- 世没 586年? ― 645年7月11日 約59歳
飛鳥時代の豪族 宰相の大臣(おおおみ)として政治を動かす
蘇我氏は蘇我稲目以来大臣職を独占してきた。
推古天皇崩御時、後継について叔父の境部摩理勢と対立し、これを殺害する。
蝦夷の子の蘇我入鹿は、山背大兄王を襲って上宮王家一家を自殺に追いこんだ。
蝦夷はこの入鹿の行為を怒り、嘆いたと伝えている。
皇極天皇4年(645年)に大君の御前で入鹿が殺されると、蝦夷のもとに与する者が集まったが、蝦夷は邸宅に火をかけ自害したという
(乙巳の変という)
蝦夷が家ごと歴史書を燃やしてしまったことにより飛鳥時代前半の詳しいことがよく解からない。