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概要編集

父は蘇我稲目。子に蘇我蝦夷。孫に蘇我入鹿がいる。

敏達天皇用明天皇崇峻天皇推古天皇の4代にわたる天皇に仕え、蘇我氏の全盛期を築き上げた人物。


自邸に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも称された。


生涯編集

以下は「日本書紀」「古事記」に基づく。


572年、敏達天皇の即位時に若くして大臣となる。


584年、百済から来た渡来僧の影響を受け、馬子は仏法に帰依し、三人の尼を敬った。石川宅に仏殿を造り、仏法を広めた。


585年、馬子は病になり、馬子は敏達天皇に奏上して仏法を祀ろうとするが、排仏派の物部守屋と中臣勝海が「蕃神を信奉したために疫病が起きた」と奏上し、敏達天皇は馬子の願いを聞き入れなかった。守屋は仏殿を破壊し、仏像を難波の堀江に投げ込ませた。守屋は馬子ら仏教徒を罵倒し、さらに三人の尼を捕まえて刑罰を与えた。しかし、疫病は治まらず天皇も守屋も病気になった。これを人々は「仏像を焼いた罪だ」と言った。


同年6月、馬子は病気が治らず、再び奏上して仏法を祀る許可を求めると、敏達天皇は馬子に対してのみ認めたという。

同年8月、敏達天皇が崩御。葬儀の途中で馬子と守屋は大喧嘩に発展する。


守屋「(長い刀を差している小柄な馬子に対し)まるで矢に射られた雀のようだ

馬子「(緊張で体を震わせている守屋に対し)鈴を付けたらさぞ面白かろう


橘豊日皇子が即位し、用明天皇となる。


587年、用明天皇は病になり、三宝(仏法)を信仰しようと臣下たちに意見を問うた。守屋と中臣勝海は反対したが、馬子は是非そうすべきとして、穴穂部皇子に銘じて僧の豊国を派遣した。守屋は怒ったが、政治的に不利を悟って河内国へ退いた。


用明天皇が崩御。守屋は穴穂部皇子を皇位につけようとしたが、馬子が穴穂部皇子を殺害した。翌月、馬子は他の群臣と協議した結果、守屋を滅ぼすことを決め、諸皇子、諸豪族の大軍を挙兵した。馬子は河内国渋川郡の守屋の居所を攻め、守屋は迹見赤檮によって射殺された。

同年8月、馬子は泊瀬部皇子を即位させ、崇峻天皇とした。


588年、善信尼らを百済へ派遣した。


絶大な権力を持つ馬子と崇峻天皇は次第に不仲になっていった。崇峻天皇が「自分を憎んでいる者を殺したいものだ」と言っていたのを聞いた馬子は先手を打ち、刺客を差し向けて崇峻天皇を暗殺した。


馬子は同族の炊屋姫を即位させ、初の女帝である推古天皇とした。厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に立てられ、摂政となった。馬子は聖徳太子と合議して政治運営し、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入した。


596年、飛鳥寺を建立した。


620年、聖徳太子と協力して「天皇記」「国記」「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」を記す。


623年、馬子は境部雄摩侶を大将とする軍を新羅に派遣した。


624年、馬子は葛城県の割譲を推古天皇に要求したが、推古天皇に「それは流石に・・・」と拒否された。


626年、病没。


人物編集

奈良県明日香村にある石舞台古墳は蘇我馬子のものと見られる。

その巨大な石室は、馬子がいかに強大な人物であったかを窺わせる。


日本史上で唯一天皇殺しを行った人物である。

崇峻天皇の代には馬子の力は天皇(当時は大王)を上回っているほどであり、崇峻天皇の殺害されても朝廷に混乱がないところを見ると国政は蘇我氏を中心に回っていた可能性もある。


日本史上初の女性天皇である推古天皇を即位させ、その叔父として絶大な力を振るった。

摂政・聖徳太子と共に仏教を推進し、冠位十二階を定めた。遣隋使を派遣しての文化を輸入するにまで至った。


積極的な外交政策、渡来人の登用、仏教の推進、国内の改革など政治方針を同じくする聖徳太子とは関係が良好であった。ただし聖徳太子は皇族中心の政治機構を整備しており、蘇我氏を警戒していた節もある。


余談編集

名前からして女性を連想させるが、れっきとした男性である。

これは、当時の風習では気にされておらず、小野妹子も同様である。


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