概要
8世紀初めに前身となる金鐘寺が建立されたと伝わる。聖武天皇により大和国の国分寺及び全国の総国分寺としての整備が進められ、天平勝宝4年(752年)には本尊である盧舎那仏像(大仏)の開眼法要が執り行われた。
平安時代後期の治承4年12月(新暦1181年1月)に平重衡が率いる平家軍と東大寺・興福寺の僧兵が交戦した際に兵火にかかり金堂(大仏殿)等を焼失したが、後白河法皇や俊乗坊重源らの尽力により再建を果たした。南大門はこの際の再建になるものが現存している。
戦国時代には今度は松永久秀と三好三人衆の交戦に巻き込まれて境内の多くを焼失。焼損した大仏の修復は江戸時代に入った元禄4年(1691年)、大仏殿の再建は宝永6年(1709年)にずれ込んでいる。これが現在の大仏殿になる。初代の大仏殿に比べると横幅が約5分の3に縮小されているが、それでも伝統的木造建築物としては世界最大とされる。
平成10年(1998年)、「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。
寺内の二月堂で毎年3月1日から同月14日まで行われる修二会(お水取り)は春を告げる年中行事の一つとして知られている。
南大門から大仏殿に続く参道の敷石は真ん中から色が分かれているが、インドの石→中国の石→朝鮮半島の石→日本の石と、仏教が伝来した順番に並んでいる。
境内の各施設
大仏殿
本尊:毘盧遮那仏
巨大な仏堂。前面部分の扉の上には、もう一つの扉があり、これを開くと外からでも奈良の大仏の顔が見えるというギミックになっている。
法華堂
本尊:不空羂索観音
法華堂とはお経の一つ『法華経』を講じる儀礼のこと。旧暦の3月に開催されたことから三月堂とも呼ばれる。
本尊の他に、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛神の像を安置中。日光菩薩・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の像もあったが、こちらは東大寺ミュージアムに移されている。
執金剛神像は秘仏。一年に一度公開される。
二月堂
本尊:二体の十一面観音
旧暦の2月に「お水取り(修二会)」がここで行われていることからこの名がある。
大小二つの十一面観音像があるが絶対秘仏扱いであり、一切公開されない。
戒壇堂
僧侶に戒律を授ける儀式が行われた堂。当初は真鍮製の四天王像があったが、のちに塑像タイプになった。この塑像は、四天王像の中でもとくに有名な作例となっている。
戒壇堂には講堂や僧坊なども敷設されていたが江戸時代までに三回火事で焼け落ちており、敷設施設は千手堂(千手観音の堂)しか現存しない。
開山堂
東大寺を興した僧・良弁をまつる堂。良弁像は八角厨子におさめられている。通常は立ち入り不可だが、12月16日のみ公開される。
俊乗堂
源平の争乱で焼け落ちた東大寺を復興した僧・重源をまつる。
関連タグ
さだまさし - 1980年の昭和の大修理完成記念でライブを行ったことから東大寺との縁が生まれ、2010年にもライブを行うほか、東大寺を題材にした楽曲「修二会」も作った。
外部リンク
- 「【東大寺に巨大な塔】奈良時代には境内に「七重塔」が存在 高さ約70メートル 上部の「相輪」を支える安定感ある構造」 カンテレNEWS(関西テレビ報道局の公式YouTubeチャンネル)、2024年4月25日投稿。