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概要編集

新田部親王の王子、孝謙天皇皇太子(後に廃太子)。


経歴編集

天平9年(737年)に従四位下、中務卿まで進んだ、天平勝宝8歳(756年)に聖武上皇の崩御の際に上皇の遺言で孝謙天皇皇太子となる。天平勝宝9歳(757年)に諒闇中に淫らな行為をし天皇が咎めても改めないことが問題となり廃太子となる。結果藤原仲麻呂によって舎人親王の王子大炊王を皇太子に立てた、同年に橘奈良麻呂の乱によって捕らえられ天皇から麻度比(まどひ)という名に改名され杖下の拷問を受け獄死した。


外部リンク編集

道祖王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇族 奈良時代 皇太子 廃太子

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