1. 大名主から転じた語で、多くの所領や家臣を擁する武士のこと。本項目で説明。
3. 中国の地名「だいめい(ターミン)」。華北の趙の都であった邯鄲のあたりにあり、北宋時代の副都「北京大名府」が「水滸伝」に登場する。
概要
大名とは、多くの所領や家臣を擁する武士のことである。大名ほどでないが、所領や家臣がそれなりにある武士を「小名」とも呼ぶが、こちらはあまり使われない。
本来、荘園や国衙領の内部の区画「名(みょう)」の直接領有者を「名主(なぬし、みょうしゅ)」と呼び、名主の中でも勢力の強い大名主から転じて「大名」という呼び名が生まれたようである。
室町時代には富裕者も「大名(だいみょう)」と呼び、大身の武士「大名(たいめい)」と区別していたらしいが、戦国時代には武士の方のみを指すようになったらしい。
なので、狂言に出てくる「この辺りに隠れなき大名」がやたらセコいように見えても、当時は後世と違って固定された基準もないし、単なる金持ちかもしれないし、その辺りは大目に見て頂きたい。
また、鎌倉時代の「守護」より権力が強くなったものを「守護大名」と呼び、戦国時代の有力領主を「戦国大名」と、後世の大名と区別して呼ぶ。
江戸時代においては、江戸幕府から直接、表高1万石以上の所領を与えられた武士を大名と称した。つまり、大名の家臣は、いくら石高が高くても大名には含まない。
大名家の基準は領地ではなく家系であり、大名とその家臣団は「○○家中」、領地は大名の名前により「○○領分」などと当時は呼ばれた。
所領地により「○○藩主」「○○侯」などとも言われるが、江戸時代当時には「藩」は公式の組織名ではなかったため、「藩主」はあくまで後世の呼び方である。
明治時代の初期、ようやく「藩」が領地の正式名称になったのもつかの間、版籍奉還で領有権の名義を新政府に回収され、廃藩置県で藩は中央政府直轄の「県」になり、すべての大名は解任され(ついでに藩の借金からも解放され)た。大名の家系が華族になる際には原則的に子爵以上だが、明治初期に大名になった一部の家系は男爵となった。
その後に政治家に転身した大名は意外に少なく、貴族院の世襲議員は大勢いたが、新華族の議員や士族・平民の衆議院議員に比べると目立たない存在だった。軍人になった大名もやはり少なく、日本軍では華族を特に優遇しないという事もあり、あまり目立った働きはしていない。ただし、旧領地の振興に力を注いだような大名は例外で、子孫が県知事や市長になった例もある。
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