注意!!
この記事にはアニメ版『進撃の巨人』のネタバレが含まれています。
閲覧の際には十分に気をつけてください。
概要の奴隷
アニメ版進撃の巨人最終回にてエレンが自信の人物像や生き方を総称して言ったセリフ。
セリフから勘違いしがちだがアルミンはこの単語を発しておらずあくまでエレン自身が言った単語。アルミンが言ったセリフは正しくは「どっちだよクソ野郎に屈した奴隷は…」である。
エレンは誰よりも自由を求めており、その自由を奪うものや束縛するもの達を嫌悪し、自由を奪うものの自由を奪う気質である。
が、逆に彼の場合は自由に固執しすぎて(他にも寿命があと4年しかないことや未来がどうやっても変わらない等の要因もある)自由を求めて進撃する以外の生き方が出来ないことから皮肉にも「自由の奴隷」と呼称した。
またエレンが継承した「進撃の巨人」も誰よりも自由を求めていながら、未来の最終継承者の思想と運命に縛られながら進撃するという自由を求める最も不自由な巨人であることからこの巨人に対してもそう呼ばれる。
哀しきかな、エレン・イェーガーという人物と人生にピッタリな言葉となってしまった。
関連タグの奴隷
エレン・イェーガー アルミン・アルレルト 進撃の巨人(能力)
運命の奴隷……誰よりも自由を死に物狂いで求めたエレンは文字通り、「自由」という名の「運命」に囚われた奴隷であった
眠れる奴隷……エレンは終始、眠れる奴隷から覚めることができなかった人物とも言える
最後に
はたして彼だけが奴隷だったのか?
もちろん地ならしという虐殺行為が許されないのは前提として、仮に力を手にしたのが彼以外だったとして同じ道に進まないという保証はあるのかと言えばそれは違う。
何かの奴隷になることは悪もしくは恥じる生き方なのか?
否、作中の登場人物は方向性は違えど、みな何かのゴールに向かって進み続けたのである。それが正しいことなのだと信じて何かの奴隷になったのである。
そういう意味ではエレンも他の人物達も変わらないのではないだろうか。
最後に彼の言葉で締めくくろう。
「俺が見てきた奴らはみんなそうだった」
「酒だったり女だったり神様だったりもする」
「一族・王様・夢・子供・力」
「みんな何かに酔っ払ってねえとやってらんなかったんだな」
「みんな...何かの...奴隷だった」