概要
橘諸兄の子、母は藤原多比能(藤原不比等の娘)、官位は正四位下、参議。
経歴
天平12年(740年)に従五位下となる。大学頭・摂津大夫・民部大輔となり、天平21年(749年)に参議になる。当時政治は父諸兄が行っていたが光明皇太后に信任を受けた仲麻呂が勢力を増し、諸兄も引退に追い込まれていった。後に皇太子道祖王が廃太子となり仲麻呂によって大炊王を皇太子に立てたと同時に権力を上げていった、奈良麻呂は不満を持ち仲麻呂を暗殺し大炊王を廃し新たな皇太子を立てる計画を進めていくが密告により同志と共に捕らえられその後の処分は不明だが拷問を受け獄死したと言われている。
家族
子の清友の娘嘉智子は嵯峨天皇の皇后となり仁明天皇を産んでいる、これによって奈良麻呂は正一位、太政大臣の位を贈られている。