概要
父は橘峯範、母は藤原末永の娘、官位は正四位上、参議、初名は博覧。
経歴
承和4年(837年)に誕生、文章生から六位蔵人となり貞観9年(867年)に従五位下、文章博士となる、後に東宮学士、民部少輔、右少弁、左少弁などを経て貞観19年(877年)に式部大輔、蔵人頭となる、元慶5年(880年)に右大弁、元慶8年(884年)に参議となる、後に左大弁を兼任、仁和3年(887年)に藤原基経に阿衡に任じさせる勅書を作成するが藤原佐世が介入し基経は1年間政務を行わなくなった、翌年に菅原道真が仲裁したためこの一件は収まった(阿衡事件)、寛平2年(890年)に死去、死後従三位、中納言が贈られた。
人物
朝官当唐官略抄の著書である。