概要
経歴
天平5年(732年)に従四位下、中務卿となるが伊豆国へ流罪となる。正四位下に進む、天平勝宝9年(757年)に弟道祖王が廃太子となり皇太子の候補の一人であった、同年の橘奈良麻呂の乱に加わったが免罪となり後に臣籍降下をして氷上真人の姓を賜われた。従三位、参議、中納言に進んだ、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では仲麻呂と共に近江国へ逃亡、仲麻呂から今帝と称されたが仲麻呂と共に処刑された。
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
しおやきおう
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。