「生まれて来た事自体が悲しい」場合、その人物はどうすればいいのだろうか?
人は生まれる場所を選べません。幸せな家庭に生まれる人もいるし、最初からヒドイ境遇に生まれる人もいます。
で、もし「運命」とか「宿命」とかが、神様だとか、この大宇宙の星々が運行するように、法則だとかですでに決定されているものだとしたら、その人物はいったいどうすればいいのだろうか?
そのテーマがこの第5部「黄金の風」の設定であり、登場する主人公や敵たちです。
我々はみんな『運命』の奴隷なんだ
やはり形として出たものは………変えることはできない…
何者たちか知らないが彼らはこれで『苦難への道』を歩み そこで何人かは命を落とすことになる!
概要
初出は第5部最終話のスコリッピのセリフから。
前部でジョセフ・ジョースターが言った「黄金の精神」をもってしても、必然的に変えられない「運命」の事を指す。
当エピソードにてスコリッピは「ミケランジェロは「究極の形」は考えて彫るのではなく、すでに石の中に運命として「内在している」」と例え、彫られた人間の「死ぬ運命」を映し、触れた者を安楽死させる石のスタンド能力「ローリング・ストーンズ」を出現させている。
ミスタはスコリッピの意思に関係なくブチャラティを安楽死させようと動き出す「ローリング・ストーンズ」を止めることには成功するが、彼らの先に待ち受けるのは悲惨な運命であった…
しかし……彼らは全員こーなのか?あそこから飛び降りて「石」を破壊するとは……
あのブチャラティという仲間のために……!!平気で…
彼らがこれから歩む「苦難の道」には何か意味があるのかもしれない……
彼らの苦難が……どこかの誰かに希望として伝わっていくような何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない……
しかし、スコリッピの言う『運命』と護衛チームが歩もうとした『真実』は違うのだろう。
「ジョジョの奇妙な冒険」作者、荒木飛呂彦は、執筆に「キャラが自分の意思を超えて勝手に動き出す」と語っており、「自分の中でもキャラの歩む展開に逆らうことはできない」と語っている。
「黄金の風」は護衛チームのメンバーが自ら動くことによって止まっていた『眠れる奴隷』である心を再び動かし、たとえそれが死の運命に向かう事になろうとも『目覚めること』で死の運命の中で自らと向き合うこと=「真実」に辿り付く物語、とも云える作品である。
無事を祈ってはやれないが……彼等が眠れる奴隷であることを祈ろう…
目覚めることで…何か意味のあることを切り開いて行く『眠れる奴隷』であることを…
オレたちがここまで到達したことが………完全なる…勝利なのだ これでいいんだ全ては…
運命とは『眠れる奴隷』だ……オレたちはそれを解き放つことができた……それが勝利なんだ……