生没年 733(天平5)年~765(天平神護元)年
在位 758(天平宝字2)年~764(天平宝字8)年
諱 大炊
生涯
誕生から即位まで
幼少期に父を亡くし、後ろ盾がない生活をしていたが天平勝宝9年(757年)に大納言・藤原仲麻呂の推薦で孝謙天皇の皇太子となる。さらに仲麻呂の長男藤原真従の未亡人・粟田諸姉と結婚し仲麻呂とは深い関係となった。天平宝字2年(758年)に孝謙天皇から譲位され即位し同時に仲麻呂も勢力を上げていくこととなる。
廃位
天平宝字6年(762年)に孝謙上皇が道鏡を寵愛し仲麻呂の意見を天皇が上皇に伝えるが上皇を激怒させ以降対立が激化することになった。後の天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱が発生するが天皇は仲麻呂とは行動しなかった。その後仲麻呂は近江国で殺され上皇によって廃位を受け淡路国に流された。皇位は上皇が称徳天皇として重祚した。
翌年の天平神護元年(765年)に現地で崩御。しかしこの死は反称徳天皇・道鏡派に担ぎ出されるのを恐れた天皇の指示による暗殺との説がある。
朝廷に叛いたことによって淡路廃帝と称されたが後に明治3年(1870年)に淳仁天皇の諡号が贈られた。
皇統
- 妃:粟田諸姉
- 妃:
・安部内親王