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奉行

ぶぎょう

江戸時代における、日本の治安維持機関……と思われがちだが、実際には異なる。奉行ったってイロイロある。
目次 [非表示]

かつて日本に存在した機関。つーか役職。


元々は、読んで字のごとく「奉じて行う」事である。つまり行動の事を指す動詞だった。自分の属する団体の上司から何らかの仕事を受け、これを実行する権限を持たされ、そして仕事の目的を達成することを「奉行(する)」と言い、すなわち奉行するから役職名が「奉行」となったのである。


古くは平安時代からあり、職域を変えながら江戸時代まで存在した。


pixivでは、おおよそ時代劇の影響から、江戸時代の町奉行(の職域の一部分を誇張して描いた作品)をイメージして描かれたイラストが多く、そうした作品につけられるタグとして機能している。


ただし上記に「平安時代から職域を変えながら」とあるように奉行っつったってイロイロある。そもそも江戸時代だって奉行は職域に合わせて複数いた。


概要編集

時代劇のせいで日本の治安維持機関で警察、裁判所に相当する……と思われがちだが、これは奉行は奉行でも町奉行(江戸町奉行)の仕事。町奉行の拠点が町奉行所。あまり知られてないが、大坂や京都にもほぼ同じ役割を果たす「大坂町奉行」「京都町奉行」がある。


さらに軽く時代劇に出てくる奉行でも、町奉行の他に材木奉行、寺社奉行、勘定奉行、作事奉行、遠国奉行など、様々。

特に遠国奉行は、そこからさらに赴任地によって長崎奉行、天領地町奉行、伏見奉行、奈良奉行、函館奉行、松前奉行など細かく任命者が定められた。実は前述の大阪町奉行、京都町奉行もコレにあたる。幕府内での彼らの取りまとめ(遠国奉行首座あるいは遠国首座、首座奉行という)は長崎奉行が兼務した。

なお、こうした各奉行は江戸時代の奉行。


豊臣秀吉の時代になると五奉行・五大老っつーのがあり、この時代の奉行は五奉行を指す。コレは豊臣政権における行政側のトップオブトップであり、豊臣家譜代の家臣がその任に当たった。政治側が五大老、こちらはもともと秀吉と同格か、豊臣との戦いの末、傘下に入った外様大名が(豊臣にとっての)謀反を起こさないよう政権に組み入れようとしただけである。


室町時代の奉行は中央行政(室町幕府)の執行官。足利将軍家の行政文官集団として奉行衆という職能団体が存在した。


鎌倉時代平安時代の奉行は臨時職。地方統治や宮中の儀式などにおいて臨時に何らかの役職が必要になった時に「〇〇奉行」という役職を置いて儀式や問題に臨時に当たらせ、問題解決後に職を解かれて別の正規の役職が与えられた。


現代では、特定の場を取り仕切る者を「鍋奉行」など「~奉行」と呼ぶ。

あるいは政治集団でトップに付いて下部との折衝や取りまとめを行う複数の者をまとめ、豊臣時代の奉行になぞらえて「(トップ政治家の名や派閥名)の(人数)奉行」と呼ぶ。(佐藤派五奉行・竹下派七奉行など)


では「町奉行」は?編集

町奉行」の項目も参照


江戸時代は、庶民が単に「奉行」(お奉行さま)と称した場合は完全に町奉行の事のみを指した。これは庶民が関わる奉行が町奉行しかいなかったため。

幕府上位の「〇〇奉行」と呼ばれる官僚たちは、まず庶民に関わる事が無かったのである。


そして治安維持機関として警察となり(警視総監)裁判所(家庭・地方・高等・最高裁判所長)に相当する……とか思ったら大間違いである。

例えば、町火消の差配(現在で言う消防総監)も町奉行の管轄。江戸市中の町人たちの相談受付も町奉行の管轄。江戸の市街地開発計画の立案や、その計画に対し将軍にお伺いを立てたり、あるいは将軍の意向を市街地開発計画に反映させるのも、町奉行の仕事。


要は(江戸)町奉行の仕事とは、ざっくり言えば「東京都知事+警視総監+消防総監+検察庁長官+下位各裁判所長を含めた最高裁判所長+江戸開発庁長官+江戸八百八町庶民を代表する政治家+将軍のお世話係」という「江戸市中の究極統括管理者」である。そのため権限はバカでかいが、抱える仕事も責任もプレッシャーもバカでかい。オーバーでなく町奉行の判断ひとつで江戸が滅ぶような局面も多々あったりする。夜討ち朝駆け24時間戦えますかなど生易しい町奉行の仕事はブラック企業社畜も真っ青になり裸足で逃げ出す真っ黒い仕事量なのである。(しかもドレも超高度プロフェッショナルな専門知識の要する仕事ばっかり)

現代の人間から見れば「ひとりの人間にこんなとんでもねー権限を渡すな!」とツッコみたくなるレベルのバカでかさであり、現に過労死した人もいる……というか江戸幕府における過労死の代名詞のような職業である。


もちろん、こんな権限をたった一人に渡し、たった一人で膨大量の仕事を処理しろなんて、発狂してもおかしくないマネ、さすがの徳川幕府も行いはしない。町奉行職は任命者二名による輪番制である。(むしろ、この職が「たった2名」である事の方が江戸幕府のヤバさを感じさせるという意見も無い事は無い)おおよそ一ヶ月交代で町人に奉行所の門戸を開いた。これが時代劇などで「北町・南町」(大坂は「西町・東町」)と言われる各奉行所である。(が、つまりは江戸あるいは大坂の庶民に対しては常に開いている奉行所は一ヶ所のみというコトでもある)これまた時代劇のせいで誤解されやすいが、北と南は所在地によるもので、江戸市中を北と南(大阪街地を西と東)に分けて管轄を決めていたわけではない

ちなみに閉じている方の奉行所も休んでいるワケではなく、窓口を開けている間に受けた様々な事件や相談事の訴えを、窓口を閉じている間に処理しているだけなので、忙しいことに変わりはない


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