概要
御大典とは、御践祚の式と、御即位の式と、大嘗祭との、大体三つの大礼から成り立っている。
その歴史的起源は、初代神武天皇が地を大和の国、畝傍山の東南にある橿原にお定めになり、ここに宮居を御創建になって、ここにおいて即位なさるに及んで、天富命が諸齋部を率いて、天璽(あまつしるし)の鏡剣を捧げて正殿に奉安し、天種子命が古事によって天神の寿詞(よごと)を奏上し、道臣命は来目部を帥いて、宮門を衛護してその開闔を掌り、……(以下編集中)
御即位の御場所
即位大礼は、神武天皇以来、その御代御代の都において行われた。近代以降も、歴史的な都は京都、政治の中心の都は東京で、変わらず日本には東と西に二つの首都がある。そのため大正・昭和の御大典は京都で行われたが、これは過渡期であり平成以降は東京で行われることとなった。
大礼前儀
即位大礼
即位大礼は、天皇が践祚なさった後、日を定め儀を整えて、天津日嗣高御座(万世一系の皇位)を継承され、日本国を統治する国家主権の本位にお即きになることを、賢所大前の儀で皇祖皇宗に親告なさり、また同時に紫宸殿の儀で国民に宣言なさる式典である。
①賢所大前の儀
聖上陛下が神鏡を奉戴され、かつ御みずから皇祖の神霊に即位のことをお告げになる儀式。
②紫宸殿の儀
森厳極まりない御儀で、聖上陛下は束帯に黄櫨染御袍を召され、諸員敬礼裡に殿上にある高御座にお昇りになる。このとき束帯姿の内閣総理大臣は、正殿の下に参進し、北面して高御座を仰ぎまつり、天皇陛下は勅語を宣わせられる。勅語が終れば、総理大臣は再び正殿を昇り、謹んで寿詞を奏する。奏し終れば、総理大臣は再び正殿を降って庭上にある左右萬歳旛(後述)の間まで退き、立止り北面して高御座を仰ぎ「天皇陛下万歳」を三唱する。参列の諸員は一斉にこれに和し、荘重森厳、真にたぐいなき情景を見ることとなる。
紫宸殿
高御座
萬歳旛
厳瓮と魚形
③御即位後一日賢所御神楽の儀
賢所に御神楽を行われるのは、皇祖天照大神が天の岩戸におかくれになった時、天鈿女命が舞ったのに始まる。要するに皇祖の神霊を慰められるもので、宮廷の雅楽中最も重きをなすものである。夕方から夜明けまで行われる。
④神宮、皇霊殿、神殿並に官国幣社に勅使発遣の儀
賢所御神楽についで、伊勢神宮をはじめ宮中皇霊殿、神殿、および全国の官国幣社へ、勅使を差し立てて奉告のことがある。
大嘗祭
大嘗祭(だいじょうさい)とは、天皇が即位なさった後、初めて豊葦原千五百秋瑞穂国(日本)の
新穀で、皇祖および天神地祇を悠紀・主基の両殿にご請饗になり、かつ御みずからもそれをきこしめされる大御祭である。これにより、天皇の神様は一心同体となられる。
大嘗宮
斎田とその地名
大饗
憲政下の御大典
大正天皇 | 昭和天皇 | 明仁上皇 | 今上天皇 | |
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即位礼 | 紫宸殿の儀(京都) | 紫宸殿の儀(京都) | 正殿の儀(東京) | 正殿の儀(東京) |
年月日 | 大正4(1915)年11月10日 | 昭和3(1928)年11月10日 | 平成2年(1990)年11月12日 | 令和元(2019)年10月22日 |
内閣総理大臣 | 大隈重信 | 田中義一 | 海部俊樹 | 安倍晋三 |
大嘗祭 | 京都御苑仙洞御所 | 京都御苑仙洞御所 | 皇居東御苑 | 皇居東御苑 |
年月日 | 大正4(1915)年11月14・15日 | 昭和3(1928)年11月14・15日 | 平成2(1990)年11月22・23日 | 令和元(2019)年11月14・15日 |
悠紀国 | 三河国(愛知県) | 近江国(滋賀県) | 羽後国(秋田県) | 下野国(栃木県) |
主基国 | 讃岐国(香川県) | 筑前国(福岡県) | 豊後国(大分県) | 丹波国(京都府) |
関連動画
御大典をお祝いする歌
https://www.youtube.com/watch?v=BWFx0y3ygQY
風にヒラヒラ あれ美しや 見事に並ぶ日の御旗 今日のめでたい御大典 さあさどなたも祝いましょう 万歳 万歳 万々歳