坂上苅田麻呂
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さかのうえのかりたまろ
坂上苅田麻呂とは奈良時代の貴族・武人。坂上田村麻呂の父。
神亀5年(728年)に誕生、橘奈良麻呂の乱では乱の関与者の賀茂角足の酒宴に招待された、後に授刀少尉となる、天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱が起き孝謙上皇の命で山村王が駅鈴と玉璽を奪うが仲麻呂の命で子の訓儒麻呂が駅鈴と玉璽を奪還したため上皇の命で道嶋嶋足と共に訓儒麻呂を射殺した、この件によって従四位下中衛少将となる。神護景雲4年(770年)、称徳天皇崩御後に道鏡を排除。同年に鎮守府将軍、後に安芸守、丹波守を歴任。天応元年(781年)、桓武天皇の即位に伴い右衛士督に就任した。翌年の天応2年(782年)に氷上川継の乱が起き事件に関与したため解官の処分を受けたが、程なくして赦免され延暦4年(785年)に従三位左京大夫となる、延暦5年(786年)に死去。
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