者備考
太閤記1965年高橋幸治大河ドラマに信長が初登場
天と地と1969年杉良太郎前述の高橋幸治が武田信玄役で登場
国盗り物語1973年高橋英樹
黄金の日日1978年高橋幸治前述の『太閤記』と同じ演者
おんな太閤記1981年藤岡弘後述の『春日局』でも信長を演じる
徳川家康1983年役所広司前述の『おんな太閤記』で三男・信孝を演じていた
武田信玄1988年石橋凌後述の『麒麟が来る』では信玄を演じた
春日局1989年藤岡弘前述の『おんな太閤記』と同じ演者
信長_KING_OF_ZIPANGU1992年緒形直人信長が初の大河ドラマ主役
秀吉1997年渡哲也
利家とまつ~加賀百万石物語~2003年反町隆史演者はヒロインの夫
功名が辻2007年舘ひろし衣装は翌年の信長に流用
風林火山2008年佐久間二郎演者は能楽師で敦盛を舞うイメージのみのゲスト出演
天地人2009年吉川晃司
江〜姫たちの戦国〜2011年豊川悦司森坊丸の演者は『麒麟がくる』で信長を演じる
軍師官兵衛2014年江口洋介主演の岡田准一は『どうする家康』で信長を演じる
真田丸2016年吉田鋼太郎本能寺の変がナレーション済まされた
おんな城主 直虎2017年市川海老蔵海老蔵は團十郎襲名後に民放でも信長を演じる
麒麟がくる2020年染谷将太後述する非常にトリッキーかつ現代的な解釈の信長が登場
どうする家康2023年岡田准一前述の藤岡弘、が父の信秀を演じた
豊臣兄弟!2026年

映画やドラマも含めると多すぎてきりがない。中でも『麒麟がくる』では第7回の終盤で初登場。だが第6回からクレジットされているのだが、その役柄が雰囲気:織田信長という、大河でも史上初となる雰囲気出演である。

意味が分からないと言う方は、第6回を見てみよう。


また、『どうする家康』では、第1話のクライマックスで早速登場するや、竹千代(後の家康)のことを「俺の白兎」と呼び、視聴者に強烈なインパクトを残すことになった。その後は威圧的ながらも、何だかんだで弟分である家康のことを気にかける様子を見せている。


小説・ライトノベル編集

史実だけでなく歴史ifやラノベとして信長を取り上げている小説は多い。


  • 異戦国志
    • 仲路さとるによる歴史if小説。信長・、秀吉、家康と三英傑による3つ巴の戦いを繰り広げる歴史が描かれる。戦乱は地方にも拡大し、伊達・北条・島津・長曾我部等が生き残りをかけ各地で離合集散を繰り返すバトルロイヤルである。信長は家康を従え秀吉を追い詰めるが・・そして意外な人物が天下を統一することとなる。

  • 逆転・信長軍記→覇王信長伝→信長征海伝→信長新記→信長伝
    • 佐藤大輔による歴史IF小説。本能寺の変から脱出した信長が、勝家や家康による反逆を下し、さらに西欧諸国による日本征服を退け、現代まで続く「日本皇国」を築き上げる…ものと思われたが、第3巻が出た時点で未完となり作者死亡により絶筆となった。なお、タイトルは改訂版が出版される度に変更されて行った。

  • 首の信長
    • 信長は歴史上類い稀なる「強運」によって天下を獲った人物である。しかし、歴史管理官が宇宙の歴史を記録した「アカシックレコード」を傷付けてしまった(フリスビーにして遊んでいた)ため、信長の強運は失われ管理官2人が歴史維持のため奔走することとなる。
    • 今川の陣に突入して何度も討ち死にする信長を気象兵器による局所的暴風雨で支援し、長篠で武田に蹂躙されまくる織田軍のためにマシンガンを支給する。
    • 果ては本能寺に押し寄せて来る光秀・勝家・家康・秀吉・蘭丸・諸国の大名を次々と返討ちにするが、信長の首が放つ甘美な誘惑は管理官2人の心を蝕んで行き、そして……『玩具修理者』で知られる小説家・小林泰三による怪作である。

  • 首(北野武)
    • 予告編で「イッちゃってる天下人」の二つ名で呼ばれる通り、光秀など家臣への暴力を伴うパワハラを容赦なく行ったり、森蘭丸と昼間からおっ始めるなど、奇行の多い暴君として描かれている。
    • 織田家から願って反乱を起こし、行方不明となった荒木村重に激しい憎悪を募らせ、一族郎党を皆殺しとした後、「村重を見付けた者に俺の跡目を譲る」と宣言する。
    • しかし実際のところ、その宣言は家臣を良い様に使うための出任せに過ぎず…

織田信奈

    • 歴史モノとしては恐らく最も有名なライトノベルでアニメ化もされた作品。一部の例外①状態になっている主人公に対してあくまでも自分が正妻ポジションであることを強く主張するなど独占欲が強い一面もある。
    • 同作品の世界線では主人公の協力を得つつ、日本を平らげて世界の海へと漕ぎ出している。

  • 戦国小町苦労譚
    • 残虐な魔王ではなく、合理的な為政者として書かれている。荒っぽい所もあるが、使える者は女子でも重用する懐が広い人物。


  • 異世界はスマートフォンとともに。
    • 作中に登場する神国イーシェンには、日本の戦国武将と同姓同名(読みが同音で諱の漢字が1字違い)の人物が多い。
    • 織田領主・織田信が、本寺にて明智秀による謀反で暗殺された……と、主人公が報告を受けている。


ゲーム編集

アダルトゲーム編集

織田信長

赤毛爆乳美少女武将。想いもよらぬ発想と行動力で織田家を引っ張って行く。当主としての威厳を保とうとする一方で、自分の気持ちに素直になれない性格。


JAPANに辿り着いたランスと馬が合い織田家を任せる。シスコンで妹の香姫の事を溺愛している。穏やかでのんびりした性格をしている、病弱で栄養士さんLv.3の才能を持つ3Gの栄養調節ですら跡が長くないといわれる程病弱。物語中盤に魔人ザビエルに肉体を乗っ取られてしまう。


アドベンチャーゲーム編集

CV:松風雅也

信長様

天下人に限りなく近い、織田家の総大将。

型破りな発想で人心を惹きつけるが、そのぶん敵も数知れず。傲岸不遜なカリスマで、生に対して享楽的な思考を持つ。


カードゲーム編集

CV:大久保瑠美

センシティブな作品

天下統一を目指す小悪魔王にして、ゲームの広告塔。

詳しくは小悪魔王・織田信長を参照。


うつけ殿

キャッチコピーは「俺が乱世を打ち砕き新たな世を創る!

織田家の当主として登場。このゲームの副題は『1560 尾張の風雲児』なので主人公とも言える。周囲から『うつけ』と呼ばれながらも野望に向けて邁進する若き日の姿が描かれている。彼固有の計略『天下布武』は範囲内にいる織田家の味方を全て強化する強力な物。バージョンアップ版である『1570 魔王上洛す』でも壮年期の姿で登場しているほか、ゆでたまご氏による別バージョンも存在する。こっちはまんまキン肉マンである。


このゲーム全般を通して主役に近い扱いをされており、『1582 日輪本能寺より出づる』までほぼ毎回何らかの形で信長のカードが追加されていた。そのため、通常排出での『天下布武(青年期)』・『三段撃ち(壮年期)』・『是非に及ばず(晩年)』の3枚に加え、コラボレーション企画の戦国数寄枠で『キン肉マン』・『まおゆう』・『尾張の最終兵器(漫画・いくさの子に登場した幼少の頃の信長)』の3枚、雑誌の付録での『いくさの神(いくさの子に登場した青年期の信長)』、初期スターターパックのカードと戦国鬼札版(両方共に天下布武と同じイラスト)で、同名カードでは豊臣秀吉の10枚に次ぐ9枚を誇る。


ちなみに、前述の通り鉄砲による集団戦術を確立したということで彼率いる織田家には鉄砲隊が多いが、バージョンアップの度に本願寺(雑賀衆)や島津など、特技やシステム面で優遇された鉄砲勢力が参入しており、このゲームにおける鉄砲の元祖ともいえる織田鉄砲隊は非常に厳しい情勢に立たされていると言わざるを得ない。


覇王ノブナガ

覇王ノブナガ(または、うつけノブナガ)の名で登場。特定装備アイテム組合わせで、魔王ノブナガに変身する。必殺技は【天下布武】(家紋ビーム)。


シミュレーションゲーム編集

信長(模写)

CV:神奈延年(創造) / 杉田智和(大志以降)

メインプレイヤーキャラ。タイトルに名が冠されているだけあって、「公式チート」と呼ばれる程シリーズを通じて高能力。初期は頭を月代としていたが、3作目からは総髪茶筅髷になった。髭を生やした凛々しくも厳めしい顔付にはシリーズを通して変化なし。信長を題材とした作品の中でも特に歴史が長いシリーズであり、後年の作品ではこの信長像をベースとしたキャラも少なくない。


主に主役格である秀吉の上司として登場。Ⅳ以降では主人公としてもプレイ可能。

本能寺の変以降は登場しないが、自身や光秀、信忠を始めとした事件関係者を

主人公とした際の行動次第で発生を回避し、生存させることが可能。


(CV:置鮎龍太郎

主人公として登場。従来の作品とは異なり、気さくで快活な好青年として描かれ、魔王と畏怖されるような苛烈さはほとんど描写されていない。

今作では本能寺の変を生き延び、各地の大名や義昭と手を組んだ光秀との戦いに臨む。


ロールプレイングゲーム編集

Ambition

リュウの国のブショーリーダー。突如ランセを滅ぼすと宣言し、次々と周りの国を制圧して行く。ポケモンはサザンドラゼクロム黒いレックウザ

詳しくはノブナガ(ポケナガ)を参照。


その他のジャンル編集

実況パワフルプロ野球2011決定版にある戦国サクセス編、実況パワフルプロ野球2013の戦国工業高校編で登場。先発型速球派投手で投手能力も野手能力も十分高いが、天下目前にして本能寺の変で死んだエピソードからか、終盤に味方が勝っていると能力が下がる寸前×という特殊能力をもっている。

計略「信長の威圧」は味方全員に「威圧感」(投手:リリーフ登板時打者のミート&パワーダウン、野手:相手投手のスタミナ消費量増加、球速&コントロールダウン)が付くというもの。相手投手からしてはスタミナ消費が一気に増えるためたまったものではない。


【LoveHeaven】織田信長

(CV:[[鈴木達央])]

キャッチコピーは「第六天より蘇りし俺様系魔王」でメインシナリオキャラ。

詳しくは織田信長(ラヴヘブン)を参照。


英語学習アプリに登場する信長のゆるキャラで名前は織田フィナーレ。

愛知県extrabossであり水属性超絶レア。

リーダースキルは「天下布武事業計画」、ゆるスキルは「ティロ本能寺」

詳細は英語物語登場人物一覧を参照。


漫画編集

センシティブな作品

宇宙戦艦を率いる「富嶽」の指導者。彼女以外にも「本能寺の変で死なず異世界に渡ったオダ・ノブナガ」「パラレルワールドと化したスペオペ江戸時代で本当に魔王となった信長」が確認されている(これらは歴史通りの男性)。また、未確認ながら「本能寺の変で死亡し”魂が還る場所”に転生した信長」の存在が示唆されている。


スシ・テンプラ・ノブナガ

黒装束の帽子とマントを身に纏った、目付きが恐ろしい、魔王っぽい武将。目標は世界で「スシ・テンプラ・ノブナガ」となるくらいの知名度向上。


センシティブな作品

CV:伊藤かな恵(アニメ版) / 皆口裕子(ドラマCD版)

史実の信長に相当する存在の女の子。

詳しくは織田信奈を参照。


信といっしょ

(CV:黒田崇矢

何でも焼き討ちしたがる破天荒な武将。漫画では白目で口が描かれない。容赦がない性格で、ほとんどの他人に高圧的態度で接する。台詞フォント吹き出しが他キャラと異なり怖い。酒には弱い。


織田信長

正式名として「織田前右府信長」を名乗る。ざんばら頭で、片目に眼帯を付けた姿が特徴。本能寺の変の中で何故か異世界へと飛ばされてしまうが、そこでの国盗りを開始する。


愛知1区候補

平成の世で信長が内閣総理大臣となった漫画。

詳しくは内閣総理大臣織田信長を参照。


信長と光秀

CV:宮野真守(サブロー) / 梶裕貴(本物)

ドラマ版:小栗旬(サブロー・本物の2役)

平成の高校生・サブローはふとしたことで戦国時代にタイムスリップし、そこで自分とそっくりな顔の武士と出会う。彼こそ史実の信長で、信長から病弱な私に代わって信長となってほしいと頼まれ、サブローは信長として戦国を生きることとなる。勉強が苦手で、歴史も疎く、自然体で飄々と物事に余りこだわらない性格。本物の信長は頭巾を被って別名として生き、各地を放浪した後にサブローに力を貸すため再度織田家に戻る。


へうげもの

(CV:小山力也

豪壮な芸術を好む天下人。派手な洋服西洋風甲冑を好み、ピアスを付け、甲高い笑い方をする。古田織部の数寄振りを評価しており、彼の驚く顔を楽しんでいる。親族を可愛がり過ぎる節が多い。世界制覇を目論み、風雲躍り華咲き乱るる世を目指すが、本能寺の変直前にある人物と手を組んだあのハゲネズミに襲われた。


原作・井出圭亮、作画・藤本ケンシの漫画。

ブラック君主・織田信長が本能寺で死ぬ運命を変えるためにタイムリープを繰返す架空戦記ギャグ漫画。


アニメ編集

信長さまと藤吉郎さん

(CV:千葉一伸

チーム雷門達が出会った尾張武将で、イレブン能力者。気だけで暴れ馬を追返すなど、凄まじい覇気のオーラを持っている。信長のオーラを手に入れようとやって来たチーム雷門・神童拓人に「自分は天下を取れるのか」と聞き、「それは出来ません」と正直に答えた神童に興味を持つ。


そして蹴鞠戦(けまりいくさ)の時には、化身アームドに囚われ過ぎてきちんと戦局が読めていない神童を見かね、フィールドに赴いて神童を叱責・助言して化身アームドを成功させ、さらに神童とのミキシマックスを許可する。


(CV:小林裕介

胡蝶綺ラクガキ

奇抜な行動が目立つが、好奇心旺盛で特に海外の珍品に目がない。織田家での複雑な境遇、終わらない戦国乱世。そんな中を仲間と独創性で切り抜けようとする。良くはだけた半裸な格好でおり、自室などプライベートでは眼鏡を掛けている。親しい身内の前ではお国言葉で喋る。


(CV:伊丸岡篤

本人が登場するのだが、この作品での戦国時代における真歴史は虫取り合戦であったという歴史となっていた?なお、中の人は戦国BASARAで無敵が口癖の戦国武将を演じていた。


特撮編集

織田信長(仮面ライダーシリーズ)も参照。


5話眼「衝撃!謎の仮面ライダー!」

仮面ライダースペクター強化フォームノブナガ魂』として登場。必殺技は長篠の戦いの三段撃ちを思わせる連続射撃「オメガスパーク」。


演:前野朋哉

クリム・スタインベルトの祖先を守るべく、戦国時代へとタイムスリップした常磐ソウゴ明光院ゲイツが出会った人物。性格はとても軽く、武田軍との戦争そっちのけで異国の少女にうつつを抜かしていた。


ゲイツを自身の影武者に仕立てて、異国の少女と共に戦から抜け出そうとするが…今までのライダー作品に出た織田信長は、上述のパーカーゴーストであったり、遺体を利用したホムンクルスだったり、伊達明にソックリな異世界の人物であったりしたが、歴とした本人が出るのはこの作品が初であったりする。



メディアミックス編集

(CV:釘宮理恵

センシティブな作品

漫画『コハエース』で初登場。通称は「魔人アーチャー」で、木瓜紋の軍帽と黒い軍服を纏った、長い黒髪の少女。

元々劇中劇『帝都聖杯奇譚』に登場するアーチャークラスのサーヴァントとして用意されたキャラであるが、結局本編の方で散々振り回される羽目に陥り、真剣に『ちびちゅき!』への移籍を考えている。


スマホゲーム『Fate/GrandOrder』ではイベント「ぐだぐだ本能寺」より参戦。以降も期間限定イベントでは「ぐだぐだイベント」を中心にちょくちょく出て来る。

また、2017年には水着Ver、2019年には「織田信長」という概念の塊である魔王信長とバリエーションチェンジも登場している。


さらに、『帝都聖杯奇譚』のリメイク版である漫画『Fate/typeRedline』でも登場。

半ばギャグキャラが定着していた他とは全く異なり、冷徹な魔王としての本性が見られる。


この他、『ぐだぐだファイナル本能寺2019』では本物信長なるキャラも登場。どこがどう本物なのかは該当記事を参照。


関連イラスト編集

【創作】織田上総介信長【戦国】第六天魔王

第六天魔王 織田信長うつけ信長

関連人物編集

親族編集


家臣編集


関係者編集



余談編集

色々といわれているが、信長自身は確固とした名分がない自身の立場を守るために奔走し常に汲々としていたのが実情であるようである。室町幕府関連についても後ろ盾になって貰える様に協力していただけで、余りにも施政能力がない幕府に苦情を述べるだけで越権行為などはしておらず、先に信長に敵対行為をしたのは幕府側であった。



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