概要
欽明天皇の第二皇子、名は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと)。皇后は最初は広姫(息長真手王の娘)、後に額田部皇女(推古天皇)。
実績
欽明天皇32年(571年)に父欽明天皇が崩御したことで即位、大臣は蘇我馬子、大連は物部守屋が任じた。敏達天皇5年(575年)に皇后広姫が薨去し異母妹の額田部皇女が皇后となる。
新羅に攻められていた任那を再興を求めるが成功には至らなかった。
仏教論争では廃仏派であったが崇仏派の馬子に私的に崇拝する許可を得ていたが疫病が発生すると廃仏派の守屋が天皇に廃仏を訴えたことによって廃仏の許可を得ていた。
敏達天皇14年(585年)に崩御、皇位は異母弟の池辺皇子(用明天皇)が継承した。
皇統
- 皇后(前):広姫(ひろひめ、息長真手王の娘)
・押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)
・逆登皇女(さかのぼりのひめみこ)
・菟道磯津貝皇女(うじのしずかいのひめみこ)
- 皇后(後):額田部皇女(ぬかたべのひめみこ、後の推古天皇)
・菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)聖徳太子妃
・竹田皇子(たけだのみこ)
・小墾田皇女(おはりたのひめみこ)押坂彦人大兄皇子の妃
・鸕鶿守皇女(うもりのひめみこ)
・葛城王(かずらきのみこ)古事記のみ
・尾張皇子(おわりのみこ)
・田眼皇女(ためのひめみこ)舒明天皇妃
・桜井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ) 押坂彦人大兄皇子妃後に来目皇子の妃
- 夫人:老女子(おみなご、春日仲君の娘)
・難波皇子(なにわのみこ)
・春日皇子(かすがのみこ)
・桑田皇女(くわたのひめみこ)
・大派皇子(おおまたのみこ)
- 采女:菟名子(うなこ、伊勢大鹿首小熊の娘)
・太姫皇女(ふとひめのみこ)
・糠手姫皇女(ぬかでひめのみこ)押坂彦人大兄皇子妃・舒明天皇の母