ハンセン病
はんせんびょう
ハンセン病とは、らい菌によって引き起こされる感染症。
かつてはらい病と呼ばれた病気。らいの漢字表記は「癩」だが、常用漢字に含まれない為一般には平仮名表記が多い。
ハンセン病の名前はノルウェーの医師で病原菌を発見したアルマウェル・ハンセンに由来する。
感染ルートは患者の体液との濃厚接触が長年続いたケースが多い。しかし、それでも95%の人は接触のうちに免疫が形成される。
潜伏期間が数年単位と長いが、感染力そのものはさほど強くなく、また治療薬の出来ている現在では弱い感染症の部類に入る。
そのため、感染したとしても発病の確率は低く、現代の日本人の衛生環境と栄養状態・免疫力では自己治癒で顕在化しないことの方が多い。
発病すると末梢神経を侵されるため、触覚の低下や自己治癒力の低下といった状態から始まり、
悪化すると皮膚や骨の変形で容姿が崩れていき、神経症状からの失明などを招く。
病気そのものは古代ギリシャ時代から知られており、旧新約聖書のいずれにもかつては「らい」の記述があった(現在は医学的・考古学的見地が再考されてさまざまな言い換えが行われている)。
しかしながら歴史の長さに対して19世紀まで原因すら不明、20世紀半ばまでは治療法がなかったこともあり、無残な見た目から家族とも縁を切られ、世間からも激しい差別の対象とされることも多かった。
伝染すると長らく誤解されていたが、前述のとおりらい菌自体の感染力は弱い。
むしろ隔離されていた場所が不潔なためしばしばダニが増殖し疥癬が起こった。
この病気はダニ保持者との接触などで感染し、かゆみを伴うほか髪の毛が抜けたり皮膚がガサガサになったりするのであたかも「ハンセン病が伝染する」ように見えたのだろう。
しかし衛生状態や栄養状態の改善された国では減少傾向にあり、1943年に特効薬プロミンが開発されて以降は、完治する病気になった。現在日本では新規患者は大幅に減っており、仮に感染してもほとんど外見に影響を及ぼさない軽度のうちに完治する。しかし政情不安定な国では衛生状態が良くないこともあり未だに新規患者が多数発生している。
また患者を人里離れた療養所に隔離することもよく行われており、日本でも昭和初期から戦後暫くにかけては患者を強制的に療養所に収容したりといった政策を行っていた時期があった
(隔離政策自体はカール大帝時代から存在したが、戦前・戦中の強制収容と戦後の優生保護法に基づく中絶・断種手術は当時の国際学会からも批判の対象となった)。
こうした政策が完全に終わりを告げたのは1996年(平成8年)4月1日に施行された「らい予防法の廃止に関する法律」である。
しかしこの政策が見直され始めた頃は既に療養所に強制収容された世代の元患者達は高齢化しており、子供を残すことも出来ないまま社会や家族とも切り離されて久しいため一般社会に戻る事ができず、病気が治ってもそのまま療養所で暮らしている。療養所、と名前が付いているがこの病気での療養者は片手で数えられる範疇であり、事実上の老人ホームである。
なお、各療養所には現在も「胎児標本」として人工妊娠中絶手術で堕胎させられた胎児がホルマリン漬けの状態で残されている。
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