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概要

光明皇后の前の氏名。「安宿媛(あすかべひめ)」とも。

701~760年まで生き。聖武天皇に嫁ぎ、天平元年(729年)には人臣で初立后される。

皇后と成った後も「藤三娘」と署名をするなど藤原氏としての意識は持ち続けた。

仏教を厚く信仰しており、悲田院(貧困者・孤児を救済する施設)や、施薬院(病人・飢餓に苦しむ人)を建てるなど苦しい立場の人々を救済したことでも知られる。

法華寺の浴室で皇后自らが病人の身体を洗い、ハンセン病の重病患者のを口で吸い出したという逸話がある。

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