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概要

日本史時代区分の一つ。

593年(旧暦では崇峻天皇5年/592年)の推古天皇即位から710年の平城京への遷都による奈良時代の開始まで。この期間の大半において、大和国飛鳥地域(現在の奈良県明日香村ほか)に都が置かれていたことによる。大化2年(646年)の薄葬令までは古墳の築造が続けられていたため、前半期は古墳時代と重なる。後半期にあたる645年(大化元年)の大化の改新から710年(和銅3年) までは白鳳時代とも呼ばれる。


推古天皇期以降

推古天皇のもと摂政として国政をみた聖徳太子は、仏教を重んじオオキミを中心とした中央集権的な国づくりを行ったとされる。しかし当時のヤマト王権の実態は古墳時代と変わらず、蘇我氏物部氏などの有力な豪族の共同統治であった。特に丁未の乱で物部氏が滅亡してからは蘇我氏の当主である蘇我馬子が権力を握ってオオキミといえども逆らえなかったという。この時代に飛鳥文化が栄え、特に最初期の仏教寺院が出来た。聖徳太子による四天王寺法隆寺、蘇我氏による法興寺(その後身は飛鳥寺)がその代表である。


大化の改新以降

乙巳の変で蘇我入鹿が殺されて蘇我氏は他の豪族と同程度にまで弱体化し、変を主導した中大兄皇子(後の天智天皇)らによって本格的な中央集権化が始まったとされる。これを大化の改新と呼び、中華皇帝をモデルとした天皇独裁体制を樹立するとともに東北の蝦夷を討ち支配権を広げた。一方、対外的には百済と同盟していたが、その百済が滅亡すると白村江の戦い新羅連合軍に大敗して朝鮮半島への足がかりを失った。朝廷は唐・新羅の来寇をおそれて福岡に大宰府政庁を置くと同時に、九州北部から中国地方にかけて朝鮮式山城を築き、防人(さきもり)を各地に配置することになった。その一方で、朝廷は日本列島内の統治・支配の強化に専念することとなる。天智天皇が大津京で崩御した後、息子の大友皇子が継いで即位したとされる(弘文天皇)。


壬申の乱以降

天武帝の弟であった大海人皇子が反乱を起こして大津京を陥落させ、天武天皇となった。古代最大の内乱である壬申の乱である。以後、奈良時代末に至るまで、天武天皇の子孫が天皇を輩出することとなった。なお、それまでのオオキミに代えて天皇の称号が用いられるようになったのはおよそ天武朝とされ、それ以前の天皇号は後世に送られた称号である。天武・持統天皇の時代には神道仏教を柱とした鎮護国家体制が確立、各地に拠点となる国分寺国分尼寺が建立された。内政的には飛鳥浄御原令ついで大宝律令によって律令制が一応の完成をみ、中国の制度を取り入れた古代中央集権の日本国家がここに成った。また、「日本」の国号が定められたとされる。元明天皇の代に平城京へ遷都し、奈良時代が始まった。


関連タグ

飛鳥 明日香 法隆寺 大津 藤原京

遣隋使/遣唐使 大化の改新 白村江の戦い 防人 壬申の乱 富本銭 和同開珎

厩戸皇子/聖徳太子 中大兄皇子/天智天皇 大海人皇子/天武天皇 持統天皇

小野妹子 蘇我入鹿 中臣鎌足/藤原鎌足 高市皇子 大津皇子 十市皇女 大田皇女 額田王 大伴部博麻 舎人親王

その他

聖徳時代 ・・・飛鳥時代でもとくに聖徳太子が活動した時代の事を指す、重要な変化が起こった。


日出処の天子 天上の虹

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