この言葉は基本的に皇帝の一族を指す言葉であるものの、日本においては天皇の一族を意味として使用される。
日本の皇族
天皇の系統に属する一族、具体的には皇室典範で定められたお方を申し上げる言葉で、天皇陛下、上皇陛下は含まれない。天皇陛下及び上皇陛下を含めた御一族の総称を皇室と申し上げる。2024年11月現在14方いらっしゃる。
人数の増加は「男子皇族の婚姻」、「皇族の降誕」また減少は「天皇の崩御による皇太子の即位」、「皇族の崩御又は薨去」、「各種事情による臣籍降下(現状では女子皇族の婚姻があげられる。ほかに戦後では事例はないが婚姻により皇族となった女子が離婚した場合、あるいは本人の申し入れがあり離脱が認められた場合などが該当) 」による。
身位
天皇の后を皇后、崩御された先の天皇の后あるいは今上天皇の母を皇太后、崩御された先々代の天皇の后あるいは今上天皇の祖母を太皇太后とする。
また、現在の制度では天皇の子・その男子の子・兄弟姉妹たる皇族は男子を親王・女子を内親王とする。右に該当しない皇族(例えば天皇の従兄の子、天皇の曾孫など)は男子を王・女子を女王とする。
直近の皇族が即位するなどして、天皇との関係が変わると、王・女王の身位が親王・内親王に昇格することもありうる(例えば、曽祖父が天皇の治世に産まれた王が、曽祖父の崩御・祖父の即位により親王となるなど)。
親王の妃を親王妃、王の妃を王妃と呼ぶ。内親王・女王の配偶者は皇族で無い限り皇室の成員とはならないが、例えば△△内親王が○○王と結婚した場合○○王妃△△内親王という呼び方になる。
戦前は皇太子・皇太孫は独立した身位であったが、戦後は皇太子たる親王・皇太孫たる親王とされる。
天皇と皇太子の子においては、幼少期の呼称として御称号が付与される。多くは漢字一字+宮(読み方は二文字+「の」+「みや」)である(例として、令和時代の今上天皇の御称号は浩宮(ひろのみや)、その第一皇女は敬宮(としのみや))が、稀に漢字二文字の時もある。
御称号は内廷(天皇と皇太子と皇室予算を共通にする家族)の皇族に限られるものであるが、例えば皇太子の長男に子が産まれた時御称号がつくのかどうかは不明瞭である(なぜなら、少なくとも明治時代以降実例が無い)。
これについては、そもそも御称号の存在は内規によるもので皇室典範などに法律として存在していないために基準が一部不明なままなのである(宮家も同様)。そして、近代以前は内廷に留まらず、全ての皇族の幼少期に御称号は付与されるものであったことを付け加えておく。
皇太子・皇太孫傍流の男子皇族は宮家を立て、何れ内廷を離れることとなる。宮家当主下に産まれた子孫は皇室予算上その宮家に属するが、「宮号」は宮家の当主にしかつかない(例:秋篠宮の宮号は、当主である文仁親王にのみつく。その子供たちにはつかない)。宮号は、宮家当主の長男に通常引き継がれるものであり、後継者のいない宮家は成員全員の薨去あるいは臣籍降下で断絶となる(当主不在でも、成員が一人でもいれば宮家自体は存続する)。
宮家当主でも、内廷でも無い皇族は諱+身位のみで名前が構成される(一般に、これに敬称として「殿下」が加えられるが、他称である)。もっとも、宮家を次に継ぐべき宮家当主の長男は「○○若宮」と呼ぶことがある(例:悠仁親王は秋篠若宮、故・寬仁親王は三笠若宮(存命時))。
関連項目
象徴:かつて第二次世界大戦という世界中の歴史で考えても最悪クラスの悲劇の先導者のひとりが当時の昭和天皇であった。そのため戦勝国であるアメリカが敗戦国である日本の統治を行おうとした際に、天皇の威光を利用して、そして逆に天皇を裁こうとすれば奮起する日本人が現れることを懸念して天皇は「戦犯」扱いはされていないが、政治等に関わる権利を全て奪われている(かつては全権を天皇が掌握していた)。それ故に現代の皇族は事実上「日本国のマスコット」程度の存在となっており、戦前のような実権は一切持っていない。他国においては国の代表たる王族には程度の違いはあっても実権があるのが当然なため、世界的にもかなり異色の存在となっている。
没落貴族、過去の栄光:今現在の状態に近い存在。天皇は一応現代でも「国の象徴」として扱われているが、第二次世界大戦後かつて持っていた権利はほぼ全て奪われており、「一応貴族(皇族)ではあるが権利その他がほとんど無い」という意味では扱いが近い。また皇族は悉くその言動はニュース等で報じられており、ある意味で世間の監視下に置かれているとも言えてしまう。なお、漫画などの創作物に出てくる没落貴族と異なり、皇族に復権の可能性は未来永劫ほぼあり得ないのだが。