生没 593年?~641年
在位 629年~641年
諱 田村皇子
皇后の宝皇女(異母兄・茅渟王の皇女)は第35代・皇極、第37代・斉明天皇。宝皇女との子である中大兄皇子は第38代・天智天皇、同じく大海人皇子は第40代・天武天皇であり、令和に至る天皇の直接の祖先の一人である。
生涯
第33代・推古天皇の崩御後、又従兄弟である山背大兄王(聖徳太子の子)と共に次の天皇の候補に挙がり、大臣・蘇我蝦夷の鶴の一声で擁立された。
その為もあり、在位中は蝦夷の傀儡として甘んじていたとされる。
641年に崩御。その後継には前述の通り皇后の宝皇女が即位し、その翌年に山背大兄王は蝦夷の子である蘇我入鹿に攻め滅ぼされた。
皇統
・葛城皇子(かずらきのみこ、中大兄皇子、第38代・天智天皇)
・間人皇女(はしひとのひめみこ)孝徳天皇皇后
・大海人皇子(おおあまのみこ、第40代・天武天皇)
・古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)
- 采女:蚊屋采女(かやのうねめ)
・蚊屋皇子(かやのみこ)