曖昧さ回避
語意
この単語自体は、中国の後漢書や、日本の「続日本紀」などに見られる。思うままにふるまうこと、他のものから制約・拘束をうけないで自分自身の本性に従うこと。
自には思いのままの意味があり(自在など)、由にはよる、もとづく、より従うの意味がある(由来など)。他、「楽市楽座」のように、「楽」が自由に近い意味でも用いられた。
「自由」には、①気まま、思うままにする、②他から規定・拘束・強制・支配を受けないで、すべて自分の意志によって行動できること、③法律の範囲内で、思うままに行動できることの、三つの意味がある。
そもそも自由という言葉は、欲望からの解脱を意味する仏教用語である。日本語としては、良い意味でも用いられたし、「我儘」や「放蕩」など、悪い意味でも用いられた。また、 福沢諭吉が英語のリバティ(liberty)を訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。
哲学的には、自己主張と自己制御に基づいた自立せる意志の表現ともいわれる。時代や思想によって、意味するところが違ってくる。
英語のリバティ(liberty)とフリーダム(freedom)との違い
freedomとlibertyは、英語話者も日常の言葉としては、そこまで厳密に区別せず、しばしば同じ意味の単語として扱う。しかし、厳密に意味を定義すると、freedomは束縛されない自由,、libertyは束縛から解放された自由を指す。
このことから、専制政治からの自由を目的に生まれた思想である「自由主義」は、英語では「liberalism」である。また、さらに遡るなら、libertyはラテン語のliberから借用された単語である。
法律上の自由
明文化された憲法を持つ国は、どの国でも国家権力からの自由(自由権)が保障されている。
日本国憲法には以下のような自由権がうたわれている。
精神的自由
経済的自由
- 居住移転の自由・職業選択の自由
人身の自由
- 奴隷的拘束・苦役からの自由・令状なき不当な勾留など、正当な法的手続を踏まない不当な拘束からの自由・勾留拘束に当たっての法定手続の保障
自由権の濫用はしてはならない(憲法12条)
- 権利の濫用はこれを許さない(民法1条3項=罰則の適用)。
デメリット
人間は、本性として自由を求める傾向を持つが、同時にそれに伴う孤独や責任を受け止めることができず、特に自らの安全が脅かされている時に絶対的権威への依存と服従を求める傾向もまた人間には存在する(自由からの逃走)。
また社会的な面では、人々が自由になるのは社会が安全になった証であり良い事のように見えるが、「群れない」事と表裏一体であるため、異なる価値観同士の衝突が頻発したり、個人主義が浸透して未婚化や少子化の一因になっている側面もある。
自由を求めて独裁政権を倒したら一転して泥沼の内乱状態になってしまった、というのは大小さまざまな民族が入り乱れる中東・アフリカ諸国でよくある事である。
余談
ちょっとした雑記である。
読み飛ばしていただいて構わない。
自由を「何をやっても良い」と解釈する人は多い。
しかし、「自由」という漢字の【由】の字には、“原因・経緯・関連”といった意味もある。
つまり『自らを原因に当てはめる』とも読み下せる。
何物にも束縛されない、それは裏を返せば自分に全ての原因と責任が押し寄せることも意味する。
自由とは、束縛から開放こそされていてもは無責任にはなれないものでもある。
何を始めてもいい、何をやっても良い、何を考えても良い。
だがその責任の所在も自分にしかない。
“自由”には、常に“責任”が寄り添っている。
一人で立って歩く以上、荷物を背負って歩くのも自分しかいないのだ。
関連タグ
法律上の自由
自由の奴隷……ある人物が自由を求めた末にたどり着いた結末。そしてそのある人物の人生を的確に表した言葉。
道を違えば、自由も足枷となってしまうのである