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概要編集

子供・若年層の人口が減少する現象を指す。

主に女性出産する子が減ることで発生する。


原因としては、経済的な負担の増加、女性の社会進出に伴う未婚化及び晩婚化、核家族化により祖父母など子育てを肩代わりできる存在の減少、結婚や出産に対する価値観の変化などが在り、果ては経済難や社会の閉塞感に由来する反出生主義に結び付いている事もある。

これが行き過ぎると人口の急減と高齢化による人手不足や経済発展への影響は避けられない為、社会問題として扱われ、少子化が進みすぎた国では出生数の増加政策が急務となっている。


中には経済発展を待たず資源土地・職など様々なものの不足に対応する為、政策的に強引に推進した例もある(中国一人っ子政策など)。


近年は中南米東南アジアインドバングラデシュなど発展途上国でも社会の安定と女性の地位の向上により出生率の低下が著しいが、アフリカの多くの国やアフガニスタンなどの政情不安な最貧国の出生率は(低下傾向にあるとは言え)今なお高く、人口増減の不均衡は世界的な問題となっている。


詳細編集

一般的に女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均を合計特殊出生率と言い、これが2(厳密には人口置換水準)を下回れば人口は自然減となる。

2021年の日本の合計特殊出生率は1.30であり、2005年の1.26に比べれば回復傾向だが、出生数は2017年に100万人を割り、2021年には81万人にまで落ち込んだ。

これは出生率が回復してもなお人口置換水準を大きく下回っている事と、40代未満の「出産適齢期」の女性の数自体が減少している為である。


日本を含む幾つかの先進国で特に深刻化しているのは、ごく一部の年齢層の人口が極端に多い(1947年〜1949年生の団塊の世代の前後)為、この人口層が年金世代に入ったときに若年層の負担が一時的に(とは言え日本では2000年代末から2030年代中頃までの30年くらいに亘るが)急増するのではないか、という点にある(年金崩壊論)。


ベビーブーム世代の高齢化を、子世代である第二次ベビーブーム(日本では団塊ジュニア世代、1971年~1974年生)が現役の内に乗り切ってしまえば、後は年齢別人口分布層はいわゆる釣鐘型に戻り、人口は緩やかな減少傾向で安定するのではないかと思われるが、これは出生率が2.0に近い水準まで回復するのが前提である。


団塊世代の高齢化を乗り切った後は団塊ジュニア世代の高齢化が待ち構えており、合計特殊出生率が2022年実績で1.26という低水準では、将来の人口急減を回避できる見通しは全く立っていない為、少子化を前提とした社会作りが急務となる。


因みに、少子化自体は1957年から始まっている事に為っているが、当時はそれでも出生率2.04という数値であった。

第一次オイルショックが起こった1975年から2.0を切り、その後も緩やかに下降を続けている。

「出生率が過去最低を更新」とニュースになるのが恒例化して久しい状況が示す通り、日本の少子化は歯止めが掛からない状況が長らく続いており、東京都に至っては2023年に47都道府県で唯一出生率が1を割り切ってしまった為、選挙においても少子化対策は公約の定番となっている。


海外編集


出生率の低下は主要国ではフランスが世界でもっとも早く、工業化前の18世紀から進み始めていた。

このことが普仏戦争の敗戦を招いたと言われ、伝統的に少子化への危機感が高い。


第一次大戦当時、兵役の中心となるべき20歳代のフランスの人口はドイツの60%未満だったと言われている。

第二次世界大戦後には日本と同じくベビーブームが起こるが、日本と異なるのは1960年代まで長く継続した点である。

これが日本やドイツの様に極端な凸凹のない安定性の高い人口構成に繋がった。


1970年代には出生率が急落したものの、手厚い子育て支援策により2000年代末には2.0を超え、ドイツと明暗が分かれる形で少子化対策の模範と言われた。

しかし、2015年から下降線を辿り始めた。これはフランスの女性が若い時期に仕事を重視する傾向が進んだ事による。

いかに経済的な子育て支援策や母親の育児負担軽減策が充実していても、産み始めが遅くなると生涯に持つ子どもの数が減ってしまうのは避けられないのだ。


アメリカでは豊かだった逃げ切り世代のベビーブーマーを「Boomer」と呼ぶに対して、逃げ切れなかった世代を「Doomer」と呼ぶネットミームがあり、世代間闘争の種になっている。


G20の国々は殆どが少子化を迎えつつある。

BRICsと呼ばれる中国ロシアブラジルの合計特殊出生率は何れも2を割り込み、1.5~1.7前後となっている。

世界で最も少子化ペースの早い韓国の合計特殊出生率は、2018年以降1を割り込んだ。


少子化と移民問題編集

先進国は例外なく少子化傾向に悩まされているが日本以外の先進国は人口減少を移民によって補っている。

統計的に日本は先進国で最も少子化が深刻である様に見えるが他の先進国は20世紀後半から移民で統計上の人口減少を誤魔化しているだけで実際は日本以上に少子高齢化が進行している

更に移民による犯罪発生率や社会保障費の増加、宗教的対立等の新たな問題も発生している。

この様な背景もあるため日本の新聞、テレビ、フェミニストの「日本は少子化対策の為に欧州、特に北欧の政策を見習うべきである」という主張は的外れであると言える。


日本でも外国人技能実習生に対する人権侵害の問題等があり、決して他人事ではない。


少子化と上昇婚(ハイパーガミー)問題編集

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女性が結婚相手を選ぶ際、自身よりもかなり社会的身分の高い男性を対象と考える傾向が見られる。これを上昇婚(ハイパーガミー、hypergamy)と呼び、先進国のみで無く新興国でも問題になっている。


例として挙げられるのは日本のバブル期に女性側から男性への要求で見られた三高(高身長、高収入、高学歴)であり、現在でも女性側から男性への要求として三平(平均的な年収・平凡な外見・平穏な性格)、三低(低姿勢、低依存、低リスク)等の形で残っている。

要求項目が増えた事で現在男性達の置かれている状況はバブル期よりも悪化していると言える。

※低難易度の条件でも同時に複数要求すると高望みに成ってしまう為である。平均以上の条件を3項目同時にクリア出来る男性は単純計算で12.5%


マッチングしない霊夢さん

古くから物語で語られるほど女性にとってのロマンでは在るのだが、この様に男性に多数の条件を要求している内に結婚適齢期を逃し、30代になっても条件を下げられず、30代半ばを過ぎ子供を産むことが難しくなり男性から結婚相手として認識されなくなってしまう女性の増加する状況がバブル期以降顕著である。

しかも社会的身分の高い男性というのは、良くも悪くも庶民とはかけ離れた価値観の持ち主だったり、稼ぐ事に拘るあまり仕事が第一に為っていたりする事が多い為、運良く結婚出来たとしてもその後が上手く行かずスピード離婚に至ってしまうケースも見られる。現実は物語ほど甘くはないのだ

これらの結果、日本では2030年代以降、未婚高齢女性の貧困孤独死が社会問題になる事が予測されている。


もっとも相手を選り好みしてしまうのは男性にも言える事であるし、そもそもお見合いも激減した所に慎重に成り易い一夫一婦制なのだから結婚相手を選り好むのは当たり前である。

また、女性の地位向上が進んだ影響もあり、近年の若い世代の女性は「金があっても価値観が合わない相手と結婚するくらいなら自分で稼ぐ」とばかりにそれほど社会的身分に拘ってはいないとも言われている。

昭和ごろの話ではあるが、昔の人は家庭内暴力にも耐え、離婚も悪いイメージがあるから選べず歯を食いしばって子供を産み育ててきた事を思うと、現代の方が状況が悪いとも言いきれないのである。


悪妻は百年の不作であるという。しかし、女性にとって、悪夫は百年の飢饉である。

菊池寛・小説家


少子化とクロワッサン症候群編集

クロワッサン症候群とは新聞、テレビ、雑誌等に影響され結婚適齢期・出産適齢期を逃し経済的精神的に追い詰められ苦しむ中年女性たちを揶揄する言葉である。

この言葉の語源と為った雑誌クロワッサンであるが1980年代のバブル期に「結婚せず仕事に生きる女性は先進的だ」という内容の特集を組んでいたのだが後に方針転換を行い子育てに関する特集を行った。これにより雑誌クロワッサンに影響され結婚、妊娠、出産の適齢期を逃し家庭を築くチャンスを失った女性たちは自分たちの生き方に自信喪失し絶望的な状況に追い込まれる事と成った。


よくもわたしをォだましたなァ( ̄□ ̄;)!!のう(か)りん

なおバブル期に雑誌クロワッサンで女性の独身ライフを賛美する記事を書いていた者達は全員結婚し家庭を築いていた。


1980年代のバブル期以降、日本の新聞、テレビ、雑誌等のメディアは欧米の生活スタイルを賛美し20代半ばになれば結婚、妊娠、出産を行い子育てを行うことに否定的な意見を吹聴していたがそれは欧米社会の実態を理解していない無責任なもので有った。

先述通り欧米諸国はフェミニズム運動の結果、女性の上昇婚問題が引き起こされ少子高齢化の急速な進行と人口減少が起こりそれらを補う為に移民を利用し統計上は出生率を維持していただけで在った。

それにも拘らず日本のメディアは女性の高望みを煽り、婚期を逃す男女が続出する結果となった。この為1980年代のバブル期に結婚適齢期だった年齢層から生涯未婚率が急上昇している。


少子化とフェミニズム(女性解放思想)編集

1980年代以降、日本の女性たちは男性に対して高慢に接し多数の条件を要求する様になり恋愛離れ結婚離れを引き起こす事に成った。

男性にとって女性と付き合うことに対して多大な労力が必要になるにも拘らずそれに見合った見返りがない事が主因である。

1980年代当時でさえ「女性の価値はクリスマスケーキ」「鬼も十八番茶も出花」等の先人の教訓は有った。

1990年代には婚期を逃して焦る行き遅れおばさんが話題に成ることも有った。

2000年代以降に成ると欧米諸国では未婚高齢女性の貧困孤独死が社会問題になり人口の維持の為に発展途上国から流入した移民による犯罪の急激な増加が見られる様になった。

欧米社会の未婚晩婚化の進行および移民の流入による治安の悪化等の失敗に対して日本は最短でも数十年猶予が有ったにも拘らず2030年代に同様の問題が起こる事が予測されている。


フェミニズムと少子化編集

1960年代に第二波フェミニズムと呼ばれる欧米諸国で始まった男女同権、法的男女平等を目指す運動であるが女性の権利を強く要求する一方、男性側が背負っている社会的義務や男女同負担という面に対しては全くと言っていいほど触れられないものであった。

かつて日本では男性のみが選挙権を有していたが男性には「兵役」という負担もあった。この様に男性は権利を所有する一方で義務も果たしていたのである。しかし、フェミニストたちはこれらを無視し女性は一方的に男性から虐げられ権利を制限されていたと主張し女性の権利拡大を強く主張する一方、女性側の社会的負担を増やす事に関しては消極的で在った。


経済難により子育ての負担が大きい事も合わさった結果として男性側の社会的負担があまりにも増大し「結婚は男性にメリットがない」という意見が広まる事になった。これにより30代半ばを過ぎ出産適齢期を逃した女性は義両親の介護要員としての需要しかなくなってしまったのである。

さらに、技術やサービス産業の発達により女性が担ってきた役割のうち出産以外のことは代替が効くようになった。そのため子供が産めない年齢に達した女性の価値が暴落した事実を多くの現代女性は気付いていないため少子高齢化が急速に進行した。


少子化と人間の本能編集

生物の進化には、何万年もの途方もない年月が必要である。そのため、人間の脳は今なお「男は狩りに出かけ、女はねぐらで待つ」原始時代からほとんど変化していないと言われている。つまり、男女平等・女性の社会進出が進む事など本能レベルでは想定外という事である。

その為、女性は今なお本能的には守ってもらいたい故に「強い男性」に惹かれる傾向にあり、先述した数々の問題も本能という視点で見れば仕方がないものではある。

これは男性側にも言える事で、男性は今なお本能的には自分が守りたいと思える「弱い女性」に惹かれる傾向にあり、高学歴女子やキャリアウーマンがモテないと言われるのはこの為である。

つまり、女性は地位が向上しても尚男性への高望みを続け、男性に対するハードルを上げてしまう形になってしまった。これではすれ違うのも当然と言えるだろう。

このような現象は人間以外の動物にも見られ、例えばオオカミは群れの中でヒエラルキーの高い雌ほどつがいとなる雄をより慎重に選ぶ事がわかっている。

もっともこれは全ての男女に当てはまる訳ではなく、江戸時代なら髪結いの亭主、現代なら女医看護師と結婚して「稼ぎのいい女性を伴侶にして楽をして暮らす」男性も昔からそこそこいた事は明記しておく。


そもそも、生物が子をたくさん残そうとするのは子の生存率が低いから

それは人間も例外では無く、命の危険(つまり種としての存続の危機)を感じる環境下では、子を作ろうとする本能が働き易くなる。事実、阪神淡路大震災アメリカ同時多発テロなど世間を脅かす大事件が起きた直後には出生率が一時的かつ若干だが上がっているし、古くから「貧乏人の子沢山」という言葉がある様に、生きる事に危機感を抱えている貧乏人ほど子供を多く作り易い傾向にある。

逆に言えば少子化は、技術の進歩・治安の向上・経済発展による成熟社会への移行で、わざわざ子をたくさん残さなくてもよくなったほど社会が安全になったからこそ起きたとも言える。


この様に、各種依存症と言った他の社会問題と同じく、自ら発展させた文明に人間の脳が着いて行けなくなった故に起きた社会問題の1つと考える意見もある。

人間の本能にも深く関わっていて、金を出せば解決するほど単純な問題では無いのが、少子化問題の難しい所なのだ。


ひょっとすると、少子化が根本的に解決するのは、何万年も未来の話かもしれない…


少子化と「子供の価値」の変化編集

上の議論ではほぼ男女間の考え方の違いと諍いに終始してきたが、ここでは男女抜きにそもそも「先進国での人生において、結婚して子供を持つという生き方が議論を俟たないものではなくなってきている」という点に注目してみたい。


人間の歴史の大部分において、子供は基本的には「労働力」「家や部族生存のための手段」である。今ほど教育のためにコストをかける必要はなく、幼い頃から労働に駆り出すため、食べ物さえ確保できていれば生めば生むほど親の生活は楽になる……かはともかく、少なくとも子が残せなければ親だって生きていけない。公衆衛生も人権意識も劣悪なので早死するリスクも高いが、その分も見越してたくさん生む。もし生む数が多すぎれば養子や丁稚奉公に出したり、出家させたり、最悪の場合は売ってしまう手も無くはない。障害者として生まれた子は、産婆によって間引きをされても咎められない※。人の命は非常に軽いが、少なくとも人海戦術により人間社会そのものは維持できる。

こうした人生観・社会観は、今でも少子化とは無縁な発展途上国や貧困国でよく見られる。人権思想を長らく教育されてきた我々にとっては酷い話に思えるが、今でこそ先進国と呼ばれるような国々だって、元々はこうした価値観が深く根付いていた時代は長く(日本でも太平洋戦争前後まで口減らしのための娘の身売りは普通に行われていた)、その意味では本来の動物らしい社会なのかもしれない。


※ただし子を手に掛ける親の悲しみは昔も今も同じということは付記しておきたい。間引きをした結果病んで無くなってしまった母の話も伝わっている


一方で現代の先進国の子供は人権が徹底的に守られ、よと大切に「子宝」として育てられる。一人前の大人にするまでに20年前後の歳月をかけるのは当たり前で、その間親は教育・食事・衣服・遊興などあらゆる部分に十分な金をかけ続ける必要があり、できなければ「虐待」「親ガチャ失敗」「毒親」呼ばわりされる。日本の場合、子供一人当たりに毎年100〜200万円ほどかかっているが、もし複数人を生み育てて10〜20年続ければフェラーリランボルギーニを買えてしまうくらいの金額になる。つまり生めば生むほど親の生活が苦しくなる

さらに親自身もコストのかかった相応の教育を受けて社会的自立を果たしているという前提が出産には必要であり、うっかり未熟な中高生時代に子供を生んでしまえば、世間から白い目で見られてしまう(勿論それを厭わずに生むということ自体は不可能ではないが、相応の社会的リスクに晒されることになる)。「子供部屋おじさん・おばさん」というネットミームが流行したのも、「きちんとした教育を受けて社会的自立を果たしてこそ一人前」という価値観が根底にあり、それができていない人間と見做されると男女関係なく婚活戦線からは弾かれてしまう。これは家業や部族という概念がほぼ消滅しているためでもある。逆に社会的自立さえ果たしていると見做されれば結婚のハードルは大幅に下がるが、そもそもそうした人間は先進国社会の整ったインフラ物流を活かして家庭を作らずとも一人で生きていける。つまり「自分一人だけで生きていける人間になって初めて、他人と生きていく権利を勝ち取れる」という、一見すると矛盾した構図があるわけである。

こうした現代先進国社会において子供は「贅沢品」であり、生むための社会的・経済的・心理的なハードルが極端に高くなってしまっているのである。

先進国の社会は人間が人間らしく生きられるという点においては素晴らしいが、将来の豊かさのための資源を食い潰しながら存続させるべきなのか?ということについては分からない。


もう一つは、子供を持つということ以外の選択肢の数の違いもある。先進国では特に娯楽が多様化している。レジャー産業や便利機器が発展し、性欲の転化・昇華も簡単になった。交通網・物流・情報網も発達しているため、一人でも娯楽を楽しめる方法がいくらでもある。すなわち、あなたが今この記事を見るために使用しているPCタブレットスマホもその例である。「子供に使うお金や時間を趣味に使った方が人生が楽しい」と考える人間自体は昔からいるが、そうした人間にとってより有利な世情となっている点は否めないし、この少子化の社会においてさえそうした価値観を称賛する声は未だに絶えない。

逆に娯楽の少ない・または娯楽に使うお金やインフラ文化自体が乏しい発展途上国や貧困国において、性愛は希少な娯楽の一つである。


要は先進国は「生みたくても生みづらい」と、「生みたくない」「生まなくてもいい」という価値観の掛け算により、むしろ生まない方が自然な選択肢となってしまっているという悪循環に陥っているのである。皮肉なことに人間社会は、豊かさの階段を上がれば上がるほど少子化になるインセンティブ(誘因)が生まれ、即ち階段を降りていくような仕組みになっている。


そもそも…編集

1990年代までは「人口爆発」の方が問題と言われていた。「このまま行くと増えすぎて問題になる」「食料やエネルギー、住む場所が足りなくなる」などとメディアによって不安を煽られて、(それがたとえ後付けの理由であったとしても)「じゃあ子供産まなくてもいいか」となった人も大勢いるだろうと思われる。


しかし、それがものの20年しないうちに人口減少の方が問題視されるようになった。

社会の都合で急に「生むな」「やっぱり生め」と指図するのは、何とも都合の良い話ではないだろうか?


北朝鮮のような政府による人権侵害が当たり前の強権国家ですら少子化に対する有効な手段は生み出されていないことから、国や個人がどうすれば良い、という段階はとうに過ぎているように思われる。

少子化の世の中においても生む人たちはやはり生んでいるわけなので、これ以上子供が減ることは無いというラインへの到達はいつか必ず辿り着く。人口爆発問題が人口減少問題に変わったように、トレンド転換は必ず訪れる。

そう信じて、彼ら彼女らに後を託すしかないだろう。


江戸時代の少子化編集

最後に一つ、少々古いが興味深い資料を紹介したい。2006年に参議院第三特別調査室から発表された、少子化の歴史に関する話であるが、江戸時代に少子化があったことについて触れられている。


要点をまとめると

  • 元々日本は大家族で、直系家族以外は未婚のまま過ごす者が多かった。江戸時代に入って、太閤検地の一地一作人制度により小農が独立し始め、農村は今のような皆婚に変化し、人口が急増した。
  • 一方で江戸時代中期に入ると、生活維持のための間引きや大飢饉、食料生産能力の限界などで人口増加率は停滞した。また小作人は絶家する例も多く、経済力のある地主や自作農が人口を維持した。
  • 江戸は独身の若い男性が流入し、享保6年の時点で男女比は100:55、男性の有配偶率はわずか5割という極端な男余り状態となっていた(天保14年は女性89で、均衡に近づいた)。
  • 幕府は間引きの禁止、養育金支給などの「少子化対策」を行った。
  • 離婚率は1000人あたり4.8で、これは離婚大国アメリカ(資料作成時約4.19)をも上回る数字だった。
  • 明治時代に入り急速な工業化と経済成長、衛生・医療・栄養の改善などを背景に、再び人口は急激に伸びて行った。

経済力が低くて子孫が残せない、都市部は人口に対する出生率が低いなど、現代に通じるところがある。しかしそうした時代を経て現代があるわけで、絶望するほど将来を悲観視することもないという見方もできるのではないだろうか。


別の意味編集

pixivでは「少子化対策」等のタグがS⚪︎Xシーンを描いたエロ絵に付けられているケースがある。


同様に、エロすぎるキャラクターを「少子化対策担当大臣」と呼んで褒め称えることもある。


関連タグ編集

社会問題 高齢化 過疎 晩婚化 貧困 人口減少 核家族 独身 お見合い


合成の誤謬:経済用語だが、少子化にも当てはまる。

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