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概要編集

日本天皇として36代目に在位された天皇。諱は「軽」

また、元号「大化」の時の天皇でもあるため元号が定まったときの初めての天皇でもある。


生まれは推古天皇4年(596年)で皇極天皇は姉、敏達天皇は曾祖父にあたる。

645年、蘇我氏の暴政を食い止めるべく動いた甥の中大兄皇子らの武力行使により、皇極天皇が退位。中大兄皇子に譲位しようとしたが皇子からは断られる。

続いて軽皇子にも使者が赴くが3度断られ、中大兄の異母兄である古人大兄皇子にも使者が行くが古人大兄は出家する。


それでも使者が軽皇子の下に来たためついに折れて承諾、36代目の天皇となった。

前の天皇である皇極天皇に「皇祖母尊」の称号を送り、中大兄皇子を「皇太子」阿部内麻呂を左大臣、蘇我石川麻呂を右大臣、中臣鎌足を内臣とした。


この際難波に宮を構えていたことから「難波朝」ともいう。

孝徳帝の際には百済、高句麗、新羅から朝貢が送られ、新羅からは人質が連れてこられた。

また、形骸化していた任那を切った。

には遣唐使を、蝦夷対策には越の国に柵を設け防衛を固めた。


しかし白雉4(653)年、中大兄皇子達が都の遷都を促されたさい断ったが、それに反して中大兄皇子は皇祖母尊や大海人皇子を連れて遷都する。


気落ちした孝徳天皇は、翌年59歳で崩御。

子の有間皇子は危険因子とみなされ粛清されてしまった。次の天皇には皇祖母尊が「斉明天皇」として重祚した。


皇統編集

  • 皇后:間人皇女(はしひとのひめみこ、舒明天皇の皇女)
  • 妃:小足媛(おたらしひめ、阿倍内麻呂の娘)

有間皇子(ありまのみこ)


関連項目編集

天皇 飛鳥時代 日本

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