橘奈良麻呂の乱
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たちばなのならまろのらん
橘奈良麻呂の乱とは奈良時代の事件。
奈良麻呂の父橘諸兄は聖武朝から孝謙朝まで政治を行っていたがやがて仲麻呂が紫微中台に任じられ勢力を上げて行った。諸兄の勢力は落ち政務を引退する。天平勝宝8年(756年)に聖武上皇が崩御、皇太子は道祖王であったが翌年の天平勝宝9年(757年)に廃太子となる。仲麻呂によって皇太子は大炊王となり養老律令を施行した。
奈良麻呂は仲麻呂の政治に不満を持つ貴族達を集め反乱計画を開始し大伴古麻呂・小野東人・多治比犢養・賀茂角足などを集め仲麻呂を討ち天皇と皇太子を廃し塩焼王・道祖王・安宿王・黄文王のいずれかを即位させる画策を立てた。
しかし山背王の密告により事態は発覚、光明皇太后が宣命を出したことで一時静まるが上道斐太都が仲麻呂に密告をし計画に関与した小野東人は捕らえられ尋問を受ける。東人は計画を全て白状し奈良麻呂ら関係者は捕えられた。奈良麻呂は尋問を受け計画を白状した。その後奈良麻呂・古麻呂・犢養・角足・道祖王・黄文王らは拷問を受け獄死、安宿王は流罪、仲麻呂の兄豊成も流罪となった。
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