奈良県とは、日本47都道府県の内、近畿圏に存在する県である。
県庁所在地は奈良市。隣接府県は大阪府、京都府、三重県、和歌山県。
概要
日本の関西地方にある内陸の県。廃藩置県の直後は大阪府の一部であったが明治二十年(西暦1887年)、奈良県として単独独立した。隣接県は北が京都府、東と南東は三重県、西は大阪府、南西は和歌山県。人口は北西部の奈良盆地に集中しており、残りの地域は紀伊半島に繋がる山岳地帯である。
主な地域区分は奈良市周辺の北中央部、生駒・王子・御所市周辺の北西部、桜井・橿原・吉野周辺の中央部、宇陀・大宇陀市周辺の西部、南東部の曽爾・北上村、十津川村・風屋周辺の南西部である。
県名の由来は『均す(ならす)』とするのが有力で、奈良盆地の平らな地形を表したものとされる。
主な自治体
- 奈良市
- 生駒市
- 桜井市
- 天理市
- 大和高田市
- 大和郡山市
- 橿原市
- 五條市
- 御所市
- 香芝市
- 葛󠄀城市
- 宇陀市
- 生駒郡三郷町、斑鳩町、平群町、安堵町
- 山辺郡山添村
- 磯城郡川西町、三宅町、田原本町
- 吉野郡吉野町、大淀町、下市町、黒滝村 、天川村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村
歴史
奈良は千年の其むかし
七代さかえし帝都の地
七大伽藍の鐘の音に
殘る響ぞ身にはしむ
――鉄道唱歌(第五集 付録 奈良めぐり)一番より
旧律令国の大和国一国からなり、奈良盆地とその周辺には数多くの史跡を抱える。有史以前の古くから栄えており、弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代の遺跡や、古代から続く寺社等に恵まれている。修学旅行では京都とワンセットで巡る行程が定番。
皇室発祥の地であり、最も古い時代から皇居が営まれた地である。一時皇居が河内(大阪府)や近江(滋賀県)におかれた時期もあったが、天武天皇の飛鳥浄御原宮、その後は藤原京、平城京を抱えた日本の首都となり、山城国(京都府)の平安京に遷都するまで続いた。
法隆寺と東大寺の大仏が有名。平安京への遷都の後も南都仏教の総本山を多く抱えたことから仏教勢力が時の中央政権にまで影響を及ぼす程に強く、真言宗・天台宗の台頭まで隆盛を誇った。
社会と経済
近代以降、海に面していない本県には大規模な港湾が成立せず、名神高速道路と東海道新幹線が京都経由で東京-神戸間を直結したため、陸の孤島化し産業誘致の面でかなり不利な条件を強いられた。ようやく21世紀に入りJR東海の中央新幹線計画のひとつとして敷設費用をJR東海負担の上で奈良県に駅を建設するというアナウンスが発表されており、県内外の関係者から大きな期待が寄せられているが、駅の位置を巡って現代の南北朝合戦と化している。
高校からの京都大学、東京大学進学者数が全合格者合計数における人口比率で東京都に次ぐ全国二位(実質的に一位)に付けており、学力先進県という側面もある。
近年では遷都千三百年を祝って朱雀門が復興され、大極殿も再建された。またこの時に製作されたキャラクター「せんとくん」は全国区で有名になった。
春日大社は豪族藤原氏の氏神として有名で、最盛期の寺社領は伊勢神宮すら凌いだといわれる。また奈良公園の鹿はこの春日大社の神使とされる。
また大和郡山市が金魚の国内の代表的な名産地として知られている。
古くより「大阪の食い倒れ」「京都の着倒れ」と併存して「奈良の寝倒れ」という言葉があるが、他人を押しのけてまでどうこうするという気質を持たないおっとりした県民性を反映した言葉とされる。
大阪府と京都府に隣接する事から日本一県外に通勤・通学する人が多いベッドタウンとして発展しており、物品の流入も比較的多い。以上の点から「都会のような田舎」として(山間部でもない限り)住むには割と便利だったりする。
奈良県は、東大・京大への合格者率日本一である。それは西大和学園・東大寺学園の存在が大きい。
かつて志賀直哉が「奈良にうまいものなし」と言ったとされるほど、食文化に関しては都道府県の中でも特に遅れを取っているとされる。しかし、近年ミシュランに認められる店やら様々なラーメン屋やらで他県にも引けを取らない店舗はいくらでもあったりする。このようなイメージが定着したのはメジャーな郷土料理が皆無だというのが原因だろうか。
2010年以降、特に平城京遷都1300年記念を境にようやく本格的な郷土観光に乗り出し、遅まきながら観光地として「大仏商法(東大寺の大仏を目玉に据えて人を呼ぶ奈良県特有の観光商法を揶揄する言葉)」以外の道の模索が活発化している。
近年では隠れたラーメン&イタリアンピッツァの激戦区として頭角を現すようになってきた。
ただそれでも21時以降には8割以上の店舗が閉店してしまうため、深夜のグルメ観光ではまだまだ他府県に後れを取っている。
三重県と並ぶ近鉄王国として知られる。近鉄の利便性はJRよりも良く特急が多数運行されている一方、JRには特急列車が一切運行されていない事でも有名。
大阪や京都から奈良への所要時間が1時間前後ということもあり沖縄県以外の都道府県で唯一、JR特急が運行されていない。(普通と快速列車だけの運行である)
また隣接する和歌山県もそうであるが県内のJR線内には定期貨物列車は一切運行されていない。
県内において医師が不足している状況があり、特に高度な技術が必要とする産婦人科において、救急車の受け入れ先がないことに起因する医療事故へと発展してしまった事例もあった。
日本の内陸中央部に位置し、また重要な国の行政施設や国家的なインフラ施設などが無いこともあり、県内に自衛隊実働部隊の駐屯地が存在しない。(航空自衛隊の幹部候補生学校が奈良市にあるのみ)
また近年に奈良少年刑務所が老朽化により閉鎖された事により、刑務所も存在しない県となった。
開発と遺跡
歴史遺産にとても恵まれており、「とりあえず掘れば遺跡が出てくる」とまで言われるほど、そこいらじゅうに遺跡が埋まっている。特に古墳〜奈良時代は日本の中心地だったので、奈良盆地を掘れば、古代日本のことがだいたいわかるといってよい。考古学者や日本史ファンにとっては宝の山とも言うべき、夢のような土地である。
しかし開発業者には悪夢である。地元では遺跡を「貴重な財産」ではなく開発の邪魔者であり、奈良の都市化を大きく阻害していると考える住民も多い。
特に奈良時代に平城京を建設した名残から、奈良市を中心とした県北部一帯には無数の遺跡が未だに土の下に眠っており、開発のために土木工事を始めると高確率で遺跡を掘り当ててしまう。
遺跡は発見されると法に則って調査が敢行され、その後歴史的価値を検証した末に保存か否かを決することになる。この際の調査には一カ月近く、長ければ半年から一年以上に渡っておこなわれるため、工事の予定終了期日が大幅に遅れる上に、重要な史料が発掘された場合にはさらに長期に渡って調査と保存が敢行され、工事そのものが中止になる恐れさえある。
「夢の一戸建てを買ったら、建設予定地から遺跡が出てきて諦めた」
……などという、冗談のようなことが、奈良では普通に起きてしまうのである。ちなみにどこ掘ってもなんか出てくるので知らない振りして遺跡を壊して埋めて闇に葬るということも昔はよくあった...らしい。
バブル期の頃も土地の開発中に長屋王邸の遺跡が発掘されたにもかかわらず問答無用で破壊され開発が継続された例もある。現在でもその地に建てられた商業施設は大手だろうと撤退を繰り返しているため「長屋王の呪い」と囁かれているほど。
なお、大阪との間を結ぶ近鉄奈良線は、平城京の大内裏である平城宮跡地を堂々と通過している。平城京も近鉄王にはかなわない。現在は車窓から復興した朱雀門や大極殿を見ることも可能。
また奈良線の終点である近鉄奈良駅は県内唯一の地下駅。
景観保護もあり高い建物が少ない。JR奈良駅の高架化、及び周辺の再開発事業においても約10年の歳月を要した。(ホテルやベストリアンデッキの建設は断念されている)
南部
↑の地図は冗談であるが、県外の人がイメージする奈良県はだいたい奈良盆地とそれに吉野などを含めた程度であるが、実はその南側に更に広がっているのが奈良県全域である。
奈良県の南部の大部分を占める吉野郡は奈良県の面積の約60%近くを占める広大な面積を有するのだが、人口は県内の3%ほどしか存在しない。
おまけに近鉄吉野線が南大阪線を介して大阪都心まで直通する大淀町・吉野町(だいたい県外人のイメージする吉野はこの辺り)が郡内面積の6%ほどに過ぎないにもかかわらず郡内人口の60%を占めている。
しかし、南部が歴史や文化の無い未開の地であるかと言われればそうでもない。吉野が南北朝時代に南朝の都であった吉野は言わずもがな、十津川村は奈良盆地部と密接に関わりながらも全く異なる歴史を歩んできたことで知られる。
十津川は、古くは壬申の乱時に十津川郷士と言われた地元の武装集団が武功を挙げ、以来明治時代まで1200年以上に渡って朝廷から免税特権を与えられた一種の独立特区であった。
また、野迫川村は高野山に隣接し、古くから高野豆腐の産地として、高野山を通じてあがる米と交換しながら独自の生計を立てていた。
野迫川のような地形は極端であるが、吉野郡南部の村々はその余りにも急峻な地形から稲作も発展しなかったとされる。(柿や梨、杉や和紙などの産地となった)
吉野以南の観光地としては、十津川の他にも洞川温泉郷や、大台ケ原山、県内唯一のスキー場などがある。
近鉄線もこのエリアには線路を敷けず、奈良交通が地元の足となるが、そのバスも1日数本といったところ。
自家用車が走るはずの道路も1車線から1.5車線の貧弱なものが殆どで、頼みの国道もやっと南北の動脈である168号線・169号線が整備され始めたといったほど。
一方でこの不便さにやたらと惹かれるものも多い。また、古代から熊野古道が整備されていた関係で、古道が世界遺産に登録されて以降世界遺産の宝庫である。
更に、多くの貴重な動植物が残っている点も特筆に値するだろう。
国道168号線五條~十津川~和歌山県新宮には、延々縦断する奈良交通運営の「日本最長の路線バス路線」八木新宮線が走行している。6時間半をかけて奈良県の南北を縦断し、観光路線であるとともに地元民の大事な足である。
かつては東部の169号線にも北山峡特急バスと言われる路線が存在したが、系統分断され南部の池原から三重・和歌山県方面は沿線自治体の路線バスに代替されている。
大台ケ原より東側の南東部は南西部以上に利便性や観光資源に乏しいが、よりローカル感味わえる空間を所望なら、こちらに出かけてみるのもいいかもしれない。
東部
名阪国道や近鉄線・JR関西本線が通じているため南部より交通利便性は低くないが、田舎感は南部以上というエリアも多い。
なお、南部以外で奈良県の「村」は東部に集中している。
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