概要
聖武天皇の第三皇女。母は県犬養広刀自。井上内親王の同母妹、孝謙天皇(称徳天皇)の異母妹。
称徳天皇と桓武天皇から計二度流刑を受けた。
経歴
天平宝字8年(764年)の「藤原仲麻呂の乱」では塩焼王が処刑され内親王の身分を失った。神護景雲3年(769年)に称徳天皇を呪詛したことで天皇から厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)と改名され京を追放され、志計志麻呂も土佐国へ流された。
称徳天皇が崩御し光仁天皇が即位した後に誣告だったため赦免され内親王の身分に戻った。しかし、延暦元年(782年)に「氷上川継の乱」に関与したことで桓武天皇により娘たちと共に淡路国へ流され、後に和泉国へ移った。その他、川継の舅である藤原浜成(麻呂の子)を始め大伴家持・坂上苅田麻呂も累を受けた。
不破内親王のその後は不明。ちなみに伊豆国三島に流されていた川継は20年以上経て桓武天皇に赦免され、平城天皇や嵯峨天皇にも仕えた。嵯峨天皇時代に発生した「薬子の変」での動向は不明だが2年後に伊豆守になっているため嵯峨天皇方に付いていたと思われる。