概要
奈良時代の日本の第45代天皇。文武天皇の第一皇子で、母は『藤原不比等(ふじわらの ふひと)』の娘・宮子。即位前の名は『首皇子(おびとのみこ)』。 尊号(諡号)を『天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)』、『勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)』、『沙弥勝満(しゃみしょうまん)』とも言う。
日本に仏教が渡ってきたころ、日本人は釈迦を『インドの神様』と捉え、インドの神を拝んで良いものかと、賛成する蘇我氏と反対する物部氏の間で論争がおこり、当時の欽明天皇が一度試してみることとし、その後、天皇家の間でも意見が揺れ動いた末に、聖徳太子の父である用明天皇が、天皇で初めて仏教を信じ学ぶようになった。
そうして聖武天皇の代において、聖武天皇は自らを『三宝の奴』(仏・法・僧の三宝に供養するため身を捨てて仏教の奴隷となること)と称し、歴代天皇で初の出家者となり、これ以降仏教は日本に広まっていくこととなる。
聖武天皇は、日本人僧の行基、良弁、インド人僧の菩提僊那(ボーディセーナ)、とともに、東大寺の『四聖』として祀られている。
略歴
即位までの経緯
大宝元年(701年)に生誕、景雲4年(707年)に父文武天皇が崩御し幼少のため祖母阿閇皇女(元明天皇)が即位、和銅7年(714年)に立太子するが翌年に霊亀元年(715年)に伯母氷高皇女(元正天皇)が即位し神亀元年(724年)に元正天皇から譲位され即位した。
光明子立后
神亀4年(727年)に妃光明子との間に基王が誕生し王を立太子をするが翌年の神亀5年(728年)に早世した。後に藤原氏は光明子を立后を望み長屋王排除に動き神亀6年(729年)に長屋王の変が発生し王を排除し光明子を立后したことで藤原氏が実権を握ったが天平9年(737年)に藤原四兄弟が死去し政治は橘諸兄が行った。
彷徨五年
天平12年(740年)に藤原広嗣の乱が発生し乱の最中に東国へ行幸したが平城京へ戻らず恭仁京へ遷都、後に紫香楽宮・難波京に移り政治を行う中、仏教へ帰依し全国に国分寺を創建の勅令を出した、さらに盧舎那仏像建立を命じた(最初は甲賀寺であったが後に東大寺で行われた)。天平17年(745年)に平城京へ戻った。
阿部内親王へ譲位
東大寺での大仏建立中の天平感宝元年(749年)に阿部内親王(孝謙天皇)に譲位し上皇となった、天平感宝4年(752年)に開眼供養の式に出席、天平感宝6年(754年)に唐から来日した鑑真から菩薩戒を受けた、天平感宝8年(756年)に崩御。
皇統
・基王 ー 聖武天皇皇太子
- 妃:広刀自 ー 県犬養唐の娘
・安積親王