概要
特定の言語・言葉の使用を禁じる社会的な規制をかけることが多々ある。これを否定的に表現した名称である。
筒井康隆が書いた「無人警察」での一連の事件がきっかけで「言葉狩り」が生まれた。
下記の事例が「言葉狩り」と称される。しかしこれらの事例で、たとえ使用者に悪気はなくとも、心象を悪くする人がいることも忘れてはならない。社会的信用を安定的に保つためには、「言葉狩り」の是非は関係なく「口は災いの元」と肝に銘じ、自身の発言内容に留意するべき、とも言える。
とは言え、「言葉狩り」というよりも、その「言葉を使った表現」を生み出した思想・テーマ・表現者側が常識と思っているが「言葉狩り」をやってる者達にとっては、そんなモノが「常識」であって欲しくない何かなどが「狩り」の対象にされている場合も有るので、「言葉狩り」という呼び方は「敵」(の目的)を矮小化して事態を甘く見積もる事に繋る、「言葉狩り」という呼び方そのものが起きている実態を正しく認識するのを阻害する、「言葉狩り」という呼び名が定着してしまった事がある意味で「狩る」側と「狩られる」側の間の齟齬と断絶と「お互いに話が通じない」事態をより悪化させている、という一面も有ると言える。
「言葉狩り」をする側からすれば「狩り」たいのは別の何か(思想・発想や表現者側が「常識」と思っている何かの概念)だが、IT技術の発達などにより、その「狩り」の手段としては、特定の単語を検索してヒットしたものを対象にするのが最も効率が良いから「言葉(≒特定の単語)」を「狩って」いるように見える事も十分に考えられる。この場合であればAIなどの発達により「特定の単語」ではなく「特定の単語が含まれていなくとも、特定のパターンに合致する画像・文章」を効率良く検索する事が出来るようになれば「言葉狩り」のやり方も変わっていく事も十分に考えられる。
例えば、同人誌・アダルトゲーム等のダウンロード販売サイトで販売するコンテンツで「催眠」「ロリ」などのワードが使えなくなっている問題では、IT・AI技術の発達などで「催眠ものの18禁コンテンツに良く有るパターンの絵」「ロリものの18禁コンテンツに良く有るパターンの絵」を効率よく見付ける技術が実用化・普及した場合には、それまでは「言葉狩り」だったものが「言葉狩り」を行う側の目的はそのままに、具体的な「絵」「動画」の内容によって規制が行われるように「目的を達成する為の手段」が変わっていく事態も将来的には十分有り得る。
だが、松山ケンイチの「嫁」発言のように、個人の偏った一方的な否定によるものも少なくなく、頭ごなしに何でもかんでも規制するのは言論の自由の侵害に繋がってしまう大きな危険性を孕んでいる。
実際に海外では既に後述する嘘のような事例が起こっているという。
「言葉狩り」とされる事例
- 矢口高雄の名作漫画である『釣りキチ三平』も、タイトルに含まれる「キチ」の言葉が「気違い」の意味そのままであることから、これが差別的であるとして批判を受けた。作者は「釣りが好きで好きでたまらない三平」という意味で使用したものであり、差別的意識は全くない。
- さだまさしの楽曲『関白宣言』の歌詞が女性差別的として、歌詞を真に受けた女性から抗議を受けた。しかし『関白宣言』は、結婚を前にした男が「亭主関白」となることを宣言しつつも、男の不器用で依存的な性格からそれが実現しないことをほのめかす「コミックソング」として作詞されたものであり、歌詞の内容はさだの考えとは異なる。(のちにさだはアンサーソングとして『関白失脚』を発表している)
- 笠置シヅ子がオリジナルを歌った名曲『買物ブギー』には、曲の後半に「つんぼ」と「めくら」という表現があるため、現代においてカバーされる分には、その部分を改変したり該当箇所を丸ごと削除したりすることで対処している。が、原曲を聞くとこの歌詞は別に目や耳が不自由な人を中傷する意図があるわけではないと解る。障碍のある人が社会参加することでいろいろ困ったことが起こるのは当たり前(そしてそれに対し社会を改めていくことで、健常者にとってもより住みやすい社会になる)なので、この場面自体をなくして最初からなかったことにしようという動きがあるのは残念である。
- 松山ケンイチがバラエティ番組に出演した際、「髪が伸びた時には自分で切ったり、嫁に切ってもらっている」と発言したところ、SNS上で「嫁という間違った言葉を広めないでもらいたい」「嫁という発言はまずかった」という批判の声が投稿された。だが、「何が悪いのか?」「言葉狩りだ」といった擁護の声も寄せられ、ネット上では批判派、擁護派、双方の意見が入り乱れて、ツイッターのトレンド入りするほどの注目を集めた。
- 『雌伏雄飛』という四字熟語は、「女性が人に付き従って、男性が活躍する」として女性差別だという意見が多い。だが、本来の意味は「将来を期して人の下に従い、低い地位に甘んじ、やがては大いに羽ばたき活躍すること」であるため、なんら悪い意味は無いのである。そもそも、「雌鳥が雄鳥に従い伏す」ことの例えであるのに、それを「(人間の)男女」に置き換えるのは見当違いであるという意見も見られる。
海外
こうした言葉狩りは海外でも横行し社会問題となっている。
例として、アメリカでは以下のような信じられない事例がある。かつては耳の聞こえない人のことを英語では「Deaf(上述した日本語における“つんぼ”と同義語)」と呼称され、昔から使われてきたが、近年はこれが差別的な用語だとして指弾され使用されなくなった。
背の低い人のことを、元々は「Short(日本語における“ちび”と同義語)」と呼称されたが、これも同様に差別だとして使用を禁じ「Vertically Challenged」と呼称するよう強要されるようになった。この「Vertically Challenged」は、日本語に直訳すると「垂直方向に努力を要する人」となり、つまり背が低いことは縦的な障害を持っているということになる。
文字単位の言葉狩り
昨今の日本では、ネガティブな意味を持つ漢字そのものを理由に問わず使おうとしないケースも見られ、特に「死」や「殺」の漢字は顕著に見られる(この辺りの事情は伏せ字の記事も参照)。YouTubeにおいて動画内でこの漢字を使うと収益化が止まるというケースが発祥とされており、Twitter等のSNS上でこれらの漢字を使いたがらない人が増えてきているが、「死球」や「殺到」のようにネガティブな意味を持たない言葉も多数存在しており、かついずれも小学生の時点で習う漢字である事から、漢字そのものを蔑ろにしているのではないかという声も多い。
似たようなニュアンスで「障害(障碍)」を「障がい」と表記するパターンも見られ、「障害者を蔑ろにしてはいけない」という建前で2000年台から使われ始めているが、「当事者に落ち度はなく社会に障害がある」「文字を変えただけでも正当な意味がない」と言った理由から平仮名混じりの表記に疑問を持つ人も多い。(この場合、「障害物競走」と言った具合に体の障害に関係ないものは普通に漢字表記で表される為、ある一種のダブルスタンダードになっている)